できたよ!


 悠太・光太、最近、夕食後のお茶がブームです。
 園では、ずいぶん前から二人ともお茶を口にしていたのですが、家でお茶をわざわざ与えることはしていませんでした。家ではやはりミルクを欲しがるし、本人がおいしいと思うものを飲めばいい、と。真夏だろうが、ホットミルクが一番!の子ですから。
 それが、悠太と光太だと思っていたのです。

 きっかけは、光太の担任の先生からの電話。
 ストローマグを持って帰らせるのを忘れました〜という連絡だったのですが、先生によると、光太が最近ミルクを欲しがらず、お茶をよく飲んでいるとのこと。やかんの前にコップを差し出してせがむほどだそうです。
 お茶はもちろん、冷たいもの。それを、コップで普通に飲んでいるのだそうです。

 へ〜っ。
 その日の夕食後、ためしに冷蔵庫から出したばかりの冷たいお茶を、「光ちゃん、お茶飲む?」と光太に見せながらコップに注いでみました。
 すると、ニコニコでやってきて、普通にコップを手に持ちお茶をごっくん。
 おおーーっ!
 お茶を飲めるのもすごいけど、ちゃんとコップも上手に使えるのね!

 実は今まで、家ではコップを使ったことがなかった、コップで飲む練習をしたことがなかったのです。
ミルクや牛乳を飲むときは、いつもストローマグ。ストローマグには目盛りがついているのですが、この目盛りがなければミルクはつくれません。牛乳を温めるときも、この目盛りが必要。100mlに対して、電子レンジで何秒、というのが決まっているのです。ことミルク・牛乳に関しては適温の幅が狭く、「ぬくけりゃよかろう」では却下!おおざっぱな温め方では許してくれないのです。

発達テストや、手帳の更新時に聞き取りがあります。いつも、「コップで飲めますか?」と尋ねられるのですが、「うーん・・・お風呂のお湯は遊びでコップで飲んでいるんですが・・・」と言葉を濁していました。
以前は飲み物の入ったコップを見せてもぷいっと横を向き、手にしようとすらしませんでした。飲み物はストローマグで!と決めてかかっていたようでした。

うーん。コップかあ。コップで飲む練習かー。コップが使えたほうがいいんだろうけど、本人が手にしようとしないんだから、どうすることもできないよなあ。まあ、いつかは使えるようになるだろうし、ストローマグで飲めているんだから、別にいいじゃん。

そんなこんなで、家ではコップの出番が今までまったくなかったのですが、園に通ううち、自然とコップを目にする機会、手にする機会が増え、いつの間にか、みんなと同じコップでお茶を、それも冷たいお茶を飲むようになったのです。
あれだけ、温かいミルクじゃなきゃだめだったのに。

コップで、うふふふふ〜と笑いながら、うれしそうに、楽しそうにお茶を飲む光太。
その光太を見ていると、胸の中にさわやかな風が吹き抜けていくような、そんな感動がありました。
冷たい感覚を、おいしいと思うようになった。ストローから吸うのではなく、コップからダイレクトに口いっぱいに広がる感覚が楽しくなったんだね。
すごいぞ、光太。


飲めるものがミルク・牛乳だけでも、いいじゃん。いつかはお茶も飲めるようになる。コップが使えなくても、いつかは使えるようになるんだから。
気にしないようにしてはいるものの、それでもやはり、心のどこかに心配の種としてある。
だって、いくら知的障害児の通園施設といったって、コップが使えない子供なんてごく少数だし、お茶が飲めない子なんて見たことないんだもの。み〜んなおいしそうにお茶飲んでいるのに、何でうちの子は〜
いやいや、それが悠太・光太なのだから。
気持ちは逡巡します。


特にお茶に関しては、私の中でも意地がありました。以前にも書いたことのある、「お茶事件」です。
悠太・光太はまだ2歳、療育センターの母子教室に通っていたころのこと。教室の中でおやつとお茶タイムがあったのですが、当時まだ悠太・光太はお菓子を食べることができず、もちろんお茶も飲めず、唯一の「おやつ」と水分はミルクでした。
そのミルクを、「お茶じゃないと駄目」と教室内でミルクを飲むことを禁じられてしまったのです。

ほかの子がみんなおいしそうにおやつを食べ、のどの渇きを癒すなか、悠太と光太だけが何も口にしてはいけない、という。
そんな療育、あるのか?
どんなに子供の気持ちを代弁しても、子供の状態を説明して親の気持ちを主張しても、「お茶じゃないと」。

みんなと同じことができていたら、こんなとこに来ていないというのに。それぞれ、個々にあったフォローやケアが必要だから、来ているのに。そこで、かたくなに横並び一線を求められ、「お茶じゃないと駄目」と強要される。理解不可能。
どれだけはがゆい思いをしたことか。今もって、忘れられない屈辱です。

その後、現在子供が通うK学園の自由な療育にふれ、「時期を待つ」ことの大切さを教えられ、すーっと肩の力が抜けたことを覚えています。
しかし、当時平行して通っていた療育センターの小児科ドクターに、「子供の気持ちを尊重して待ってやりたい」と言うと、「その待っている時間が無駄」と一刀両断でした。

今、あのとき悠太・光太にミルクを飲むことを禁じた先生に、「待っている時間が無駄」と言い切ったドクターに、胸を張って言いたい。「たった3年待つだけで、こんなに笑顔でお茶が飲めるようになったよ、コップも使えるようになったよ」と。

待っている時間が無駄なんて、とんでもない!
その待つ時間、できないことやマイナス面にはなるべく目を向けず、ただただ、子供と楽しい時間を過ごしてきました。その時間の積み重ねがあるから今、子供をかわいいと思える、愛しいと思えるのです。
それはきっと、一番大切なことのはず。

親子して頑張って、練習して、訓練していれば、3年かかったことが2年でできたかもしれない。
でもその間ずっとトライ・アンド・エラーを続けていく自信は私にはない。エラー、エラー、エラー・・・きっと私はもっと子供が嫌いになっていただろう。
そうやって泣きながら、嫌々ながらやる訓練や練習に、何の意味があるのだろう?達成感を味わう頃に、疲れ果てて病気になっていたら仕方がないんじゃない?

2歳の悠太・光太にお茶を飲めということは、流動食しか食べられない子供の目の前にステーキを出して「さあ、これを食べなさい」というのと同じことだと、今でも信じています。
コップで飲みなさい、スプーンで、フォークで食べなさい、みんなと同じものを飲みなさい・・・
もちろん、それができることによって、子供の生活も楽になる、世界も広がります。けど、それを、支援する側がラクをしたいために子供に強要するのは違う。そこを、絶対に勘違いしてはいけない。子供のため、と言いながら自分のためじゃないの?

確かに、出先にいつも温かいお湯の入った魔法瓶と、粉ミルク、ストローマグを持っていくのは大変で、自販機で買う缶のお茶で水分補給ができたら、どれだけラクかと思います。
けどね。たとえ一生ミルクしか飲めなくても、ストローマグしか使えなくても、支援する周りがそれを理解してくれれば、悠太・光太は笑顔で生きていける。

現に、今通うK学園では、悠太・光太のために温かいお湯でミルクをつくり、悠太のお昼ごはんには、家から持たせたカレーを電子レンジで温めてもらっています。余計に手がかかるのだけれど、それを面倒だとは思わず、悠太・光太の当たり前の支援と思っていてくださっているのです。
おかげで、悠太・光太は安心して、のどの渇きや空腹を園で満たすことができています。

その安心感のなかで、コップのお茶に手をのばしたのは、光太自身。
自分で、自分だけのこだわりの世界から抜け出した。そこに、強制も涙もない。


とはいえ、やっぱり家で飲むのはミルク9割、お茶1割。
お茶に手を出すのはなぜか夕食後だけ。園から帰宅したときにも出してみるのですが、そのときは目もくれません。
しかし、夕食後に「お茶だよ〜」とお茶の入ったコップを出すと、「うきゃ〜っ」と大喜びで寄ってきます。
最初は光太だけのお茶が、最近は悠太も参戦して、二人でコップのお茶をごくごく。そして、「うちのお茶には何かクスリでも入っているのか!?」と思うくらい、お茶を飲みつつ、二人ともゲラゲラ大笑いです。
きっと、「つめた〜い!楽し〜い!」うははははーって感じなんでしょうねえ。


さて、光太が家で初めてコップでお茶を飲んだ夜。
あまりに光太がごきげんで、ニッコニコで・・・その顔を見ていて、ふと思い立って、初めて光太をトイレに誘ってみました。
抱っこしてトイレに連れて行き、「光ちゃん、おしっこしてごらん」
すると、じょじょじょじょじょ〜っ!
できた!おしっこちゃんとできましたー!それも、本人は当然のような顔で(笑)
すごい。すごーい!光太、すごいぞ!

光太、トイレでおしっこできるかなーとは、ずいぶん前から思っていました。
もともと、紙パンツが大嫌い!(できれば布パンツもはきたくない)家の中で下半身丸出しの状態で過ごすこと、かれこれ2年以上。家中どこでもトイレの状態から、おまるの中桶をおちんちんの前にあてがって「誘ったらできる」状態になって1年以上たちます。
後は、場所だけ。トイレでできるかどうかだけだったのです。
けど、「まあ、今じゃなくてもいいよね〜」とわざわざトイレに誘うことはありませんでした。

トイレに誘うのが面倒くさいというのもあったし、何よりトイレは「大人の聖地」。外から鍵をかけられるようになっていて、大切なもの、子供に触ってほしくないもの、とられたくないマンガ本がトイレに山積みになっているのです。
それを子供が見たら、トイレに子供が自由に出入りできるようになってしまったら。聖地がなくなってしまう!それは困る!
そんな理由で、トイレトレを途中で放置するのもなんだと思いますが。

だって、悠太・光太、絵本をパラパラめくるのが大好きなのですが、別に絵本じゃなくてもいいんです。電話帳でも、文字だけの文庫本でも手当たり次第にパラパラめくっては紙を齧って、ちぎって、やぶいてボロボロにしてしまいます。
中でも、表紙がきれいなマンガ本はお気に入り。それも新しいものは目ざとくゲット。大人が「隠した」と思っても、一瞬でその隠したものを手にしていたりします。
そんな奴らの魔の手から守る絶好の場所が、外鍵のあるトイレだったのです。

案の定光太、毎回ではありませんが、おしっこをトイレで済ませた後にっこり、お気に入りのマンガ本を手にトイレを出て行きます。ううう。ご褒美?

まだ、「おしっこ出るよ」と大人に伝えることができないので、トイレに誘うタイミングがずれたり、光太がおしっこしたそうにしているときに、私が悠太にかかりきりになっているときは失敗してしまいますが、タイミングがあえばパーフェクトです。

すごいなあ、光太。うん。本当にすごいぞ。
できなくて当たり前と思っていたことを、ちゃんと自分の力で克服していっている。大げさではなく、わが子を尊敬します。
ご飯を自分で食べられる(まだ手づかみだけど)、お茶が飲める、トイレでおしっこできる。
もう、何も心配することはありません。


それに引き換え、悠太は・・・・はあ。
まあ、悠太のトイレトレに関してはまったく焦ってはいないのですが・・・というか、焦るという段階にもならん。光太と違って、悠太は紙パンツ命。紙パンツをはいていなければ、おしっこもうんちもできません。
園ですごすときは布パンツなのですが、濡れる感覚がいやなのか、可能な限りおしっこを我慢します。で、紙パンツをはいたとたん、ジャーっと。
悠太が紙パンツを卒業できるのは、まだまだずーっと先になりそうです。

トイレトレとは関係なく、「それに引き換え悠太は・・・」なのです。
比べてはいけない、悠太は悠太ということは百も承知なのですが、ついつい口について出てしまう。夫でさえも、「それに引き換え悠太は・・・」と苦笑いしています。
ニコニコの光太のそばで、「んぎゃーーーっ、んああああああっ!」と叫んで、何かに怒っている。何が気に入らないのか、何がうまくいかないのか、分らないのだけれど。
夜中に雄叫びでみんなを叩き起こすのも、決まって悠太。
夫と私がまだ食事中なのに、「外へ連れて行け!」と号泣するのも、決まって悠太。
晴れの日に、車のワイパーを動かすのも悠太。
ああ、悠太、悠太、悠太・・・君はどうしてそうなんだ。
いや、あれやこれや、まるごとひっくるめて、悠太なんだな。
おかげで、夫も私も修行させられます。


確実に、成長している光太(たぶん悠太も)。階段ひとつ、のぼったね。
悠太・光太との生活は大変なことばかりだけど、思い出したころに、ぽーんと思いもよらないプレゼントを放り投げてくる。
「感動」はいつも君たちがくれる。
だから、君たちの「親」でいることをやめられない。



育児なんか大キライ!目次へ
ホームへ