NGワード


11月1日から正式にK学園に入園となった光太、最初の1週間が無事終わりました。

初日の1日は、母子通園クラスの悠太とともに、私も一緒に行きました。
先生に抱っこされて、新しい教室に入る光太。「なんでここなの〜?」と不安げな顔。新入りの光太に、クラスのお友達も興味しんしん。ちょっかいを出してくるお兄ちゃんもいます。先生の抱っこから下りた光太は、今にも泣きそうな顔。
ま、頑張ってくれ。
私は、新しいクラスの先生とお話するため、そこで光太とはバイバイ。
まあ・・・なんとかなるでしょ。あとは先生におまかせするだけ。

一方、私と母子通園クラスの悠太は、な〜んとなく、光太のいない雰囲気を分かっている様子。
普段は、クラスに入っても「お母さん、お母さん」とベタベタするほうではないのですが、この日は「お母さん独占!」とばかりに私に必要以上にべーっったり。なんなの、あんたは。
朝の集いが始まって椅子に座らせても、後ろにいる私をちらっ、ちらっと振り向いてはにやっ。まるで、授業参観日にお母さんを気にして振り向く子供のよう(笑)。

こういう母子クラスで、子供と私1対1になったのは、初めてのこと。
今まで、療育センターの母子クラスに通っていた頃を含め、常に私と悠太・光太の3人でした。母子でペアを組んでやる活動は、必ずどっちか一人が母とではなく、先生とやらなくてはいけません。
それはそれで、私たちにとっては当たり前のこと。それを特に「一人がお母さんからあぶれて不憫だなあ」と思ったこともないし、子供も小さい頃から「親以外の、ほかの大人でもOK」な状態を自然に経験していたことは、とても良かったと思っています。
療育センターの母子教室時代、初めての母子分離をしたとき、他の子は「ママがいなくなったー!」と号泣していたのに、うちの子だけはケロッとしていましたもん。

 それをふまえたうえで。
 この日私はつくづく思いました。
 あー、ひとりだけ見ていればいいのって、なんてラクなんだろう!

二人がいて、いくらどっちかは先生が見ていてくれると思っても、やはり気にかかるもの。ちゃんとやっているかな、楽しそうにしているかな。
二人ぶんの責任に気が張り詰めている状態で、母子クラスが終わる頃にはぐったり。行きはびゅんびゅんで時速70キロで走る道も(←やってはいけません)、帰りは頭がぼーっとして危なっかしくて、50キロしかスピードも出せないくらいなのです。

けど、この日の教室には悠太ひとり。悠太一人を気にかけて、見つめていればいいのです。その気持ちの違い、余裕といったら!
教室が終わっても、全然疲れていないのです。
これには、私が一番びっくり。最初から二人いることが当たり前で、他人から「(ふたりいて)大変ね〜」と言われても、なんのこっちゃ、だったのですが。
ほー、一人っていうのはこんなにラクなのか・・・

悠太にしてみても、うれしかったはずです。
振り向けば、いつもそこにお母さんの視線があって、ニコってしてくれているのですよ。ボクを見ず、光太を見ていたり、光太を抱っこしているお母さんはいないのです。抱っこを求めても、「あー、ちょっと待って、光太が泣いてるから」と邪険にされることもありません。
初めて、悠太は100パーセント、ボクだけのお母さん!を手に入れたのです。

私だってもちろん、なるべく子供二人均等に愛情をかけ、抱っこや遊びの相手を求められたら、出来る限りのことはしているつもりです。けどそれは、二分の一とは言わないまでも、きっと子供の求めるぶんの100パーセントではない。我慢させたり、あきらめさせたりしていることも随分あります。
でも、どうあがいたって、これが「うち」なのです。その我慢やあきらめも、子供にとって無駄なことではないはず。
兄弟がいる利点だって少なくないはずです。

二人同時に入園とならなかったこと、ちょっと残念でしたが、こうして1対1の時間が持てるのは、悠太にとっても私にとってもよかったと思います。
あ、光太とも1対1の時間ができます。
個別療育の時間があって、先生と、光太と、私と。一人っ子となった光太がどんな顔を見せるか、これもまた楽しみです。

さて、初日終わった光太を迎えに行くと・・・教室の中で、ニッコニッコでした。な〜んだ、大丈夫じゃん。ほっと、一安心。お昼もちゃんと食べて、笑い声もたてていたそうです。
2日目からも、すんなり教室に入ることができて、ご機嫌に過ごすことができた様子。もう心配はいりません。さすが光太!
新しいクラス、新しい先生とお友達と、楽しく過ごせたらいいね!


一人の子供と1対1の時間を過ごして初めて、二人を抱えた大変さを実感した私。
今更ながら、「(双子で)いっぺんで済んでいいわね〜」という、双子を持つお母さんが他人から言われて一番嫌う言葉を思い出しました。
私も、いろんな人からこの言葉を何度となく言われたものです。妊娠期間中が壮絶なしんどさだった私は、「確かにあの苦しみを二度と味わうことなく、二人をもうけられたのだからラッキーだなー」と、それほどその言葉に反感を持つことはありませんでした。

けど、改めて思い返してみて。
いっぺんで済んでいい、ってか?
あの、眠ることすらできなかった新生児期が?
求められても返すことのできなかった愛情は?
初めての子供、普通なら一人だけ、一身にそそがれるはずの親の視線は?
一人だけだったら、いくら障害児で多動とはいえ、公園にも連れていってあげられた、買い物にも行けた、あの不自由さが?
いっぺんで済んでいい、はずないじゃないか。簡単に言わないで欲しい。

双子にまつわるいろいろなNGワードをご紹介。
「薬つかったの?」
・・・本当に、こんなことを言う人がいるんですよ(笑)。双子だからって、みんな不妊治療の末にできたわけじゃない。1卵性なんてまったくの偶然です。
というか、薬使ったかどうかなんて、あんたの知ったこっちゃないじゃないか。

「双子って、やっぱり同じことばかりするの?」
って、双子をクローンか何かだと思ってませんかーー!?まあ、同じ遺伝子情報をもつ1卵性、ある種のクローンかもしれませんが、それにしても、いくら遺伝子が同じとはいえ、宿った魂は別です。
きっと、クローン人間だって、ひとたび魂が宿れば、全く違う性格を持ち、全く違う感情を持って行動しても不思議ではないのです。
なんだか、双子の類似性ばかりが、おもしろおかしく、神秘のように取りざたされて、「双子ってのはみ〜んなそっくりで、何もかも同じ」「二人だけに通じるテレパシーがある」なんて思っている人、結構多いんですよねえ。
そんなことねーよっ!
そんなことあるわけないじゃないか。まあ、中にはそういう「そっくりさん」もいるのかもしれませんが、きっと、極々少数だと思います。
たまたま、似た魂の二人、そんな不思議な以心伝心、他人同士でもあるよね。
まあ、私だって双子を産むまでは、双子に関する知識なんてそんなものだったのですが・・・

こういう質問をする人に限って、「いや、双子でも全然違うよ」と言っても簡単には引き下がってはくれないのです。「でも、こういうこともあるんじゃないの?」と食い下がり、「ああ、まあね〜」と適当に相槌をうつと、「やっぱり!双子だもんねー!」と納得する、と(笑)。ああ、疲れる。

「双子って、やっぱり先に出てきたほうがお兄ちゃんなの?」
・・・これ、割と最近言われたんです。そんなの、当たり前じゃねーかっ!
「どっちがお兄ちゃん?」は聞き飽きたけど・・・これには、開いた口がふさがりませんでした。
確かに、「双子は不吉」と忌み嫌われた昔は、先に生まれたほうを弟に、後から生まれた子を兄として育てられたそうです。私も、知識としては知っていたけど、こういうどうでもいい知識って、なぜかみんな知っていたりするんですよねえ。
けど、今どき、横溝正史の世界じゃないっての。

あと、今一番腹の立つ言葉。
「(園に子供を預かってもらうようになって)ラクになった?」
確かに、ラクにはなりました。楽、という言葉を使うなら。
開いた時間、整体に行ったり、映画を見たりしています。買い物にも行けるようになりました。
自分で言うぶんにはいいんです。園の先生に、「預かっていただいて、おかげさまで少し楽になりました」言うこともある。同じ障害児を持つお母さん同士、「あの頃に比べて楽になったよね〜」としみじみ語り合うこともある。
それは、「楽」という言葉の裏を知っている人に対してだから言えること。

けど、よく考えて欲しい。
いくら預かってもらう時間ができたからといって、悠太・光太の母親をやめられるわけではないのです。
重度の障害児二人を抱えた生活が、そうそう楽になるわけないじゃないですか。
そんな簡単に、「楽」という言葉を使わないで欲しい。うちの事情を知らない人に言われても、思いは複雑。「はあ、そうですねえ」と言いながらも顔は引きつっています。うちのことを知っている人には尚更、言われたくない言葉です。
心から、楽になったと言えるのはいつだろうなあ。

みんな色々言うことも、まったく悪気はないのです。それはよく分かっています。けど、悪気がないからといって、言ってもいいということではない。思わぬところで、言われたほうは傷ついていたりするのです。これは、自戒もこめて、ですね。

どうしても、外に出ると新しい人との関わりが出てくる。世間話のついでに、家族状況の話も出てきます。うちの子障害児です、とはもちろん必要のない他人にわざわざ言うことはありませんが、「お子さんは」「今、おいくつですか」と聞かれると、「えーっと、4歳の男の子が一人と、4歳の男の子が一人・・・」なんて言うのもなんですから、「4歳の双子の男の子がいます」と答えます。
けど、最近ちょっと「双子です」と言うことが億劫になってきています。双子、と言った後に出てくる、矢継ぎ早のどうでもいい質問(NGワード込み)・・・
やっぱり、こればかりは双子を持った宿命なんでしょうかねえ。

「双子だから」と決め付けられるのがいや。
「双子だから」と一くくりにされるのがいや。
悠太と光太は、悠太と光太。それぞれの個性を持った、一人一人別々の人間なのですから。
ま、悠太・光太自身は、誰に何を言われようが気にしちゃいませんがね。分からないのは幸せなのかも。
いいのか悪いのか・・・(笑)



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