うれしい変化、こまった変化

先週1週間も、悠太・光太、それぞれ変化がありました。
まず、光太。

なんと、家の中でパンツとズボンを履いてくれるようになりました!
1年前の夏以降、パンツ・ズボンを履くのを嫌がるようになり、家の中では真冬でもお尻丸出しの光太でした。寝冷え防止の腹巻どころではない、「寒いよ、風邪ひくよ」となんとか履かせようとするのですが、死に物狂いで嫌がり、すぐに脱いでしまうのです。
ま、いいか。お外では頑張って履いてくれているし。家の中だけでも、光太の好きなようにさせよう。
ということで、フルチンでジャンプ、ジャンプする光太は、我が家の中では当たり前の光景だったのです。

すっかり肌寒くなった先週、なんの気なしに、「光太、パンツとズボン履いて寝ようか〜」履かせてみました。すると、嫌がりもせず、すんなり履いてくれます。光太も、自分がパンツを履いていることに(履けることに?)びっくり、何度も何度も、自分の下半身を確かめています。
パンツを履いたほうが温かい、心地よいということが分かったんでしょうね。パンツを履いた心地よさのほうが、下半身の接触過敏に勝ったんでしょうねえ。
なにはともあれ、よかった、よかった。これで冬でも安心です。

朝になり、ちゃんとパンツ・ズボンを履いたままで起きてきた光太に、夫もびっくり!「やっと、文明の子になったか・・・」今までは野生のおサルさんだったもんね。私もまだ、お尻を出していない光太の姿に目が慣れません(笑)。


悠太は、これもびっくり。単独通園で入るクラスで、お気に入りのお友達ができたようです。
今まで、「ボクと、大人と、その他大勢」だったはずの悠太の世界に、子供たちの姿が目に入るようになってきたのです。誰でもいいわけじゃない、ちゃんと、人の顔を見て区別できているのです。うれしいですねえ、これは。
(自閉症の子供は、人の顔の区別はなかなかつきにくいそうです。同じ人でも、時として怒ってたり、笑っていたり、日によって髪型が違ったり、服が違ったり。)

今まで、光太にしかしたことがない「体当たり」の好意を、そのお友達にぶつけているようです。その子の上に覆いかぶさって乗っかったり、顔をそーっとさわりに行ったり、チューしに行ったり(ちなみに、男の子です)。ひっつきもっつきなのだとか。
やさしい、おとなしい男の子なのですが、この悠太のストレートな愛情表現は、さぞかし迷惑なことでしょう(笑)。


くだらない兄弟喧嘩もありました。
居間続きの和室を家族の寝室にしているのですが、いつもは境目の戸を開け放したままで寝かしつけています。
水曜日の晩のこと、なぜか光太が、その戸を全部閉めようとします。黙っていないのはもちろん悠太。光太が閉めた戸を「いつもは開けてるでしょ!」と開けます。
すると、光太が「ギャーっ!」泣きながらまた戸を閉めます。すると悠太が開ける。
閉める、開ける、閉める、開ける、閉める・・・エンドレス。
二人とももちろん必死の本気です。
「んてってってってー、んだーっ!(閉めるのーっ!)」
「まんまんまんまんまーっっ!(開けるのーっ!)
あほか、お前ら。

放っておいてもよかったんですが、いつまでも続きそうです。
これじゃ、眠れんしなあ。仕方ない、私の出番か。よっこらしょ、と重い腰を上げて一喝。
「こらーっ!ええかげんにせんかいっ!」
私の本気を察した子供たち、二人ともぴたっと止まりました。おほほほ。まさに鶴の一声ですわ。ここまでよくきくと、気持ちいいもんです。
もちろん、フォローも忘れません。結局、半分は開けて、半分は閉めて、で二人とも納得。理屈でなく、譲れない気持ちがあったんでしょうねえ。
しかし・・・あほくさ。



困った変化はというと、突然光太が、子供向けの教育テレビの番組やビデオを嫌がるようになったのです。
今まで楽しく見ていたものも、ほとんどがNGです。

いっとう最初は、「にほんごであそぼ」の一部分に反応して泣き狂いはじめ、そのうち、他の番組にもどんどん過敏に反応するようになり、それがとうとう、「でこぼこフレンズ」にまで至り・・・それまで判断つきかねていた私も、とうとうテレビのスイッチを消しました。
なんだか分からないけど、テレビをつけていると光太がつらいらしい。

テレビに子供のお守りをさせるのはいけない、ということは百も承知。だから、テレビを消すきっかけになったことは、結果的によかったのかもしれません。
けど、けど。
朝のあの忙しい時間、夕方のあの、「お風呂だ、夕ご飯だ」とバタバタする時間、どれだけ教育テレビに救われていたか。
親も助かる、子供も喜ぶ。テレビやビデオってものすごく便利な機械、必要不可欠なもの!だと思っていました。

けど、実際のところ。
テレビをイヤがるようになった光太は別として、テレビ・ビデオ大好きの悠太も、特に、テレビをつけていなくても平気なんですよ。
最初の頃こそ、たま〜に悠太がリモコン持って「ビデオ見せて〜」とやって来ていましたが、「光ちゃんが泣いちゃうからダメ〜」と見せずにいたら、それはそれでいいらしくて。
テレビを見ないと間がもたないかなあと思っていたら、案外そうでもなくて。
へ〜!そうなんだー。いいのね、別に。テレビがなくても。

親の都合でテレビをつけているってのは、確かにそうなのかも、と思ってしまいました。反省。

テレビを見たい、テレビがなくて寂しいのは親のほう。
朝のニュース番組や、夕方の「ヤン坊・マー坊天気予報」、7時のニュースなんかは、やっぱりつけちゃいます。
あまり子供に訴えかけない、無機質な番組は、光太も気にならないようです。

しかし、なんなんだろうなあ。
今まで垂れ流しで見ていた映像が、急に何かの意味をもって光太の中に入りはじめちゃったのかなあ?で、情報処理しきれずに、パニックになっちゃったとか。
ま、とりあえず、しばらくテレビはお休みです。


10月はレジャー費、大盤振る舞いだったので、さすがにもうまずい。給料日前、お金のかからないところ、ということで、日曜日は、広島市森林公園に行ってきました。
2歳のころからしょっちゅう来ているこの公園は、すっかり子供にも馴染みの場所です。とはいえ、春先に来たきり、久しぶり。やっぱり、好きな場所は顔が違います。悠太は早速、喜びの舞でうれしさを表現。

ここでも随分、二人の成長・変化を見せ付けられました。
また、やみくもに走り回るだけか、と思いきや、今まで目にもとめなかった遊具に興味を持ったり、へ〜。

ツリー状に太い綱を張った、大きなジャングルジム(といえばいいのかな?)があるのですが、「ほら、やってごらん」と冗談半分で光太をその上に乗せてみました。
すると、最初はどうしていいか困った顔をしていましたが、意を決して立ち上がり、慎重に、そして果敢にも綱を渡りはじめたのです!
一歩 一歩、慎重に、よく見ています。両手両足を上手に使い、バランスよく渡っていきます。
これには、夫も私もびっくり!感動!
いつのまに、こんなバランス感覚が育っていたのか。
春先までは、へっぴり腰で、立ち上がることすらできなかったのに・・・
(ちなみに悠太にやらせてみると、相変わらずのへっぴり腰でございました・笑)

立てるかな・・・ 一度立ったら大丈夫


悠太は悠太で、売店に突っ込んでいきます。
今までは目もくれなかった、売り物のおもちゃに興味しんしん。棚に上がってまで取ろうとするのを、抑えるのに必死。
「やめろ。やめてくれ!買うよ。買ってあげるから!」
売り場の中で一番安かった、ドーナツ型のフライングディスクを購入。
「よかったね、悠太。あ、このラベル邪魔かな?とってあげようね」
と、本体からその紙のラベルをはがすと。悠太、本体のフライングディスクはポイッ!
え、もしかして、っていうかやっぱり・・・欲しかったのは、その色鮮やかなラベルだったのね・・・(涙)そんな気がしてたんだぁ。
しかも、そのラベルがもっと欲しくて、またもや棚に上がって商品を取ろうとするし。
撤収!強制撤収――――!!
こんなおバカさんです。悠太は。


けどこの日、一番感じた二人の変化は、「一体感」。
なんというか・・・二人とも、とっても私たち親の存在を意識してくれているのですよ。やみくもに走っていかないんです。走っていっても、10メートルくらい離れると、ぴたっと立ち止まって振り向き、「ついてきてる?」と確認するのです。
私がのんびり後を歩いているのを見ると、安心したようににっこり笑って、また駆け出す。走っては振り向き、止まる。私が駆け寄って側に並ぶと、「くふふふ〜」とうれしそうに含み笑いしたりして。そっと手をつなぐと、握り返してきて、にっこり。
一緒にいる、一緒に遊んでいることを、悠太と光太も喜んでいるのが伝わってくる。
こんな感覚、初めてです。

いつも、悠太・光太が喜んでくれれば、といろんなところへお出かけしますが、楽しいばかりじゃないのです。
どこへ行くかわからない、鉄砲玉みたいな子供を追いかけるのに必死で、一瞬も気を抜けなくてへとへとになって、虚しくて、情けなくて、もういや!と思うこともたびたびです。

それなのに。なんだろう、この日の二人は。
結局この日、夫と私は一度も携帯電話を使いませんでした。電話をしなくてもいい、夫が、悠太が、光太が、目の届く場所にいたのです。一緒にいたのです。
それが、なんともいえず、うれしい。


 少し前、K学園の園長先生と懇談がありました。
そのとき、園長先生が言われていたのが、「(周りと)共感する力」。おしっこやうんちがトイレでできただの、一人で食事ができるだの、そんな力よりも、もっともっと大切な、一番大切な力。その力が、悠太・光太にも芽生えつつあるんじゃないのか、と言われました。
確かに私も、その芽生えの3歩手前にいるような、芽生えの匂い(?)を悠太・光太に感じることが多くなったような気がします。
人の顔をよく見るようになったり、周囲のことが少しずつ見え始めているようです。

普通の子供なら、赤ちゃんの頃からしっかり育っている共感する力。
「わー、上手、上手」とまわりが拍手したら、なんだか自分もうれしくなって、わけ分からないけどパチパチしたり、お母さんが「これよ」と指をさしたものを見ることができたり。まだ言葉も喋れないヨチヨチ歩きの赤ちゃんが、「これ、ゴミ箱にポイして」と指示すると、難なくこなしてしまう。
そんな赤ちゃんの行動はみんな、共感する力があってこそ。

その、共感する力の乏しさこそ、自閉症の子供の特徴の最たるものであり、さまざまな成長をはばむもの、そして、この子たちの育てにくさの原因の一つだと思います。

悠太・光太の共感する力の芽生えの予感を前に、なんだか私もドキドキ、ワクワクしてしまうのです。暗闇ばかりだった子育てに、光がさす前兆を感じます。


この日曜日、派手なことをして遊んだ1日ではなかったけれど、温かなものを心に残した日曜日、私の気持ちの中に変化が生まれました。

今までも私は、悠太・光太のことを愛していた、と思っています。それなりに。
彼らのことで悩み、苦しんだのも、我が子だからこそ。
けど、理屈では分かる「我が子」という言葉は、私にとっては宇宙の果てほど遠くかけ離れたものでした。悠太・光太に「我が子」という言葉をあてはめたとき、いとおしさや湧き上がる愛情はありませんでした。
 「我が子」という言葉に、居心地の悪さすら感じていました。

 けど、この日、この夜、1日を思い返してみて、そこに座っている子供を見つめているうちに、「我が子」という言葉がすーっと自分の中に降りてきてました。
 それは、うれしくも、面映い感じ。
 片思いの人に、自分の気持ちを悟られまいと平然と振舞っていたけれど、想いが通じて、振り向いてもらえたときのような、気恥ずかしい感じ(たとえが悪いかな?)です。

 子供と私の間にかかっていたベールが、一枚はがれた気がします。
 自分自身が一番、この気持ちの変化に戸惑っているのですがね。
うれしい変化ですよね、これも。



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