<終わりに>
 昨年夏ごろ夫が「悠太と光太のホームページをつくりたい」と言い出したとき、最初は渋っていた私でしたが、最終的にGOサインを出せたのも、ようやく子供の障害を受け入れられるきもちになれたこと、そして私自身、どこかに自分の気持ちを表現できる場所が欲しかったということもありました。

 悠太と光太が生まれてから現在(2004年2月)までを振り返って書いた「育児奮闘記」。ただただ感情にまかせた文章になってしまって反省しています。
 最初は冗談めかしておもしろおかしく書くはずだったのに、内容はどんどん重くなっていく。こんなこと書く必要はないんじゃないかと思いながらも、苦しかった過去に自分で見切りをつけるためにはなくてはならない作業でした。
 
 たまに登場する夫は、とんでもない人でなしのように書かれていましたが、実は、料理以外の家事・育児はすべておまかせの満点パパなのです。悠太、光太のことを愛し、心配する気持ちは間違いなく私以上です。
 ただ、そんな満点パパとでも子育てする間で争いが絶えることはありませんでした。
それはひとえに、父親と母親の立場の違い、男と女の考え方の違い、気持ちのずれのせいだったのです。(けど、当時は本当に何度離婚しようと思ったことか知れません。)
 この親バカ満点パパのエピソードはたっぷり、後日また・・・

 一見、とても地味で普通に見える私たち夫婦。
でも、私は「人と同じように流されるのはいや!普通の人生なんていや!」と昔から紆余曲折の人生を歩んできました。夫も穏やかなおとなしい性格のわりには、「赤と黒の車どちらかを選べといわれれば当然赤でしょう!」という割と派手好み(?)、おまけにかなりのマイナー志向。
 よく、双子にしろ障害をもった子供にしろ、「親を選んで生まれてくる」と言われますが、そんな私たちは、かなり普通でない「障害をもった双子」に選ばれちゃったのかしら?(普通でないのにも程があるっていうのに・・・)
 私はともかく、夫はこんな状況を結構気に入っているようです。

「言葉が喋れない」、子供と言葉でのコミュニケーションがとれないことがとても辛く感じたときもありました。けれど、何らかの意思疎通ができる(ホントか?)ようになった今、「目は口ほどにものを言い」とはよく言ったもので、懸命に訴えかける目は真剣そのもので、かわいい!
とはいえ、私の夢はいつの日か子供に「お母さん」と呼んでもらうこと。でも、今のところそれはどうでもいいかな。二人とも「お母さん」と言葉で言えなくても、毎日いっぱい、「おかあさーん!」とからだ中で伝えてくれるからです。

障害児の親としてまだ駆け出し、自閉傾向のある子供と付き合いだしてまだわずかですが、
 「喋れないから、余計にかわいいよねえ」
 「そうそう!」
 そんな会話ができるようになった私たち夫婦、結構この子たちの親としていい線いってるんじゃないか、と自負しています。

子供の障害を受け入れる気持ちになれたとしても、障害を持ったことについて私の気持ちの中で葛藤がなくなったわけではありません。きっとこの先ずーっとその葛藤をかかえて生きていくんだと思います。
どうしてこの子たちが障害児なのか。どうして私がこの子たちの母親なのか。
この子たちを産んでよかったという自信はまだありません。私は人間ができていないので、この先何度も壁にぶち当たるたび「なんで産んだんだろう」と後悔するでしょう。
でも、ずーっと先、悠太と光太が成人したとき、「ああ、この子たちでよかったな」と思えればいいと思っています。

 光太にはまだ今のところ悠太のような目だった成長は見られませんが、以前のような不安はありません。どんな子も、その子なりのペースで必ず成長するんだと分かったからです。成長や発達を心配するあまり、もっと大事なものを見落としたくない。
 ゆっくり、ゆっくりでいい。
 笑顔で、笑顔で。

悠太、光太、そしてお父さん。
これからも、一緒に幸せになろうね。




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