All Bisque Babyのお部屋へ Jewel Eyesのお部屋へ
テートジュモー、7号の茶目ちゃんです。
身長約40センチ。もう一体のテートちゃんと比べると
母と子ほども身長が違います。
お顔が締まっているので、いかにもジュモーです。
この子を眺めていて、テートちゃんを見ると
テートちゃんのお顔が、おとなしーく見えてしまう。
利発そうなお嬢ちゃんです。

ボディーはリペイント無しで、とても良い状態。ただ、
見えるところでは無いのですが少し怪我をしています。
が、大丈夫。
もうすぐ、私が完璧に治すべく、
アメリカの通信教育機関で、勉強を始めることにしました。
洋服も、帽子も修理も全て大好きな私にとって
チャレンジングな分野です。
かわいそうなものに、手をかけずにはいられません。

茶目ちゃんが来た時、着ていたのは
寝巻きのような綿ピケのロングのワンピース。
そして、オリジナルと思われる、非常に古い下着のセットでした。
下着は全て手縫いで、1880年代のもののようです。
虫眼鏡で見ないと一見ミシン目かと思うような縫い目です。
ロックミシン。。。ある訳ない。全て折り伏せ縫い。
ごくろうさん。。。お針子さんの素晴らしい仕事ですね。

さて、現代のお針子、Yukoの仕事です。
ドレスは、古い幅広の織りのりぼんを接いで作りました。
ペイズリーの柄が織り出されているものですが、
裏に、おそろしく糸が渡っているので、
全て裏打ちが必要でした。こちらも、ごくろうさん。
アクセントに、黒のアップリケとレース。
新く作った下着のセットは、私のショップに写真があります。
古い方の下着は、洗濯、アイロンをしてしまってあります。

帽子は、古い幼稚園児の麦わら帽をほどき、
作りなおしました。縮緬のりぼんとのコンビネーションです。
靴下は、大人のものから、カットして。
靴は、最近はもうOK。どんどんかっこよく作れます。
黒のスエードです。レースのりぼんで結ぶタイプです。
一応、先の尖ったフレンチタイプ。ジュモーですから。

さて、お姉ちゃんジュモーの次は、弟のSFBJ です。
SFBJ ってなに???の方の為に、簡単SFBJ講座。
高級志向のフランスビスクは1880頃は絶好調。。。
だったのですが、1890年代になると
安価なドイツビスクにその市場を奪われて行きます。
そこで、危機感から、フランスの主だったメーカーが(1社ドイツ)
フランス人形玩具組合(Societe Francaise de
Fabrication de Bebe et Jouets)
という合同会社を設立しました。1899年のことです。
独自のラインをそのまま保ったり、
お互いにモールドや、ボディー、はたまた施設を提供し合ったりと
さまざまに、努力をしました。
ううう。。何か今の世を見ているような。厳しい。

1900−1910年頃は、ジュモーモールドで、
SFBJマークのものも作られました。
1907というマークのジュモーは有名ですね。
人によっては、ジュモーとは呼べない!。。。というようですが。。。

SFBJも、会社として整ってくると、独自のモールドも作り始めます。
60と301です。
60は、どちらかというと、安価なモデル、301はより高級モデルでした。
うちのぼっちゃんは、もちろん301ざます。

SFBJ社の大ヒットはブルーエットというお人形です。
1905年、カソリック系子供新聞の創刊に合わせて、購読予約をすると
お人形がもらえる。。。というキャンペーンプレミアムでした。
1号ブルーエットはジュモーモールド、
しかも、なんとEJですってよ!
(まあまあ。。写真見たけど、そんなでも無いです。。)

その雑誌では、お洋服が次々発表されて
当時のオートクチュールのテクニックを
そのまま、お人形バージョンにした着せ替えが販売された様です。
このお人形は、当時、少女達のファッションリーダーでした。

たまに、ブルーエットがどっさりの着替え付きで
オークションに出ています。

SFBJも1960年頃まで続き、大健闘だったようです。
このぼっちゃんは、1910−20年頃のものでしょうか。
アメリカのディーラーによると、「全てオリジナルざます!」
ということですから、「はい。。。」と素直に聞くしかありません。

耳にピアスがあるので、女の子と思ったのですが
作った後、ドレス、髪を付ける段階でどちらにも出来たそうな。
後年の作だけあって、ボディーの状態は
今出来たばかり?と思うほど綺麗です。
手、足の赤いラインもとてもよく残っています。

実は、私セーラー服に弱いんですよ。。。(は?)
ウールです。下に着ているブラウスのようなもの、
良い素材の丁寧仕立て。
マザーオブパールのボタン。
はだし。そう、靴無し。
オリジナルざますから。
これでいいんだそうな。「はい。。。」

さて、このぼっちゃん購入にあたっては
こんなに海外とのやりとりで苦労した事無い!
というほど、苦労しました。
郵便為替を送ったところ、先方から「まだ着かん。いつ着く?」
の矢の催促。2週間待ったが、もう限界、「転売するぞ」
のきつーいお言葉。
郵便局に、為替の紛失届けを出しながら、新たにアメリカの為替送付。
送ったとたん、「あら、日本の着いた」のメール。
あのなー。。。。(-_-メ)

結局アメリカのディーラーに為替が2つ。
どちらをキャンセルして、
どちらを送り返してもらう????
どうやって?
先方は、私宛ての為替をカードにはさんで
送りたいを譲らず。
ええーっ!無くなったらどうなるの?
日本なら、当然書留だよ。千円、2千円じゃ
ないんだから。。。
でも、譲らず。。。(-_-メ)
負けました。着きました。無事。
でも、たくさん取られました。手数料やら、
何やらで。くぅー。。。(T_T)(T_T)

さ、気を取りなおして。無事着いたんだから。

おふらんす姉弟。
フランス人形界の悲哀を知ってか、知らずか。
黄金期と、衰退期代表。

勝気な姉。普段は弟には厳しい。
でも、いったん誰か弟をいじめでもしたら
だたではおかない。許さない。

弟も、怖いんだけど、姉が好き。
複雑な気持ち。
あら、家の娘と息子のような。。。

SFBJも後の時代になるほど、お顔が濃ーくなっていきます。
時代をよく反映しています。
ぼっちゃんは、初期のお顔です。
お化粧が濃いと、お人形らしさが無くなるような。。

購入した時は、日本に着いたら絶対ドレスを着せる!
と思っていたのに、
茶目ちゃんと姉弟にしてしまったら、
もう、これでよくなってしまい
ドレス計画は、珍しく立ち消えです。

今日も、二人は仲良くお手手をつないで
わたしの部屋にいます。
「ほら、ぴえーるったら!はやく!
もうおうちへかえるのよ!はやくってば!」
(ここんとこフランス語ね)

でも、本当はやさしいお姉ちゃんです。

FIN


All Bisque Babyのお部屋へ Jewel Eyesのお部屋へ
(Mar. 27, 2002)


このページのTopへ
©2001-2014 Y`s Antique Doll Museum
All rights reserved

*このホームページはWin7/IE11/解像度1280x1024で作成/動作確認をしています。