携帯電話の街

いまや2人に1人の割合で使われる携帯電話ですが、IT革命の流れにあってか、その勢いはとどまるところを知りません。通信白書によれば、2005年には、携帯電話やPHSなどのいわゆるモバイル端末の所有件数が8000万件近くにまで達すると言われています。周囲がどんどん購入する中、僕は「時間まで束縛される感じがするので絶対に持たない」などと言い張っていました。しかし、昨年ついに、販売を手がける知り合いの勧めで持つこととなったのです。

いざ持ってみると大変便利なもので、出張先から連絡するとき、テレフォンカードや小銭がないとき、通勤途中で電車が止まってしまったときなどなど、活躍する場面はそれなりにありました。それから、視覚障害同士で待ち合わせをしたときに、これまでは1メートルも離れていない所でお互い立っているのに気付かず、いらいらする場面が何度となくありましたが、携帯電話を使うことでお互いの位置を簡単に知ることができるようになりました。
 いまでは、背広の内ポケットに入れておくことがすっかり習慣となっていて、ポケットにあるというだけで一種の安心感のようなものまで感じています。そんな、もう手放せなくなってしまった携帯電話を胸に収めて、電車に乗っていると、いつものように駅員の放送が車内に流れてきます。

「車内での携帯電話の使用は他のお客様のご迷惑となりますので、ご遠慮くださいますようお願いいたします。また、心臓ペースメーカー等の医療器具に悪影響を及ぼす可能性がありますので、車内混雑時は電源をお切りくださいますよう、ご理解とご協力をお願いいたします」

それを聞いた僕は、電車に乗る前に電源を切っておいた胸の携帯電話のボタンに指を当てて、もう一度電源が切れているかを確認しました。そして、あの人はどうしているのかと思い浮かべました・・・。

あの人と出会ったのは板橋の三田線沿線に住んでいた頃で、すし詰め状態の地下鉄の中でした。朝のラッシュ時は駅に停車するごとに乗り降りする人の波が僕を容赦なく襲い、白杖とカバンを手にしながら僕は車内をくるくる回っていました。そんなとき、回転していた僕の手をつかんでその手を手すりにつかまらせてくれたのがあの人でした。

それからというもの、あの人と僕は毎日のように同じ車内で会い、水道橋で乗り換えるまでの間にいろいろなことを放しました。一度お宅にお邪魔して料理をご馳走になったりしたこともあり、逆に「音声でしゃべるパソコンを見てみたい」というので、家まで来てもらったりしたこともありました。

あの人の首からはプラカードがぶら下がっていて、そこには氏名や連絡先の他にかかりつけの病院名と病状が書かれていました。「心臓ペースメーカー」というものを知ったのはこのときが最初だったように思います。

いつも落ち着いた口調で話すあの人は歩く速度も一歩一歩ゆっくりとした歩調で、階段を上りきるといったん呼吸を整えるためにそこで少し休みます。水道橋の交差点はなかなか信号が変わらないので、待っている人は大勢いました。僕らにはそれが逆に好都合でした。

ペースメーカーをしているといっても、見た目には全然わからないわけで、隣に腰掛けた人がまさかペースメーカーを使用している人などとは夢にも思わないはずです。板橋から引っ越して10年余りが経って、あの人ともそれ以来お会いしていませんが、当時は携帯電話がこんなふうに普及するなんてことは考えもしませんでした。

これだけ携帯電話が普及した街の中であの人はいったいどうしているのでしょうか。おそらく、前に比べて住みにくくなったのだろうな、などと考えながら、扉の横でなおも電話している人の会話を聞いている僕でした。

新聞やテレビで情報を受け取っても他人事にしか感じないのが正直なところですが、近しい人にそれが起こると、それはもはや他人事ではなくなります。そういう意味で、あの人は僕に貴重な経験をくれたと思っています。

皆さん、これからは携帯電話ではなく、なるべく電波の弱い「PHS」に替えましょう!


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Last update: 2000/10/22