H.R.ギーガー

いつものように僕は本屋で化学系の雑誌を立読みしていました。化学系の雑誌といっても、難しい論文を読むのが目的だったわけではなく、主にグラビアの写真や絵ばかりを眺めていました。このとき僕は中学3年生くらいだったでしょうか。

ぱらぱらページをめくっているとき、1枚の小さな絵が目に飛び込んできました。その瞬間から、僕はすっかりそれに心奪われてしまったのです。

それは、上から下に向かって無数の金属の管が暗いバック全体に走り、その中央に無表情の女性と思われる顔が描かれた絵でした。顔には頭部がなく、また首から下もありません。代わりに、その先は細い金属の管へとつながっているような感じです。言葉にしてしまうと、ただ単に不気味でグロテスクな絵になってしまいますが、無機質な管の中にぼーっと浮かぶその顔は何とも神秘的で、とてもきれいでした。絵の横には江戸川乱歩によく似た下唇の厚い男の人が写っていて、こちらをギョロっとにらんでいました。

その後、友達とコンサートを見に行くため東京へ上京したときのことです。初めての東京だったこともあり、僕らは買い物や観光を楽しむどころではなく、ただひたすらコンサート会場のある水道橋へと急ぎました。その結果、コンサート開始数時間前に後楽園へ着く羽目になりました。僕らは時間をつぶすため、近くの本屋に入りましたが、そこで僕は1冊の本を発見します。

それは大判のどっしりと重い画集で、表紙には「ネクロノミコン」と書いてありました。

「あ、あの人の、H.R.ギーガーの画集だ!」

 僕はすっかり興奮してしまい、神秘的な絵の数々を時間の経つのも忘れてずっと眺めていました。やがてコンサート開場の時間となり、その場を離れなくてはならなくなりました。そこで僕は悩みます。

「いま買ってしまったら、きっとコンサートに来た大勢の人にもみくちゃにされてしまう。かといって、いま買わないときっと誰かに買っていかれてしまうに違いない。うーむ、どうしよう!?」

悩んだ末、僕は店の人に「絶対コンサートが終わったら買いにくるから」と懇願し、誰にも売らないよう言付けてからコンサート会場へと向かいました。コンサート中、気持は画集が買われてしまっているのではないかと気が気ではなく、拍手どころではありませんでした。ちなみに、このときのコンサートは「デュランデュラン」です(サイモン、ごめんね)。

コンサートが終わると、僕は真っ先に本屋へと向かい、他の本の下に隠しておいた画集をようやく手に入れることができました。その日はあいにくの雨でした。本屋で包装してくれてはいたものの、あまりに本が大きかったので包むことができず、半ば剥き出しの画集をぬらさないように細心の注意を払いながら僕らは東京を後にしました。

「ネクロノミコン」の後に「ネクロノミコンII」が発刊されましたが、それも手に入れました。実家はとっても田舎なので大きな本屋がなく、ちょっと特殊な本になると取り寄せなければなりません。本屋から入荷したという連絡が入るまでどんなに待ちわびたことか。また、この画集は1冊5000円もするので、学生だった当事は大変な出費になったことは言うまでもありません。冒頭に出てきた「管の中に浮かぶ顔」の絵は「ネクロノミコンII」に収められています。

エアブラシを用いて描く彼の絵は独特の質感があり、どれもとてもインパクトがあります。彼の作品で有名なものに、リドリー・スコット監督の「エイリアン(79年アメリカ)」に登場するエイリアンのキャラクタがありますが、とても不気味でありながらエレガントで美しいデザインです。フィギュアも販売されていますが、1体数万円もするので買えません。ただ、見えなくなったいまでも、彼の作品1つ1つを忘れることはありません。

ギーガーのUSサイト


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Last update: 2000/10/15