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SIOPについてー1

 いままでBー36爆撃機が現役だった時代における爆撃目標について、資料を紹介してきましたが、もう1冊紹介したいと思います。SIOPとは(Single Integrated Operational Plan)すなわち単一統合作戦計画の略です。なぜ単一かというとアメリカの全3軍の核兵器を使用する唯一の戦争計画だからです。この本には第二次世界大戦終了後の冷戦黎明期から1980年代前期までの戦争計画について書かれています。

 ここではBー36爆撃機に関係ある第2章を、長いですが全文掲載したいと思います。

SIOP

アメリカの核戦争秘密シナリオ

ピーター・プリングル/ウイリアム・アーキン 著

山下 史 訳

朝日新聞社 1984年 刊

(Pー38)

2 核権力の始動

稲妻とオリーブの枝

 プロペラ軍用機のロマンチックだった時代に、通常爆弾を投下した第二次世界大戦中の誇り高い爆撃機パイロットたちは、完壁な破壊ということを表す隊章やモットーを待っていないような航空隊には、決して参加したいとは思わなかっただろう。「強打必中」がイギリス空軍爆撃隊のモットーであり、その隊章は力、熟練、覇権、そして死のイメージを表していた。アメリカの航空部隊も同様な隊章とモットーのもとに創設されたが、ひとつだけ重要な例外があった。それは戦略空軍(SAC)である。核時代が到来しつつあり、確証破壊による抑止政策が姿を現し始めていた。この新しい時代は、好戦的ではなく、平和維持者であると同時に保護者でもあるという、アメリカの新たな二つの役割を表すなにかを必要としていた。爆撃機パイロットは新しいイメージを求めていた。大衆の心を広島・長崎の恐怖からそらさせ、爆撃機がまだ社会にとって必要なことを説明するものである。将軍たちは、SACの新しい隊章に、綿毛のような白雲の浮かぶ青空をバックに鉄甲をはめた握りこぶしを選んだ。こぶしには三本の赤い稲妻と緑鮮やかなオリーブの枝が握られていた。将軍たちが選んだモットーは「平和こそわれらがつとめ」である。これはアメリカで生まれた広告コピーのなかで、間違いなくもっともすぐれたもののひとつだろう。マディソン街の一流コピーライターですら、これ以上ぴったりのものはつくれなかったにちがいない。

 この隊章はまず、一九五二年、ネブラスカ州オマハ近郊のオフアット空軍基地のSAC司令部で一般に公開された。アメリカの核攻撃部隊として戦後創設されたこのエリート航空軍団、SACの創立六周年記念行事の一環としてであった。その責任者は、第二次大戦の元爆撃機乗りカーチス・ルメイ将軍だった。ルメイはSACのメンバーが提出した六○点を越す候補作品のなかから、みずからこの隊章を選んだのである。

 新しい隊章とモットーは、まぎれもなく戦後のアメリカが直面していたジレンマを正確に映し出していた。すなわち、一方で平和と進歩をめざし、他方で戦争準備を進めるというジレンマである。だが同時に新しい隊章は、オフアット空軍基地で行われていた、お世辞にも平和を追求するなどとは呼べるしろものではないことの本質をおおい隠すことにもなった。

 ルメイは、戦後、復員や海外占領、そして予算削減など、さまざまな間題のために綱紀がゆるみ、いくぶんないがしろにされていた空軍部隊を、SACに在任した四年間に、アメリカの核戦争作戦計画の有力実行部隊へと一変させた。空軍はアメリカの最優先任務、すなわちルメイのいう「大量かつ迅速に一撃で」行う対ソ核攻撃を遂行できる機動部隊を創設したのである。ルメイは原爆の運搬が可能な爆撃機の数を六○機から三○○機近くにまで増やした。彼の爆撃機クルー(乗組員)は高度な訓練を受け、ルメイが奨励して開発させた特殊な飛行捕助装置を装備していた。飛行の際、クルーが携行するソ連地図には攻撃目標のあらゆる地理上の特徴が詳細に示されていた。一九四○年代後半、当時アメリカの兵器庫にはわずか数発の原爆しかなかった。この時代の攻撃目標はソ連の大都市・工業センター、少数の大規模空港、大港湾であった。一九五○年代の半ばになると、大都市から小規模産業、ちっばけな川の渡し場にいたるまで、五○○○から六○○○か所の目標がアメリカの情報機関によって確認されていた。そのうちの一七○○か所がSAC部隊の攻撃目標とされ、うち四○九か所は空港であった。これらすべての目標への攻撃を一時に行うことはとうてい無理だったので、ルメイはおよそ七○○発の原爆を第一次攻撃として投下する「最適計画」作成の作業を進めた。同計画では、数方向から同時にソ連に接近する飛行機が、これらの原爆を投下することになっていた。爆撃機がソ連の早期警戒レーダースクリーンを通過した瞬間から任務終了にいたる全作戦に要する時間は、およそ二時間とされた。攻撃の方法としては「既定コースに沿って爆撃」するシステムが用いられ、爆弾が残ればすべてモスクワに投下する予定になっていた。

SAC司令部を訪れる高級将校たちは、モスクワに次第に集中する太い黒い線に侵されたソ連地図を前に、同計画の概要についてのブリーフィングを受けた。目標は色さまざまな星印で正確な位置が示されていた。海軍将校のウィリアム・ムーア大佐は次のように述べている。「ブリーフィングの終わりには、2時間もたてばロシアのほぼ全土は煙がたちのばり、放射線で汚染された廃虚と化してしまうにちがいないと、誰もが考えるようになった」。

つづく