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最近、この「ミッドナイト・スラスト」の背景になったと思われる事実が書れた本をみつけました。

 ジェット機時代

 奥宮正武 著

 (株)朝日ソノラマ 

 1982年 刊

 本書は1953年に「ジェット機以後」の題名で刊行された本で1982年に文庫版として出版されたものです。

 この本が書かれた当時は、まさにBー36爆撃機が現役であったときで、第3部の第2次大戦後の世界の航空情勢の所でアメリカとソ連の空軍整備状況が紹介されています。

 さて、本題にもどりますがスターリンが死去したのは1953年3月5日です。「ジェット機時代」のP299に、

 〜1953年3月、西ドイツの国境付近で、ソビエト機がイギリス機を攻撃したことであった。これがきっかけとなったのであろう。ヨーロッパでは第2次世界大戦終了後最も大規模な防空演習が行われている。3月16日、フロレンス発AP電はこれについて次のように伝えている。

「南ヨーロッパで、戦後最大の防空演習”ニュー・ムーン(新月)”が本日以降、陸、海の基地から発進した模擬飛行機隊の空襲によって行われる。〜

という記事が紹介されています。

 またP297に、

 〜そのアラスカで、第2次世界大戦後始めて、実際の空襲警報が発せられて、アメリカ人を驚かせた。その時の模様を1953年3月12日、フェアバンクス発AP電は次のように報じている。

「フェアバンクスのニューズ・マイナー紙は、

『”黄の空襲警報”が、8日の夜10時に、アリューシャン群島、アンカレジ、フェアバンクスの各地区に発せられた、ことが本日発表された。これは第2次大戦後始めてのほんとうの空襲警報であった。民間航空路の飛行場は一時閉鎖され、外出中のパイロット等は基地に帰還するよう命令が発せられた。』と報じた。

(ワシントンでは、空軍は、『”黄の空襲警報”が短時間発せられたが、非常に短時間で、何もなかったらしく、詳細の報告はとどいていない』といっている)

ニューズ・マイナー紙は、また『民間防衛便覧には、『”黄の空襲警報”は秘密警報で、”アメリカ合衆国に対する空襲ということは確実ではるが、被空襲目標がはっきりわからない時に発せられるもの”、と書いてある』とも述べている」〜

 という記事が紹介されています。

 これらの記事は「ミッドナイト・スラスト」ようにBー36爆撃機によるアメリカ本土爆撃演習を裏ずけているのでしょうか?さらに「ジェット機時代」のPー109には、「ミッドナイト・スラスト」のラストに書かれているように、3月19日にRBー36一機がニューファンドランド東岸に墜落、乗員23名全部が殉職したとの記事がのっています。このような記事から推測するに、やはりスターリン死亡直後のソ連を挑発するようなアメリカ戦略空軍の先制攻撃ミッションがあったことは疑いなさそうです。

つづく