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映画「戦略空軍命令」について

 Bー36は1948年に初飛行以来、1959年に退役するまで385機が生産使用されました。Bー36がアメリカ戦略空軍の中心機種であった1950年代は、アメリカにとってどういう時代だったのでしょうか?この点を考える上で「戦略空軍命令」という映画の内容を少しかたってみたいと思います。

 第2次世界大戦中、優秀な爆撃機パイロットで今はプロ野球の選手であるダッジ・ホランド(ジェームス・スチュアート)のもとに予備役召集の通知がくる。21ヵ月の兵役は現役の野球選手としては耐えられない期間であったが国の命令にはしたがわない訳にはいかなかった。戦略空軍のカーズウエル基地でダッジはBー36爆撃機のパイロット兼作戦将校の少佐として勤務につくことになる。そして日々の厳しい訓練の中から戦略空軍の重要性を彼は認識していく。時代はBー36からBー47ジェット爆撃機に移り、彼はアメリカ本土から沖縄までの無着陸編隊飛行の実施責任者となる。その中で野球選手に戻ってもらいたいという妻の気持ちと、空軍の仕事への情熱の葛藤が描かれている。

 基本的には戦略空軍のプロパガンダ映画に間違いないのですが、1950年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ国内にマッカーシー旋風が吹き荒れ、1953年のスターリンが死去、ソ連の水爆開発成功というように冷戦の緊張が非常に高かった時代の話です。


 この時代のことについてはつい最近よんだ本で

 ステルスーカンクワークスの秘密

 ベン・R・リッチ著、

 増田興司 訳、

 講談社 1997年刊

 に1955年の世論調査の結果、アメリカの成人の半分以上が老衰より核戦争で死ぬだろうと考えており、心配症の人は自宅の裏庭に核シェルターをつくっていたという記述があります。(Pー175)しかしこのような米ソの緊張が高かった時代にもかかわらずこの映画のなかには、主人公も含め、予備役召集に不満をもらす軍人が出てきます。多分この部分あたりに当時の平均的アメリカ市民の感情があらわれているのでしょう。「戦略空軍命令」はアメリカ政府の政策を第2次世界大戦後、世界一裕福な国になったアメリカ国民に理解させるための映画でした。

 なお上記の本はFー104、U-2,SR-71 の開発責任者であるケリー・ジョンソンのもとで働き本人はFー117ステルス戦闘機を開発したベン・R・リッチの自伝ともいえるもので、特にU-2 開発の記述には米ソとも水爆は開発したものの、それを運ぶミサイルはまだ持っていなかった時代(まさにBー36が主役だった時代)のアメリカ政府の裏の行動が描かれていて興味深いです。

 さて映画の話にもどりまして、この映画のすばらしい空中撮影シーンは「翼よ、あれが巴里の灯だ」「飛べ、フェニックス」のポール・マンツがおこなっています。ポール・マンツについては航空情報1973年6月号臨時増刊、人間航空史、Pー151、ハリウッドの空の王者 PAUL MANTZ  大谷内一夫 著 を参考にしてください。最後に蛇足ですが、この映画に私を連れていった母は、主人公が妻ととる朝食にでる、オレンジジュースとスクランブルエッグの献立、そしてキッチンのレンジと大きな電気冷蔵庫のあるアメリカ家庭の生活が、とてもうらやましくおもったそうです。この映画が公開された日本ではまだ電気冷蔵庫も洗濯機も、普通の家庭にあるなんていうことが夢みたいな時代だったのです。


(2000/10/28 UPDATE)

「戦略空軍命令」ポスターRESOURCE(Tt-SQUARE)

つづく