(2007)
ここはひとり言日記風、落書き風写真など
何でものせちゃおー。コーナーです
◇10月25日◇
来月で民生の3年の任期が終了して、
後任の人にバトンタッチすることになってちょっとほっとしている・・
3年間の間にはショックな事も多くて、色々考えて眠れない日もあったりしていたけど、
これからは中学校には出向く事がないなぁと思っている・・
文化祭のバザーが品物が少ないと聞いて、
何か少しでもお役に立ちたくて、ほんのちょっとだけど、
余り布で作った土瓶敷きを持っていった・・
ちょっと頑張って切れのいい数で10個・・(^_^;)
(姉から作り方を教えてもらった土瓶敷き)
小さいのがだいたい12cm四方で少し大きいのが15cm・・
生地をひも状にする為、ミシンでひたすら縫います・・
あとはキルト生地の上に乗せて紐を互い違いに組み合わせて
四方だけ縫い付けてあとは縁をバイアスで仕上げます・・
家にある余り布から選ぶのだけれど、いまいちの生地ばっかりで
色合わせがちょっと大変でした・・(~_~;)
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◇10月19日◇
深川江戸資料館小劇場で行われた
ほおずきの会主催の「月の夜ざらし・考」の舞台を観る・・
お話の会の代表のIさんが出演しています・・
「月の夜ざらし」というのは佐渡の民話で、なんとも不思議で
日本の民話で似たものが各地にあったりすると言うのを聞いたことがあるのですが、
この民話は佐渡の他、どこにも類似した物がないということもあり、
ある意味とても異色な民話と思えるのですが・・
物語はだいたい、夫婦がようやく授かった娘がやがて婿を取り
夫婦として1ヵ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎた頃、
娘が何がどうということもなく婿が嫌になった・・
しぐさやらなにやらはては箸の上げ下ろしまで・・
一緒どころか顔を見るのもいやになった・・。
山の沼のほとりに住んでいるお婆に相談をすると
満月の晩に糸を紡ぎ、その次の満月の晩に機にかけ、次の満月の晩に布を月にさらし、
次の満月の晩に着物に縫い、婿どのに着せなされ、ただ人に見られてはいけないと言われた。
娘は言われたとおりにして、いよいよ満月の晩に婿に着物を着せると、
婿は黙って、ふらぁっと出て行った・・そしてそれっきり帰ってこなかった・・
娘は自分のした事なのに帰らないことを気に病んで、又沼のお婆をたずねると・・
月の良い真夜中に六道の辻に立っていなされと言われた。そしてそうしていると、
満月の晩にきせた着物を着た夫が近づいてきて、娘のそばを通り過ぎながら
細い声で、「月の夜ざらし 知らで着て 今は夜神の供をする」と、
つぶやくようにうたいながら遠く去っていった・・。
というとても不思議で興味深い、また結論めいたところもなく、
それぞれの思いや感じ方でいいように思い、
また深く考えさせられもします・・
一部は三人の人が三人三様の原話や再話のお話を語り、
二部では登場人物の心情を役の人それぞれが証言をする形で演劇をしていました。
全部で2時間近くのものでしたが二列目に座っていて、
顔の表情とかはっきり見えて、ほとんど固まった状態で観ていました・・
Iさんは一番最初に出演で、
鈴木棠三『佐渡島昔話集』所載・原話「月の夜ざらし」の語りと村人の役で出演で、
村人の役は聞いていたのですが語りをすると思ってなくて、プログラムを見てびっくりです・・
さすがIさん、語りも役も素晴らしいもので感嘆でした・・
出演者は全員で9人ですが、2時間たっぷりお話の世界を楽しむ事ができました・・。
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◇10月8日◇
紙皿に動物の絵とその動物の食べる物を描いてます・・
会の代表のIさんがお友だちから教えてもらったのを
又私たちに教えてくれて、ちょっと作ってみました・・
紙皿を中心まで切って、動物の上に食べる物の絵を重ねて
食べる方をクルクル回して食べる様子を表わしながら
ムシャムシャムシャとかモグモグモグとか言いながら回していく仕掛け遊びのような物です。
小さい子向けのおはなし会などでお話の合間に使えそうです・・
象さんのりんごは、ちょっと大きい感じだけれど、
大きさよりも段々と食べる物が消えていくと同時に動物の顔が出てくるという面白さ・・
初めてIさんが実演しながら見せてくれた時はほんとに感激しました・・
22センチの紙皿で作ってます・・
いつか使ってみたいなと思って・・
絵はアクリル絵の具で、本とかネットのイラストを取り込んで見ながら描いてます・・
(画像は写真三枚をはぎ合わせていてちょっと変です・・(~_~;))
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◇9月26日◇
13日に大阪に行って一年ぶりにTと会い、
14日は自転車で、ニトリのお店を探しながらぐるぐると走りまわり、
午後は近くの美容院へ・・
15日に南紀白浜温泉へ一泊旅行へ行って帰ってきてから
16日の夜、38度7分の熱がでた・・
その後二日間はお父さんのベットの上で横になっていた・・
18日に姉と会うのをキャンセルし・・
お父さんに連れられて高層ビルの中のクリニックに診て貰い・・
「明日帰る予定なんですけど・・」と言うと
「それじゃぁ、ちょっと強いお薬にしましょう」と、もらった薬が効いて
一日の内に3度くらい下がって35度6分に・・
さすがに重たい荷物を抱えて1人では帰れず、
20日の夜ちょうどお父さんの出張があったので一緒に帰って来た・・
旅行は楽しかったけど・・ちょっと疲れが出たのかな・・
*
15日の無計画の一泊旅行は
朝の渋滞にも見舞われながらようやく大阪を抜けて
立寄り湯の(有田川温泉、鮎茶屋)でお昼を食べて一休み・・
和歌山、白浜温泉は、
おばあちゃんが一人座っている小さな観光案内所でたずねると、
もうほとんど宿はなく、「一泊4万円のだったらあるけど・・
あとは国民宿舎で一軒だけだけど夕食無しの4千300円というのがあるよ」と言われ・・
我ら小市民は当然のように4千300円の宿に決めた・・
4万円の宿にどんな顔して入っていいか分かんないし・・(~_~;)
宿に行く前に近くにある観光名所の千畳敷の海岸へ行きました。
(千畳敷)
黒潮に削られて何層にも連なっている岩肌がそびえています・・
湿った夕暮れ時の潮風に吹かれて
荒々しく岩にぶつかる波しぶきは
何か気持ちが急き立てられるような思いです・・
でもなかなかシャッターチャンスが上手く合いません(>_<)
旅館の温泉は、さすが名高い白浜温泉とあって、熱くてとても気持ちが良いのです・・
テレビのチャンネルがボタン式で、ちょっとレトロな感じも旅の思い出です・・
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16日は時々ぱらぱら雨が降ったりしたけどだいたいは良いお天気で
午前中熊野本宮大社をお参りです・・
![]() (のぼりが立ち並ぶ本宮へと続くちょっと長い階段) |
![]() (本宮へ入るこの門の先はカメラ禁止で、軒先手前で撮ってます(~_~;)) |
![]() (神の使者と言われている三本足の八咫烏は日本サッカー協会のマークですネ) |
![]() (手洗い水の所の龍の像・・アップは怖いです) |
社殿が横一列に整然と並んで建っている風景は、とても厳かな感じで、
お参りの後で五つの社殿のお参りの順番を書いていたのを発見して
間違えた順番のお参りの仕方をしたのでちょっとがっかりでした・・
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次の目的地の高野山金剛峯寺をナビの通りに
曲がりくねった山道を登っていくのだけれど、なかなかたどり着かなくて、
突然急に沢山の人が居る所に出て、見るとそこが高野山です・・
苔むした大きな石塔がいくつも立ち並び
そこに眠る人々の歴史が刻まれています・・
200〜600年の樹齢と記されているスギの樹木もまた、
日本の歴史を刻み、500ヘクタールに739本が特別母樹林として
番号が付いて国が保護しているのだそうです・・
あまり眼にする事のない太い太い木々達が
沢山のお墓を守っていました・・
帰りはまた日帰り温泉
天然温泉、野半の里「蔵乃湯」老鶴館へ・・
露天の打たせ湯と内風呂に飲泉ができる温泉が出ていました・・
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9月20日
夕暮れ時の新幹線から見える景色の中に、
田んぼの稲が黄色に色付いてます・・
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◇9月6日◇
2学期の読み聞かせが始まった・・
今日のクラスは「なかよし」さん・・
今年から学校に新しく出来たクラスで
一年生の男の子1人と女の子1人の二人だけのクラス・・
そしてわたしたちも初めての読み聞かせ・・
二つの小さな机のすぐ前で、
Oさんがピクチャーボックスを問いかけながら見せて、
次に私が絵本を読んで
つぎOさんの虫の図鑑の絵本を
話しかけながら見ていくという形で終わった・・
用意していた何冊かの絵本はこどもたちと会ってから決めようと思っていて、
「かじってみたいな、おつきさま」を選んだ・・
「つぎはおばさんが絵本を読みますね」と言って絵本を手にしていたら
男の子がさっとその絵本を取って
一ページずつパラパラパラパラとめくっていった・・
最後までめくり終わったのを見て、それから、
「じゃぁ、これから読みますね」と言って読み始めた・・
手にして自分の体で感じていたい・・
言葉が出てこなくも、パラパラとめくる眼は真剣そのもので・・
それは十分に感じ取れたのです・・
読んでいる間、女の子は大人しく見ていて、
男の子は見ていたり、見てなかったときもあったけど・・
読み聞かせはそれぞれがそれぞれの感じ方でいい・・
いろんな人たちと触れ合う事が二人の刺激となって、
弦を弾くように、振動がゆっくり永く響いていってくれるといいなぁと思ってる・・
心身の病名的なものは知らないけれど、それは単なる理由付けの名称として・・
そんなことにはこだわらず、それぞれが自ら持っている個性として
これからもふれあっていければいいなぁと思ってる・・
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(ちょっと前に作ったキュコット透明タイプ/大体5cm四方のキーホルダー)
(絵はイラストレーターさんのイラストを写して描いてます。
キュコットというのは100円均一で売られている
ハンドメイドキーホルダーで
油性マーカーでプラスチックの板に絵を描いて、それをオーブントースターで焼くと
そのままぎゅーっと約4分の1に縮まってしまうちょっと不思議な工作です。
遊び心で作ってみたけどちょっと感激でしたよ(^_^;))
イラストレーターさんはこちらです
◇9月2日◇
武蔵野公会堂和室で開かれたT先生のお話会に行く・・
その中で何人か他の人もお話をした・・
昔話の面白さは、『到底ありえない』と思うようなことでも、
聞きながらまるであるようにまざまざと思い浮かべ、
その可笑しさと面白さ、はたまた怖さや悲しさまでも、
頭の何処かで不思議に思いながらも、
まるで子どものように素直に思い浮かべられる醍醐味にあると思う・・
と思いながらもあながちそうでもなく、
お話の中にはまるで現実味を帯びた話も多々あって、
今回、「牡丹」というお話をした男の方のお話は、
真に迫って、登場人物の「息子」はまさにその人であったように思われたのです。
雨宿りをしていた旅の若者がその軒先の家に休ませてもらうことになり、三日三晩の長雨に降られ、
その家の娘(母親が娘が生まれる時に牡丹の花が咲いた夢を見たので、牡丹と名づけた娘)が気に入り、
娘も若者が気に入り結婚の約束をする。・・
若者が家に帰り、父親に娘の事を話すが、父親は、
息子の結婚相手は父親である自分が決める事だとして息子の言う事を聞かず、
その事を娘に言えずに半年、一年と過ぎていった。
娘の方は、何の知らせもなく半年後に、病に倒れ、薬も効かず一ヵ月後に死んでしまう・・
息子は牡丹が気になり牡丹の村へ行くが死んだと聞かされ、
牡丹の墓にお参りをして大声で泣いた・・
すると墓の上から美しい牡丹の花が咲いた。息子はそれを見て大声で、
「牡丹は生きている、牡丹は生きている!」と何度も叫びながら、家に帰り
父親に向かって「父でも息子でもない」と言って家を出る・・
その息子を父親が追いかけていくと、龍が現れて息子と父親に襲い掛かるが
その時、一本の牡丹の花が生えてきて、二人を茎で抱えて父と子の身を守るのです。
その後龍は消え、息子も消え、一瞬にして牡丹の花の上に鳳凰が止まり、
牡丹と鳳凰がまた一瞬にして消えてしまい、
そこには父親だけが残されていた。というお話だけど・・
お話の中で、息子が「牡丹は生きている・・牡丹は生きている」と叫び続けながら
家に帰るあたりから、お話をしているMさんが涙を浮かべて時折声を詰まらせている・・
愛した娘を恋焦がれて、亡くした事が信じられず、咲いている花を見て生きていると信じ、
精神の混乱を招いて気が違ったようになる・・
「牡丹は生きている・・」と言い続けるMさんは、それは演技というものでもなく、
息子に成りきっているようでもなく、まさに、
Mさん自身がそうしているように見えて、真に迫っていた話し方だったのです。
:
私は高を括っていました・・
牡丹は確かに想いを募り、案じて案じてとうとう病に倒れ死んでしまった・・
女性の命を落とすまでもの想いというのは分かっていたけれど・・
お話では鳳凰になって召されていったが、
最愛の人をなくした悲しみで、その悲しみで気を狂わせ、死に召される男の人がいるだろうか?
後を追って自殺するというのではなく、気持ちが体を狂わせて死ぬことが・・、と思いながら、・・
Mさんを見て、この男の人は本当にそうかもしれない!・・と思ったのです。
眼から鱗が落ちるというけれど、1人でもそう思える人を眼にしたことが
私にとってはとても大きな発見です。
そしてそう思えることが少し嬉しいのです・・
悲しいお話をする話し手は、自分で練習している時に泣きつくして
お話する時は自らが泣いてはいけないと何かに書いてあったように思ったけれど、
Mさんは話している内に感極まって、声をつまらせ涙を拭いていた・・
お話は話し手自身を表わしているというけれど・・
もしかしたら、Mさん自身が実際に
過去にご両親に反対されたりという経験があったのでは?と思ってしまったのです。
でもそれは勝手な想像なのですが・・
そして私は又ひとつお話によって、
自分の狭い考えや心に教えられたのです・・。。
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