ATOのFM Sakudairaミキサー日記

introduction(序章)


 遡ること今から15年前(え?そんなに昔だったっけ?)私は長野市内のマンモス中学校の吹奏楽部に在籍するパソコン少年でした。当時は、オーディオとパソコンのブームが一緒に来たような時代でして、パソコンならPC-8801mk2SR FM-77AV XIturboが主流、ミニコンポなら、ソニーのリバティーやパイオニアのプライベート、ケンウッドのロキシー、ナショナルはテクニクスなんていうブランドを使っている時代でした。
 中学生という多感な頃がそんな時代だったため、私はオーディオとビデオ(当時はコピーガードが無かったのでレンタルビデオ最盛期でした。)そして、8bitパソコンに夢中でした。

 そんなころ、同じ吹奏楽部に在籍し、親友であるY田(通称:隊員M)と私は、吹奏楽関連のクラシックサウンドとアニメのサントラ(中学時代アニメ本体にはそんなにのめり込まなかったが、映画を含めてサントラには結構ハマッタ。)を聴いたり、編集したりして楽しんでいた。吹奏楽時代は私はファゴット(バスーン)という木管楽器を、Y田はチューバを担当しており毎週土曜日の部活の練習の後は彼の家でCDを聴いたり、ミキサーなどを使ってテープを編集したり、4スピーカーでサラウンドを楽しんだり・・・・と、貧弱な機材ながらもながらもオーディオを楽しんでいた。

 その後、中学を卒業して以降も交友は続き、私は完全にビデオ&パソコン方面に向かい、Y田はオーディオ&ビデオ方面に向かうこととなった。

 高校になるとバイト代なども入るようになりお互いに機材の充実も進み私は高校生の分際で「EDBeta PRO 9000」や「LDP730」などのビデオを購入しており、彼はDATやミキサーなどオーディオの編集方面に走っていた。

 高校時代、彼は演劇の音響を担当するなど、その音に対する拘りはたいしたもので、CDのストックは大半がサントラなどの音源であり、その数量たるやたいしたものでした。そして、彼の編集したテープは今現在聴き直しても私の心をとらえて離さない素晴らしいものであった。

 そして、高校卒業。私は父親の転勤で小諸市へ引っ越し、地元就職、彼は長野市で就職をした。それでも交流は続き、彼の飽くなき音への拘りは続いていた。が、数年後、彼が川崎の工場へ出向することになると、その後の交流は年賀状程度と、ほとんど無くなり、5年ほどが過ぎた。

 そして私はWindows95の発売で大荒れの95年11月23日、秋葉原で念願のMacintoshを購入し、パソコン通信(NIFTY)にはまっていった。そして会員検索で片っ端から卒業生名簿の検索をかけていたとき、ふと彼の名前を思い出し、検索してみると画面上に、彼の名前が現れた。そして、懐かしくなった私はさっそく彼にE-Mailを打つことになった。「やぁ、お久しぶり」そう書いたE-Mailが私の手元に戻ってきてから彼との交流が再び始まった。始まったと言っても2〜3カ月に1通ぐらいのやり取りではあったが、E-Mail環境というのは繋がっているということだけで「いつでも連絡が取れる・・・・」という妙な安心感があるので、ふと思い立った時にだけE-Mailを打つ・・・そんな感じだった。

 それから1年ほど経ったある日のこと、彼から1通のメールが届いた。

「今年、佐久に「FMさくだいら」が開局するんだ。それで、FMぜんこうじでアナウンサーをしていた田口悠子さんがそっちに行くから、サポートしてやってくれ!ヨロシク。」

 そんな文面だったかどうかは定かではないが、このE-Mailが私がFMさくだいらをサポートすることになった、そもそもの理由である。。

(1998/10/11)


      インデックス    第1話へ