file1*昭和58年2月1日


 「2月1日」といえば、東京・神奈川の私立中学の入試の日である。ひょんな誘いから中学受験戦争に身を投じることとなった@だったのだが(←この経緯については長〜くなるのでまた後日(^^ゞ)、昭和58年のこの日は、@の第一志望の桜楓学園中学校(仮名)の入試の日なのであった。
 しかも、この恋焦がれた第一志望校を@が訪れたのは、なんと、この入試の日が初めてだったりΣ( ̄▽ ̄;)!いや、だってさぁ、コージ君のおばさんだって「@ちゃんには絶対ココよ」って薦めてくれたんだし。それに、@の偏差値からしてどう考えたって絶対アコガレの挑戦校だよーと思っていた(「そう思っていたのはおまえ自身だけだ、オレは信じていたぞ!」と後日取って付けたように告白してくれた塾のT先生、社交辞令だったにしてもありがとうございました(^-^;))から、落ちたときのショックが大きくないように(?)って、親は文化祭や学校見学にも連れてってくれなかったしぃ〜(って言うか、ただ単に日程が合わなかっただけかも(^^ゞ)


<会場到着!>
 毎朝7時45分に起きて小学校に通っていた@。この日ばかりは、すっげー朝早く起きて、極寒の中をはるばると国電と小田急を乗り継いでやっとこさ到着。会場、ったって要は学校そのものなんですがね。想像していたよりもゆるやかな駅からの坂道を登っていき、想像していたよりもずっと長い校門から校舎までの道をさらに登っていくと、ドドーンとしたたたずまいの新築ぴかぴかの白亜の巨大な校舎が!中に入ってその巨大さにさらに吃驚!
 一番奥にある体育館のうちの、暖房設備と舞台施設のある一部屋(なんと、体育館は3部屋あったのだ)が待合室になっていた。ここで昼食をとったり、保護者が待っていたりするのだった。


<いざ、試験>
 桜楓学園中(仮名)の入試科目は、当時はまだ珍しかった4教科。
 国語はなんとかデキるほうだったものの、算数がダメダメで、それを大得意の理科でカバーするしか無かった@は、相当アホな偏差値だったにもかかわらず、4教科校&国算理3教科校を受験するという強気なシフトで攻めることを許されておりました(^-^;)。
 国語は、噂にたがわず濃くて大胆で難度高め。点数に自信はなかったけど、自分なりには結構できたっぽい手応え。
 算数は、やっぱり難しかったよー(´д`;)。でも何とか頑張って解いたぞ。
 理科は、絶対に満点取れたと思います( ̄ー ̄)!
 社会は、開通したばかりの東北新幹線の問題(だったっけ?)が面白かったな。
 ……兎に角、人事は尽くしたぞ。あとは天命を待とう。これで落ちても本望だな。


<昼の待合室>
 たまたまお隣に座っていたお嬢さん方と仲良しに♪
 中でも傑作だったのが、何だかハイテンション気味のとってもファニーなA嬢。このA嬢、なにやら鼻歌を歌っていたのだが、おもむろに開いた四谷大塚(会員制の中学受験塾)の会員手帳を開き、「あー、こんなのがあるぅー。この歌、歌ってみよーっと♪」と、いきなり突然、手帳に記載されていた『四谷大塚の歌』なるものを歌いだしたΣ( ̄□ ̄;)あ然!。しかも、なんだかとてもテキトーな歌い方で、節回しも怪し気(^-^;)。本当にそういう歌なのか?と@が訊くと、A嬢は「ううん、聞いたことないから、テキトーに歌ってるの♪」と得意気に、且つ、愉しそうに答えたのだった。その後、彼女はどうなったのだろう……(^-^;)?


<面接待合室>
 面接試験の待合室は、中学校舎端のエリアの一室。このエリアは、教室の壁が可動式になっていて、取っ払うと広いオープンスペースができるという画期的な空間。超・現代建築のこの学校は、これ以外にも「床が絨毯敷き」だったり、「黒板が赤茶色」でしかもそれが「レバーで高さ調節が出来て動い」たりと、今では珍しくなくなったものの当時ならめちゃくちゃビックリする仕掛けが随所に施された、どきどきわくわくする建物なのでありました(この”謎の校舎”についてもたくさん語らねばなるまいということで別途後日(^^ゞ)。
 待合室を仕切っていたのは、在校生(3年生)のおねいさん方。他校に比べて生徒の自主性や行動力を重んじる校風らしく、入試手伝いの生徒の皆さんがかなり前面に出て行動していたのが印象的でした。この待合室のおねいさん方も、緊張する受験生に積極的に話し掛けてくれ、ユニークでフレンドリーでとてもさばけた感じで、この学校の校風を如実に表しておりました。
 んで、受験生の皆様にリラックスしてもらうため(?)に一発芸、というか小話をしてくれたんだけど、

おねいさん:「ねーねー、みんな、『天国の話』って、知ってるぅ〜(^▽^)?」
受験生一同:「……???」
おねいさん:「……あのよー(あの世)」
(注:文字で書くとあまりアホらしい感じが出ないかも(^-^;)……)

 うっ、そのタイミングのあまりのクダラナサにウケてしまった@なのであった(^-^;)。
 ……この学校、ただモノじゃねぇ!と思ったのは@だけじゃなかったことは、同部屋で一緒にウケていたその後のクラスメートに確認済みである(^-^;)。


<面接試験>
 もう、あとは野となれ山となれ、って感じである。飾りまくってウソで固めてもしょうがないんで、ありのままで生きようと誓って望んだ面接試験であった。
 試験官は微妙なお年頃の女の先生と、中年でパンチパーマ風の男の先生(のちに、英語のA野先生と、体育のO田先生と判明(^^ゞ)
 志望理由とかも訊かれた様な気もするのだが、話題の中心は”友達との関係”になった。

先生:「……では、お友達と意見が合わなかったりしたら、どうしますか?」
@:「納得がいくまでとことんやりあいます。とっくみあいのケンカだってします」

 ……こんな@の返答を、ニコニコと聞いていたこの学校の先生方はやっぱり偉大だったと思います(^-^;)。


<その後……>
 翌日の2月2日は第2志望のS学園を受験し、3日はいよいよ両校の合格発表。見事、両校とも合格の暴挙快挙を成し遂げることが出来ました。運命の神様、どうもありがたう(´ー`)!!!
 ……こうして、@は、この桜楓学園(仮名)という女子校での、風変わりな10年間をスタートすることになったのでありました。。。