■セブンアイ
 
「絹の水着」


 先週末、なぜか国立競技場の会議室で、アーティストの日比野克彦さんと私は打ち合わせをしていた。サッカーを愛する日比野さんとは、ときどき仕事をご一緒させてもらった。W杯でも、常に小さなスケッチを持ち歩いていて、歌うように描いてしまう。そういう人に、私の本の装丁をお願いしたこともあり、まあ、とにかく光栄である。

 この日は、日本スポーツ芸術協会の創立50周年と協会のNPO法人化記念として、フォーラムが行われることになり、日比野さんと私は100人もの方を前に、コーディネーターを担当した。テーマは大きく、ファッションとスポーツ。本来ならば司会者がてきぱきと話題を振るが、ただでも頭の回転が鈍いのにさらに締め切りによる睡眠不足、どうしようと案じる間もなく、パネリストのみなさんが、司会者の振りなどないまま、どんどん発言をし、それがまたとびきりおもしろい。

 新体操の山崎浩子さんは、「現役時代は、練習ではわざとみすぼらしい姿をし、試合では衣装もメイクも完璧な女王様に変わりながら、自分を盛り上げるんです」と笑い、持参してくれたリボンで舞って会場を沸かせた。

 服飾研究家のくろすとしゆきさんは、日本のスニーカー、ブレザーの一大ブームは東京五輪を観戦に来た外国観光客の力、と話し、初めて聞いた話に会場は「へー」の連続。
 スポーツ博物館の三上館長は、さまざまな機能性で固められた現在のウエアに対し、戦前や日本水泳の黄金時代は、水着が日本固有の材質でしか作れず、思案した結果、絹で水着を作ったこと、それは大変高価なため、選手たちはレースごとに持ち回りして着たことなど歴史を紐解き、会場からはまた「へー」と驚きの声が連続した。シルクは水着になどできる素材ではないから、本当は泳ぎにくいし、透ける。前畑秀子さんは、のちに、水着姿の自分の写真を見て「何故これを展示するの!」と激怒したそうだ。
 日比野さんは「五輪にもファッションサミットを。特に北京ではアジアとして衣装を考えよう」と提案し、さすがに斬新である。

 さて、壇上で黙ってうなずき、感心していただけの「司会」を終えて街に出ると、ちょうど北島康介のポスターがあった。最先端の科学機能の代わりに、誇りや恥じらい、忍耐、それらをウエアに縫いこんだシルクの水着の時代を思い、しばらくポスターを見つめていた。スポーツの進化とは何なのだろう、と。

(東京中日スポーツ・2005.4.8より再録)

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