■セブンアイ
 
「40半ばのマラソン」


 秋晴れに紅葉がまぶしく映える、気持ちのいい日曜日、私は「グリーン・ランニング・クラブ」略して「GRC」のタケウチ君とともに、埼玉の市民マラソン5キロの部に出場した。スポーツ新聞社に勤務する仕事の仲間でもあり、箱根駅伝経験者で、昨年のこの大会の優勝者でもある。私は敬意を込めて「会長」とお呼びしており、レース前にはアドバイスをもらった。
「マスジマさんは普段5キロ走っているんですから、レースではどこまで自分を追い込めるか試してみてください」
 日ごろ、締め切りに「追われる」ことはあっても、自分を「追い込む」なんて習慣がない。

 私の遙か前方、数百人もの参加者のトップを走る会長の姿を見つけた。「オー、すごい!」と心底感動し、「あの先頭、同じランニングクラブの人なんですよ」と、隣にいた女性に自慢する余裕はあったが、ペースは変わらない。ゴールすると、会長の母上が、息子の2度目の優勝を興奮気味に伝えてくれた。会長の長男、つまりお孫さんもファミリーマラソンに参加していたのだが、箱根に通った母上のお目当てはもう30代半ばの、だけど今でも自慢の韋駄天だった。
「昔から、この子が走るというとお父さんとどこでも応援に行きましてね。昨日までカゼで熱があったんですが、今日は絶対応援に行くと念じましたら、熱が下がりましたの」

 カゼ気味のっは上の姿が急に見えなくなったのでみんなで心配していると、会長が「すみません、いました」と苦笑しながら走ってきた。聞くと、ゴールの瞬間、タツオをタツロウと読まれたので、表彰式では間違えないよう、進行係に直接訂正と始動を申し入れ、そのまま表彰台の真正面、カメラのベストポジションでスタンバイしていたという。
「さすが表彰式慣れしていらっしゃる」
 私が声をかけると、母上は笑った。
「はい、もう何度も見てきましたからね」

 速報を見に行くと、私は5機kろ女子の部で20位、160人くらい出場していたそうだから上出来である。けれども私にとって2度目の公式戦一番の収穫は、完走シャツや順位ではなかったように思えた。順位も結果も関係なく、親の声援を受けていたころを思い出し、出ると知らせてあった実家に電話をかけてみた。
 呼び鈴1回鳴るか鳴らないかで、父が出た。
「おう、完走したか。がんばったな」
 もう40半ばの、追い込めない娘でも。

(東京中日スポーツ・2004.11.26より再録)

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