■セブンアイ
 
墓参り


 高橋尚子が秋田市内で、東京国際マラソン以来の仕事を再開した先週金曜日、彼女のお陰で季節外れの墓参りをすることになった。
 派手な供花を買い、秋田駅前から、教えられた寺に向かいタクシーに乗る。「せっかく秋田へ行くのだし、何とかなる」と母に言ったものの、そもそもウチの墓がどこにあるのかさっぱりわからない。母の父親は秋田出身。すでに50回忌も済み、外交官だったために今も海外で暮らしている姉妹たちを代表し、母は季節ごとにお布施などは送っている。しかし、秋田へのお参りは簡単ではない。
 シンと冷え込むお墓で、そこの派手な墓石を右に曲がれ、とか左の無縁仏を進めとか、携帯電話で母の指示を受けるのも困ったものだと案じていたら、住職がおられた。

「東京から参りました斎藤ですが」と言うと、副住職だという若い跡取り息子は「ハー、斎藤さん?」と首をかしげる。そして、「どこだっけなあ」と、煙草を吸いながら、墓を回った。寺には3件の斎藤家があるが、1件は市内で顔がわかる、1件は北海道。「だから消去法で行くと、これしかないなあ」と言われたとき、私は住職に言った。「場所がわからないのは仕方ないけれど、その言い方は失礼じゃないですか」と。
 祖父には会えなかったし、移住先のハワイで亡くなった祖母にも小さい頃1度しか会っていない。しかし、祖母は分骨をしてまで、秋田に眠る祖父の元、この寺に戻ることを望んでいたと、母には聞いている。
「ご先祖様を大事にって説法するのがあなたの仕事じゃないですか。それを、人の先祖に向かって消去法ってどういうことですか」
 墓で住職に怒っている人はそうはいないだろうと思ったが、仕方ない。かなり引き気味の住職はそそくさと本堂へ戻る。私はお墓を洗い、花を供えながら、母がよく「おじいちゃんは、それは厳しいお父さんでね。言葉遣いでも何でも、礼儀作法には特別うるさかったわ」と言っていたことを思い出した。

 初めて一人で祖父と祖母に「対面」し、手を合わせ、「すみません、お墓で失礼しました」と謝った。大人になって初めて見るなり、住職を叱った孫の姿。2人はどんな風に見ていたのだろう。初冬の空を見上げ、墓の回りの落ち葉を集めて、掃除をした。
 2人が笑っているような気がして。

(東京中日スポーツ・2003.12.5より再録)

BEFORE
HOME