■ピッチの残像
「“トルコの英雄”が生まれ変わった

 
私にとっては重量挙げのスレイマノグルだった


 トルコ人記者の彼と私は、彼らが史上初の4強となった夜、ミックスゾーンで立ち話をしていた。トルコ語とフランス語の飛び交うミックスゾーンでは、私などお呼びでないのだが、親日派のトルコ記者たちは非常に親切で、英語に訳しコメントを教えてくれる。

 選手は現在、1次リーグのブラジル戦での報道に対する抗議の「取材ストライキ中」で、ミックスゾーンを素通りする。記者は紙面2枚を担当し、コメントなしで何とか作らなくてはならない。同業者として最も同情する事態に、話が弾んだ。

 88年ソウル五輪で同国史上初の金メダルを獲得し、以後五輪3連覇、シドニー五輪でも4連覇を狙うと35歳で復帰した英雄の名前をあげると、彼は驚き、笑顔になった。
 重量挙げのスレイマノグルは、身長155cmで自分の体重の3倍以上を持ち上げ世界を制した、五輪界の伝説の人である。私にとってトルコとは彼であり、彼と彼にまつわるスポーツの話が、トルコである。

 ブルガリアがトルコ系移民の名前を読み変えたことに抗議し、トルコに亡命した。政府と人々は彼を温かく迎え、ブルガリアに対し市民カンパも含めた100万ドルを支払い、残した家族の安全とソウル五輪出場権を交換した。同国初の金で国民栄誉賞を獲得してもなお、彼は「頂点を維持することがトルコへの恩返し」と話し、国民は彼を愛し続けた。

 スレイマノグルを一度取材したことがある。あんなに力のこもった握手は今も交わしたことがない。そして22日、サッカー4強を取材した。行ったこともない国の英雄が生まれ変わる瞬間を見ているのだと思うと、自分の仕事の不思議と幸運を味わえた。

「ヒーローは本当に生まれ変わった。その記事ならコメントなしでも何とか」
 人影もまばらになったミックスゾーンで、彼の言葉に笑った。

(東京中日スポーツ・2002.6.24より再録)

BEFORE
HOME