スタメン落ちで知るカズの“力”


 日本が決勝点を奪ったその瞬間、いつもなら、サポーターの前で大歓声を浴びているはずの「あの人」は、新築の横浜国立総合競技場の、まだシンナーの匂いがする地下のアップルームにいた。
 歓声を聞いて、競技場内のスロービデオを見上げた。
「城の意欲勝ちだね」
 そばにいたスタッフに小さな声でそう言うと、後半残り一分にもかかわらず、アップのために再び走り出した。

 二月、豪州での練習試合でスタメン落ち(累積警告をのぞく)した三浦和良(31=川崎)には、一日の日韓戦でも出場のチャンスはめぐってこなかった。
 もちろん、岡田監督は、FWの組み合わせをいくつかテスト中である。しかし、二試合連続でスタメン落ちしたのも初めてなら、国内の国際試合での先発を外れたのも初めて。しかも、監督は日韓戦を、「勝ちにいく重要な試合」と位置付けていたのだ。
 カズは試合後いっさい口を開かなかった。カメラのライトを浴びながら、インタビューを受ける後輩たちの間をぬって、バスに乗り込んだ。

「実は、カズさんのアドバイスを九十分間、頭の中で繰り返していたんです」
 殺到する取材の輪から離れた城彰二(22=横浜M)は、静かに試合を振り返った。
「あのどしゃぶりの中、ミスした時、ずっと、です。大事な時間に、決勝点を取ることができて、きょうは良かった、たしかに、そうは思っています。でも…」
 韓国DFに折られた前歯にタオルを当てて、城は続ける。
「でも、カズさんのような代表のエースストライカー、と呼ばれるレベルでは全然ない。この試合で、それがはっきりと分かりました」

 試合前のほんの短い間、カズは、城を呼び寄せた。
「これだけひどい雨の時には、注意しなくてはいけないことがある」
 カズは城の肩を抱き、二人はどしゃぶりのグラウンドを見ていた。
「これだけの雨の時には、視野が狭くなりがちだから、最後までボールから目を切るな。シュートなら外したってかまわない。でも、ボールをよく見ろよ」
 もうひとつ。
「落ち着いてプレーをすること。自分でゆっくり過ぎるかな、と思うくらいでいいから、丁寧にプレーをすること。絶対に慌ててはいけない」
 そうして最後に、こう言って城のケツをひっぱたいた。
「ストライカーとして、きょうのチャンスを逃すな。絶対にゴールを決めてチャンスをつかめよ!」
 城は、カズの言葉通りにチャンスをつかみ、カズを脅かす存在となった。

 試合を終えホテルに戻ったカズは、「城のゴールは見なえかったんだけどね。でもスローで観たよ。ちゃんとね」と、言った。
 誰もが、もう引き分けと思う時間帯、その時間こそ「FWの命」なのだ。だからそういう難しい仕事をした、きょうの城は、ほめてやれるのでは−−、と話した。表情にはしかし、余裕が漂っていた。

 字にしてしまえば「世代交代」など簡単なものである。しかし、いかに激しく残酷で、時に優しささえも兼ね備えた地殻変動が行われているのか、それを目にすることは、ほとんどない。カズという壁がいかに高く、乗り越えることなど容易ではない、ということを、誰より城が知っているのではないか。
 城のAマッチゴール数は五本。カズは、九〇年十月のアジア大会から通算七年で五十四ゴール。四十九本の差は、単に数字を重ねるだけで埋まるものでは、決してない。

週刊文春・'98.3.12号より再録)

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