[ベルリンマラソン現地レポート]

高橋尚子 アテネへ続く84.39kmの助走 Part-1


    世界最高記録を叩き出した昨年のベルリンから1年、連勝を飾った高橋の底力に賞賛が集まる。しかし彼女にとって、これは「往路」でしかない。48日後には、東京国際が控えているのだ。

──これでようやくハーフポイントですね。
高橋 いいえ、ハーフではありません。3分の1です。

──3分の1、ですか?
高橋 はい。今年は、ベルリン、東京、そして12月の全日本(8日、全日本実業団女子駅伝)までを、1本のレースだと考えて取り組んで行くつもりでいますので、ベルリンでようやく、目標の3分の1の地点を何とか通過できたかなと思っています。

──今回のように国際大会を2本、それも50日間で走るケースは初めてですね。
高橋 私の中では、これはシドニーでメダルを取ったことと同じか、もしかするとそれ以上にものすごく重要なチャレンジになると思いました。

──金メダルも取り、ベルリンで世界最高も保持した(昨年9月30日、2時間19分46秒)。さらに今年は、調整不足で不安を抱える中、自己3番目の記録で連覇したのですから十分な結果ではないでしょうか。
高橋 合宿中の8月にした怪我は今思ってもとても残念なものでした。練習の中で2時間18分台は手ごたえとしてありましたから。ここベルリンに来て小出監督とジョッグしながら、マラソンはいろいろあるんだ、こういう状態でスタートする時もあるし、いいことばかりじゃあない、でも、そういうレースもやってみよう、とはっきりと気持ちを入れることができたんです。監督には、力を抑えて8割のレースでいいんだよと言われたのですが、それは私には絶対にできませんから。8割ならその10割で走ります。それが私の全力です。

──手を抜かないのは承知の上ですが、もう少しのんびりというか、これまですべてやり遂げて、まだそこまで何を求めるのでしょうか。
高橋 昨年も、ベルリンを走ったあと、(7日後の)シカゴを走りたいと本当に考えて練習をしていましたが、いろいろあって走ることができませんでした。今回は2度目です。何としてもやり遂げたいと強く思います。今はまだ3分の1だと思えるのは、ゴールではないからです。

──なぜでしょう。
高橋 アテネ五輪を考えると、この1年がとても重要だと思うのです。

──選考会をにらんで、ですか。
高橋 そういうことではなくて、今だからこそ、自分の本当の力を知っておきたいんです。50日で2本が本当に体力の限界になるのか、だとしたら限界はどういう感じでやって来るのか、体や筋肉のどこにどんな風に影響が出てくるのか。それから精神的な面での影響もきっとあると思うんですね。初めての経験を通して何か、今はまだ知らないことがわかるんじゃないかと思うんですね。底力、っていう言い方になるかもしれません。

──成功か失敗だけではないと。
高橋 はい。自分が得るものがあればそれで大きな価値があります。底力を知っていれば、またアテネに向けて練習でも、レースで勝負するパターンでもいろいろな挑戦ができるはずです。同じやり方で勝てるとは思っていませんし、国内選考にしても4年間を引きずって勝てるほど甘くないと、考えてきました。

──その目的のための84キロのチャレンジなのですね。
高橋 そう思っています。自分一人の力ではなくて、監督、スタッフみなさんの支援もなければもちろんできないことで、無理をお願いすることにはなりますが。

──高橋選手が走ることが楽しいという意味は、それによって何を得るかということと同じ意味なんでしょうか。
高橋 私にとってのマラソンは、42キロを何分で走れるかといったことだけではないからです。私なりの楽しみ方があるからマラソンって本当に魅力的だと、心から思えるんです。まだまだやっていないこと、やってみたいことはいくらでもあるんです。

◇   ◆   ◇

 2時間21分49秒の自己3番目にあたる好記録でベルリン連覇を果たし、しかも7戦にしてとてつもなく重い6勝目を手にした、わずか2時間後のインタビューである。
 表形式を終え、ホテルのロビーで、おそらく何時間かぶりにソファーに腰をかけながら、質問に対し、姿勢を正し、走り終えたばかりの脱力、倦怠、疲労といった雰囲気を一切持たず、むしろこれからスタート地点に向かうのだと言わんばかりの溌剌とした空気を漂わせながら答えていく。

 この秋、高橋が2本のマラソンを50日間で走ることになったのは、本人のチャレンジ精神だけが理由ではないし、ベルリンを実況中継したフジテレビ、東京の主催者であるテレビ朝日といった大会側の思惑と、水面下での熾烈な駆け引さばかりでもない。なぜなら高橋は、自分で決心しなければ、1歩だって走ることはしない、そうした強い意志の持ち主であるから。同時に決めた以上、どれほどの犠牲を払ってでも全力でやり遂げようとする実行力の持ち主であるからだ。

 今年、当初一つの目標としていた、国内ではまだ走っていない「東京国際」(11月17日)を目指して米国でトレーニングを開始した際、2つの要因がこれに作用した。第一に、自ら「2時間18分が出るかもしれない」とした、練習での確信的な手ごたえである。昨年挑戦できなかったマラソンコンビネーションへの再チャレンジが、これだけ練習ができたのならば可能だと思えたという。

 次に、日本陸運の「7.30決議」である。理事会が行われたこの日、アテネ五輪への選考方法が明確に提示された。
 五輪前年となる2003年パリ世界陸上(8月)で、日本人最上位となってメダルを獲得すれば、アテネの代表に決定する。金メダルではなくて、銅メダルでも日本人1位ならば良しとする基準は、日本女子のレベルを思う時、どの選手にとっても魅力的なものだろう。高椅陣営だけではなく、熾烈な代表争いが繰り広げられることは決定的な女子マラソン界全体が、これで針路を大きく変えることになった。

 小出義雄監督は「世界選手権と五輪をつなげることは、必ずしも良い結果を生むとは限らないが」と、前置きした上で、「それでも1年間の準備をもって五輪に臨むことができれば高橋がさらに力をつけられることは間違いがない」と話す。五輪を挟んで6連勝と、圧倒的な安定力を持続させるランナーを、選考でどう評価するかは、陸運に突きつけられた新しい課題である。一方これとは別に、競技者として純粋に願い、しかも五輪最短となるパリ世界陸上選考会である東京への出場を、質の高い練習が行えたベルリンと組み合わせる計画をしたことは、少しも無茶ではない。

 現時点で「東京で結果を得ても、世界陸上に射るかは監督と考えて行きます」としているが、50日で2本のマラソンに出場する選択自体、練習で60キロを走り、3500メートルの高地で40キロを数回走る彼女にとって目的ではなく、あくまでも手段でしかない。五輪への84キロの助走である。五輪連覇、感動をもう一度といくら言ったところで、そこに至る道のりがどれほど険しく、甘くはないことを自身こそ知り尽くしているからだ。

 駅伝まで90キロを超える距離を想定し続ける綿密さと、小出監督とともに「同じことは2度と通用しないし、やりたくない」とする、あえて言えば、遊げ心を投影するのが「高橋流マラソン」の醍醐味かもしれない。
 事実、ベルリンで小出は新しい目標を、現実味を持って口にした。42キロのうち5キロ2区間を「15分台」のスブリットで刻むこと、40キロからの上がり2.195キロを6分台で上がること。ともに男子並みのレベルに至ることになる。

「マラソンの楽しみ方は、完走とその結果でみなさんに喜んでいただける部分以外に、私だけの楽しみでもあります。42キロのうちどこの、どのパートをどう攻略するか、どこで勝負をかけるか、そこまでの練習の方法といろいろありますので」

 そう聞いたことがある。
 50日での2レースは、しかし、意外なほどサンプルが少ない挑戦でもある。

 日本では50日を上回る期間で4人が完走を果たしている。谷川真理(当時良品企画)は東京で12位の後、ホノルルで記録を4分向上させ、2000年大阪でシドニー五輪を狙った安部友恵(旭化成)は、3週間後に市民レースでもある泉州マラソンを完走した。国内ビッグレースのコンビでは、96年、盛山玲世(芙蓉)が2本でアトランタ代表を狙ったが、これは大阪で選考に十分な結果が得られなかったためだった。浅井えり子も、この年のバルセロナ五輪選考レース2本を連続した。

「50日で2本のマラソンは
“限界”への挑戦ではない」

山下佐知子氏

 マラソンによる疲労の蓄積というのは、本当に個人差が大きいものです。選手の中には、1本走ると筋肉や関節の硬化、内臓のダメージなどが大きく、次のレースまでにかなり間隔をとらなくてはならないランナーもいますし、反対に、42kmがひとつのきっかけになって軽くなりさらにいい動きをするランナーもいます。これは「刺激」と呼ぶもので、長距離では選手も指導者もこうした感覚を練習に効果的に取り入れていますし、高橋さんの発言などを聞く限り、距離を踏むと刺激が非常にうまく機能するタイプではないでしょうか。ですから、小出監督も高橋さんも、50日で2本のマラソンを走ることを「限界」などと大げさに考えていないでしょうし。私自身も女子長距離の指導者として期待はしても、無謀だとか、マイナスのイメージは抱いていません。
 肉体的な資質に加え、女子マラソンの練習量が、こうした挑戦を可能にしています。高橋さんの練習量は群を抜くと聞きますし、10日前後の合宿中に「距離走」と言う、40km、30kmを連続で何回か走る練習は日本の女子トップランナーはみなこなしています。短期間のレースでのダメージを心配する以上に、むしろ練習を制限した方が良いほど、大変な量と質を日頃から踏むのです。レースを目指すなら疲労を抜くため練習量を落とし、一応の休養を入れて調整をしますから、練習のほうがよほどリスクが高いと考えられますし、何かアクシデントで急きょ2本に出場するといった状態でない限り、肉体的負担を不安視することはありません。小出監督も高橋さんも、ベルリンのためだけというよりも、最初から日頃の練習を2本のマラソンに生かす感覚でおられるでしょうから、プログラムには無理はないでしょう。疲労回復や故障に対して万全の体制を整えているわけですから。
 オリンピックで目標を果たしてから2年が経過しても、次々と新たな挑戦をしながら走り続ける。記録や結果だけではなく、そうした姿勢が、高橋さんの本当の「強さ」だと私は思っています。


●山下佐知子(やましたさちこ)/第一生命陸上部監督、陸連理事。1964年、大阪府生まれ。91年東京世界陸上銀メダル、92年バルセロナ五輪4位。

 自らも五輪代表で長距離を指導する山下佐知子氏が指摘するように、距離を踏む持久力が備わった選手の場合、レースを入れたほうがより高い能力を発揮するケースは多く、「スピードを出す分、筋肉や心肺機能への刺激となる」と、事実は、2レースの後のものが決して悪い結果ではなく、逆に向上しているこれらの例からも、十分立証できる。
 2本とも国際的ビッグレース、しかも国内と国外のコンビネーションで50日間となると、日本では今回のレースが初めてとなるものの、反面、当初から2本を狙ってプランしたとなると、むしろ勝算が立ち易いとも言えそうだ。

「私達、世界的なビッグレースのコースディレクターは、市民ランナーだけではなく、エリート選手の健康にも細心の注意をし、条件で選手のコンディションが左右されるようなことをしてはならない。そうした行為は長い目で見て、マラソン全体のレベル低下という最悪の結果を招くことにつながるからだ」

 2連覇を導いたベルリンのコースディレクターは今大会後そう答え、「個人的見解」として、50日間での2レースに肉体的な無理はない、とした。かつて賞金マラソンが隆盛の時代、春と秋にはレースが過密になることから、高額賞金や条件で選手を奪い合い、肉体的消耗を規制した。出場レース前後何日かを一定期間あけることを契約条項に入れ、パフォーマンスを落とさないようにする動きもあった。
 あるAR(陸上の代理人)は、こんな指摘をする。
「日本女子マラソンの実力は世界的にも大変なものだが、一方では欧米のスタンダードとしての国際賞金レースに出てくる選手は少ない。高橋の挑戦は世界的レベルで見れば特異なものではないし、彼女のチャレンジによって、もともと潜在能力の高い日本選手が、もっと気軽に海外レースに出られるのでは」

「やり遂げる」と力まず結論を得ることは、一度だからこそ可能で、そのインパクトは個人の達成感に留まらず、さまざまな場所、強化のさまざまな観点からもプラスの作用をもたらすことになりそうである。
 しかし本当に驚きをもって語られなくてはならないのは、彼女がすでに、五輪金メダルも、女子初の2時間20分台突破も、世界最高記録樹立も達成していることだろう。五輪後、国内でも海外でも、誰もが大きな目標を終えた達成感や喪失感から復帰に苦戦する中、高橋は次々と新しい目標とテーマを自らに課して、42キロを制覇し続けている。プロとして、競技者として、すでに未知の領域にいるのではないか。

 従来のような体重増加を抑えるため、休養は1週間とする。まずは疲労除去をし、米国ポルダーに戻った後、「故障で足りなかった脚作りと基礎作りを約3週間、2800メートルの高地で行う。十分なスタミナを養った後、10日程スピードに対応し、レース10日前から調整に入る」と、監督は練習プランを明らかにする。

「強いか速いかはわかりませんし、自分にとってそんなに重要ではないです。でも世界で一番マラソンが好きなランナーでありたい」
 ベルリンを去る時、高橋は言った。

    ●高橋尚子(たかはしなおこ)/1972年5月6日、岐阜県生まれ。30歳。県立岐阜商業高校、大阪学院大学では無名だったが、小出義雄監督を慕い、95年にリクルート入社。その後、劇的に才能が開花した.2000年シドニー五輪で日本女子陸上初の金メダリストとなり、国民栄誉賞も受賞した。2001年4月、プロ宣言。積水化学所属。1m63cm、45kg。

(「SPORTS Yeah!」No.052・2002.10.11より再録)

 
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