The Face of
ハイレ・ゲブレセラシエ
Haile Gebrselassie


●ハイレ・ゲブレセラシエ/1972年3月21日、エチオピア生まれ。'93年世界陸上選手権で強豪ケニア勢を破り、1万mで優勝し、その後3連覇、アトランタ五輪金メダルや、グランプリ陸上全大会連覇など、驚異的な強さで他を寄せつけず、現在5000、1万mの世界記録を保持。母国での肩書きは警察官。昨年は、待望の長男が誕生し、ボランティア活動にも熱心。自分と同じアテネ世界陸上優勝の鈴木博美や、谷口や中山を日本の名マラソンランナーとして挙げた。

 動物図鑑によれば、500mまでの距離を走るのがもっとも速い哺乳類は、チータらしい。1500mくらいまでなら、時速70km程度は可能だというモウコガゼルなど、意外にも牛の仲間が速いようだ。
 では、5000m以上をもっとも速く走る哺乳類は……。さすがにそんな無茶な測定はできないので図鑑には載っていないが、恐らく馬だろうか。しかしこの人もまた、長距離をもっとも速く走る「哺乳類」として、覚えてもらいたいくらいである。
 ハイレ・ゲプレセラシエ(25=エチオピア)は、陸上1万mで26分22秒75、5000mは12分39秒36と長距離の2つの世界記録を保持する、最速にして最強のランナーである。しかも、3月5日から前橋で行われた世界室内陸上では、1500mと3000mの中・長距離両種目でも優勝を果たしてしまった。
 1万m26分22秒といってもピンと来ないかもしれない。では、100mを15秒台で10kmを走り切る、と表現すれば、何となく心臓も息苦しくなってくるのではないか。
 前橋で話を聞いた。
「マッサージなどは一切不要。他人の手が少しでも入ると、筋肉中の繊維が乱れてしまうからです。ですから自分で筋肉を確認しながら、なでる程度で十分だし、休養も特別には必要はない。それでも体調を崩したことはない」
 事実、2つの世界新記録をマークし疲労困憊かと思えた昨年末も、この年頭も、1日も練習を休んではいない。体の隅々まで己の肉体を研ぎ澄まし、本人の言葉で言うなら「常にシリアスな状況での、シリアスな練習」をこなす。強さの源はすべて、そこにあるのだという。
 エチオピアの首都、標高2600mのアジスアベバに住み、毎朝、午前5時半から約15kmを走る。ジムで柔軟性を養い、トラックではインターバルを行なう。週1回、標高3500mを超える、富士山ほどの山々を駆ける山岳トレーニングもする。もっとも彼は、それを「ヒル=丘」と表現したのだが。
 5000では2年間、1万では何と5年間負けていない。五輪でも、世界選手権でも金メダルを手にし、世界記録も作った。次は一体、何を目標に走るのか。
「小学校の頃は走って学校に通った。もちろん裸足でね。ぼくらのヒーローに憧れ、彼を夢見て。私のランナーとしての究極の目標はマラソンを誰より速く走ること。アベベ・ビキラのような偉大なランナーになること。彼が走ったのと同じ街でマラソンを走ることなのです」
 今年8月の世界選手権(セビリア)と、シドニー五輪で金メダルを目指し、その後マラソンを走ると決めている。l万mでの苦闘は、すべて「来たる日」のためのものとして耐え抜くそうだ。すでに、レース主催者からは「ウチで走って欲しい」と条件交渉が殺到している。しかし走りたいのは、アベベが1964年に五輪を制した、東京の街なのだという。
 前橋での1500mでは、中距離のスペシャリストたちを、ラスト50mでかわすデッドヒートで優勝。ライン上で皆が倒れていたが、彼だけは汗さえかかず、歯を見せて笑っていた。
「3000mではまるで犬たちが走っているように遅かった。きょうのレースこそ本物のレース、本物のランニングだ」
 彼を題材にした記録映画が米国で製作された。
 タイトルは「ENDURANCE」。
「不屈の忍耐」──である。

Number 467 より再録)

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