He came back.
伊藤喜剛の「空白の2年間」が、アンチドーピング活動にもたらしたもの。


 2年ぶりのゴールラインを超えた伊藤喜剛(27=ユー・ドム)には、地元の好意で花束が渡され、本人も驚くほどの大声援の中、ウイニングランが行われた。伊藤に惜しみなく送られた拍手は、五輪という夢をあきらめなければならなかった選手の不運に対してであり、同時に、その復帰を心から歓迎するものだったはずだ。
 伊藤自身も、具体的な目標を持つことができない2年間、自らの「潔白」だけを支えに耐え続けたのだろう。選手としてもっとも厳しい状況を克服したことには、仲間の選手、日本陸連関係者も敬意を払っているに違いない。
 しかし、大会に出場していた外国選手たちは、その光景を見ながら、こんな感想をもらしていたという。
「彼はヒーローなのかい?」

 1996年3月18日、アトランタ五輪を控えた強化合中だった伊藤の尿から筋肉増強剤の一種、「メチルテストストロン」の代謝物が検出された。薬物そのものではなく、体内の器官を経た「代謝物」が検出されたということは、伊藤が何かを「飲んだ」、あるいは「飲んでしまった」ことを科学的に証明する。
 処分が明らかにされた'96年4月以来、伊藤と弁護団は一貫して潔白を主張し、日本陸連を人権侵害で訴えるとした。伊藤の無実を信じるがあまり、ついには、外国人コーチが伊藤を陥れるために薬物を飲み物に混入したのだ、という疑惑も盛んに報道された。
 4年の出場停止は国際陸連のルール変更で2年に短縮。日本で最初のステロイド使用失格選手となった伊藤は、事前に4回の抜き打ち検査を受けた上で、復帰を果たした。
 しかし、現在分かっていることは、2年間、結局原因も理由も何も分からなかった、という1点に過ぎない。一体何が起き、何を失い、何を得ることができたのか、それを確認しておく必要はないのだろうか。

「日本陸連はこの一件から多くのことを学ばねばならないと考えている。昨年から啓蒙誌の発行のほか、環境整備には人材と資金を最優先に投入してきたつもりだ」。伊藤の薬物問題に関する処理を行ってきた、日本陸連・佐々木秀幸専務理事は説明する。陸連の不備の第一は、啓蒙活動を長いこと怠っていたことにあった。同時に、JOC(日本オリンピック委員会)にも、現実を把握する材料があまりに少なかったといえる。'96年に実施されたアンケートでは、何らかの形でアンチドーピング活動を行なっていた競技団体は実に4割、そのうち専門委員会を置いていた団体は2割、という寒々しい結果が判明した。
 日本陸連は今年から本格的に、予算2000万円を投じた、独自の「抜き打ち検査」を開始。すでに150件を調査した。同時に違反が判明した後の手続きを迅速にするための小委員会を設置する。さらに、今年秋からは、国体でも高校生を対象にした検査を行う予定でいる。JOCの調査では、減量の目的で利尿剤を服用していた国体選手が3200人中1割いたという。伊藤のようなトップ選手ではなく、むしろ高校生が無知にさらされている現状も、この2年で明らかになった。

 個人レベルにも意識改革もある。
 100m日本記録保持者の朝原宣治(大阪ガス)は「薬物検査は、どうやって出てきたかではなく、出てきたことだけ問われる。言い訳は通用しないと、あらためて知った」と、話している。誰もが、日常生活のスキを減らす努力を始めた。ステロイドを添加したドリンク剤、パーフォーマンス向上を意図している「エルゴジャニック・エイド」(スポーツ食品)も氾濫している。自分を防御するには、知識を武器にするよりほかに手段がないとの認識が浸透し始めている。
 シドニー五輪を開催する豪州では年間3億円もの国家予算を投じ、ほかに米国、ノルウェー、カナダ、英国などでも年間数億の国家予算が薬物使用についての啓蒙、検査に当てられている。日本の現状では、国家援助どころか、競技団体の自覚に任されているに過ぎない。アンチ・ドーピングの「根」は、薬物乱用という重大な社会問題ともつながっており、よく言われるような「きれいごと」などでは決してない。この2年間の出場停止が、伊藤喜剛1人の問題で処理されはならないはずである。

Number 445 より再録)

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