高橋尚子


●たかはしなおこ/1972年5月6日、岐阜県岐阜市出身。163km、47kg。藍川東中から陸上を始め、県岐阜高から大阪学院大に進学。大学ではインカレで1500m2位が最高位。4年の秋、高卒しか採用しないリクルートの合宿に自費参加し強引に内定をもらう。小出義雄総監督(現・積水化学監督)の指導で力をつけ、'97年の大阪国際では2時間31分32秒で7位に入った。歓迎会でオバケのQ太郎を熱唱したことから愛称はQちゃん。

 女子マラソンの高橋尚子(25=積水化学)はこの笑顔で、しかし、恐ろしいことを言う。
「ゴールした後もとても楽で、まだまだ走れる余裕がありました。実はレース後、小出監督に対面した時にも、カントク、あと10km走れます! なんて言ってましたから」
 52kmでも走り切ってしまうというのだろうか。しかも、この笑顔のままで? 高橋なら、やりかねない。
 関係者も含めて周囲が驚いているとすれば、それは、高橋が2度目のマラソンで(3月8日、名古屋国際女子)でマークした2時間25分48秒という記録にではない。そうではなく、スパートした30キロから見せたスピードと、「あと10kmでも走れる」と言い切る余裕、つまり、はかり知れない潜在能力の方に、むしろ驚いているのだろう。

 マラソンでは、42.195kmのうち、40キロを通過した後のラスト2.195km、その距離を特別に「あがり」と呼ぶ。実は、このあがりのタイムは、その苛酷さゆえに、男子の記録さえも限りなく女子のタイムに接近してしまう。言葉を変えれば、男女の関係なく、ランナーとしての「地力」がもっともストレートに出る距離といってもいい。
 名古屋での高橋のあがり、7分10秒は、世界最高をマークした(2時間21分6秒、'85年)クリスチャンセンの7分48秒を大きく上回り、前・日本最高の朝比奈三代子(2時間25分52秒、'94年)の7分28秒よりも18秒も速い。実質.1のスピード、と評されたロバ(エチオピア)が、難コースのアトランタ五輪を制した時のあがりでさえ、7分25秒である。

「多分、女子マラソンでは世界最速のあがりだったと思うね。異次元のマラソンだよ、あれはね。でも、あの子の力はあんなもんじゃあない」
 小出義雄監督(58)はそういって、目を細める。愛弟子、有森裕子(31=リクルート)、昨年のネ世界陸上で金メダルを獲得した鈴木博美(29=積水化学)と比較してもらった。
「あの2人は神経を研ぎ澄まして走るいわば、カミソリのようなマラソン選手。高橋はといえば……ナタだな、ナタ。それとも戦車かブルドーザーか。寿司だって3人前ぺロリと平らげちゃう。とにかくスケールが全然違うんだ」
 非常識、と監督が表現するほどの量と質の練習を課しても、高橋は疑うことなくやってみる。いわばマラソンを知らない、その「無知」こそ、高橋の最大の武器なのだと、監督は言う。
「わたしはケーキ作りや、何より食べることが好きなんです。よくそれだけ食べられるな、って監督にも呆れられています。よく食べ、よく走る、愚痴らない、そして走れることに感謝を忘れず、本当の意味で楽しんで競技に立ち向う。それを心掛けています」

 たった1度だけ泣いた。監督が練習に遅刻した時、もう教えてもらえないのかと思い、「約束の時間通りに来てください。わたしももっと必死にやりますから、見捨てないでください」と声をあげた。
 2人にとって、これはほんの通過点に過ぎない。目標は、どんなスピードの変化にも対応すること、そして「あがり」を6分50秒でまとめること、つまり男子並みのレースをすることである。そうでなければ、シドニー五輪でのメダルは獲得できないと考えているからだ。
 高橋は、例え世界記録を出したとしても、きっと平然と言うのだろう。
「カントク、まだ10km行けます」

Number 441 より再録)

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