この人を見よ!   斉藤愛子(ヨット)


●さいとう・あいこ/1958年8月8日、東京・渋谷区生まれ。小3の時、ヨットクラブに入部。高枚卒業後、英国に留学。ソウル17位、アトランタ五輪23位。運輪省港湾審議会委員も務める。

シドニー五輪目指し大海原に飛び出す

 アジア大会期間中、バンコクには驚くほど涼しい風が吹いていた。しかし、涼しく心地よいはずの同じ北東の風に、とことん悩まされていた人もいる。
 ヨット競技の行われたサタヒップでは、女子ヨーロッパ級(1人乗り)斉藤愛子(40、東亜建設工業)が、ご本人の言葉を借りるなら「老体に鞭打って」、外国の若手と、強風下でのレースを戦い抜いていた。時に8メートルにもなる強風で8日間のレースは想像を絶する。
 体力の消耗度は増し、選手によっては激しい船酔いに苦しまねばならない。悪条件の中、斉藤は初日から2位を守り、大会初出場で銀メダルを獲得した。
「暑さのせいでレース前には体調を崩すし、風はガンガン吹きますし、本当にきつかった。でもね、もう何があっても、ちょっとやそっとのことではくじけなくなりますね。何しろこの年とキャリアになると」
 電話の向こうからおおらかな笑い声が聞こえてきた。
 1980年から国際舞台で活催する第一人者、しかも女子のスポーツ界にあっては貴重な、息の長い選手である。ソウル五輪では470級(2人乗り)、アトランタ五輪ではヨーロッパ級で代表。そしてまた、4度目の五輪挑戦となるシドニーを目指している。
 海外遠征は'98年だけでも7か月に及んでいる。十数回の遠征中、常に苦労するのはヨットの備品、マストやセールを運ぶこと。
「どこにどうやってマストを運ぶか、もちろん飛行機だってエコノミーですからオーバーチャージも考えてます。ヨット選手なのに交渉上手な物流のプロですね。トラブル? う−ん、あるのが普通なんで何があっても驚きません」
 自らを「ヨット界雑草派無所属」と呼んでいる。年間の予算はどう少なく見積もっても500万円はかかる。自ら4割程度を出し、そのほかは会社の支援と、夫正毅氏(41)の絶大な理解に支えられながら世界中を転戦する。40歳の斉藤が、今も競技へ強い動機付けを持ち続けられる理由は「好きだから」、それだけではない。
「国を問わず、連日若い選手たちと合宿生活をするようなものですから、彼女たちといると、不思議な元気とパワーをもらえるんです。彼女たちには自分の世代には決してないような強さがある」
 実際に気力が萎えそうな時もある。力の限界も自ら判断はできる。しかし、自分でさえ気がつかない爆発的な何かが、まだあるのではないか、そう仮定する。だからこれだけのキャリアを持ってもなお、「私たちの頃はね……」などと言わない。半分ほどの年齢の選手に真剣に学び、本気で闘争心を抱く。競枝長寿の秘訣がそこにある。
 新春早々1月3日、五輪代表の国別資格獲得に、メルボルン世界選手権に出場する。世界上位15位前後の斉藤にとって、五輪へ最初の大関門である。タイから戻って自宅宿泊3日。この雑誌、豪州への機内で笑いながら読んでいるはずだ。
 '99年、五輪を狙う日本中のアスリートたちが静かに、力強く動き出す。

AERA・'98.12.28-1.4合併号より再録)

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