競技者として距離ある関係

    五輪目指す父子鷹


 つい最近、「親子の会話」が年々減っている、というアンケートによる新聞記事を見つけたとき、親子において、言葉の果たす役割とは一体何なのであろうと、考えた。
 会話が多いことはマイナスではないが、特に父と息子にとって、言葉はそれほど重要なテーマになるのだろうか。
 シドニー五輪を控えるアマチュアスポーツ界には、ある種独特のコミュニケーションを持って、親子2代での五輪出場を果たそうという人たちがいる。
 独特の関係とは極論すれば、先のアンケート、つまり会話を重要視する考えと反対の、「会話不要」の姿勢である。
 2組の父と息子がいる。
 まずは陸上ハンマー投げの室伏重信氏(中京大教授)、広治(ミズノ)親子である。
 父は、1971年から日本記録を保持し、その間、アジア大会では五連覇、五輪では'72年のミュンヘン(8位)以来3大会出場し、「アジアの鉄人」と称賛されたアスリートである。
 息子は、すでに父の日本記録を、父の年齢よりも16年も早く破った。そしてその後も3度にわたって、日本記録を更新し続けている。
 父は、「言葉」に対して慎重な姿勢を貫く。思ったことをすぐに口に出すことだけは、決してしない。何を言うべきか、でなく、言わないか、そちらを先に考えるからだ。
「息子でも、彼には私の域を脱して上にいってもらわなくてはならない。だから彼自身が心底欲した質問をしてこない限り、自分からはああだこうだ、言ったことは一度もない」
 もちろん、親子以外に競技者としての立場を介在しての話ではある。しかし、親子で同じ競技をするという「血」を感じさせる濃密なイメージとはかなり違う、距離感が、そこにはある。
 室伏氏は言う。
「父親という立場をもってしても、非常に受け身なのです。見ているだけです」
 体操には、ミュンヘン五輪金メダリストで「笠松跳び」の創始者、笠松茂氏(体操クラブ代表)の息子、昭宏(徳洲会)もいる。息子は子供のころ、父に体操の話をされた記憶は特にないと記憶する。父のクラブは女子のもので、一緒にやるチャンスもなく、1人で器具を出しては遊び、父に聞く代わりに、家中の体操の教本を読み、テープを見て独学した。その中に、父の名がついた「笠松跳び」を見つけた。
 ここにも会話はない。
「国際大会初出揚の時、電光掲示板に僕の名ではなく、S. KASAMATSUと父のイニシャルが出て。心の中でオイオイ間違えるなよ、と苦笑しました」
 スポーツ界での親子において重要なのは、父が何を言ったか、ではなく、父が何をしたか、その一点のようである。
 言葉ではなく、技術であり、一種の孤独であり、信頼なのだろうか。五輪という巨大な共同作業を乗り越えるとき、彼らの関係は何を磁石としてつながり、関係はどう発展し、あるいは解消されるのかを見届けたいとも思う。
 だれが呼んだか、父子鷹(おやこだか)。
 シドニーまで飛んでゆけ。

(東京新聞・'99.7.27朝刊より再録)

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