第1回 予想と想像のダブルファンタジー


 買うことと、使うこと。当たりと外れ。個人と社会、そのどちらも夢を叶える「ダブルファンタジー」である。
 友達や家族で賑やかに予想を立てる。くじを買って、今度は真剣に試合を観戦する。さて当たりくじは……。サッカーくじで最初に味わえるこんな楽しみは、誰もが買うことで実現できるはずだ。
 しかしそれだけでは、サッカーくじがもたらすはずの、いわば「本当のお楽しみ」は達成できない。
 くじは外れてしまう。しかし、例えばこんなことが起きる。
 落胆しながら近所を散歩していたら、ついこの間まで土けむりをあげていたはずの小学校のグラウンドに、深い緑色に包まれ、ワクワクするような匂いに満ちた芝のカーペットが敷き詰められている。夏の夕暮れ、そこに集まった家族や友人たちとサッカーをすることもできるし、ただ走るだけでも会話を楽しむだけでもいい。
 これまでには決して味わうことのなかったような、場所と時間が生活の中にふと生まれる。こんな魔法を可能にするのもまた、くじの楽しさである。
「当たってうれしい、外れてもまあまあうれしい」という、これまでにない新しい「賭け事」になること、つまり2つの楽しさを同時に叶えることのできる「ダブルファンタジー」こそ、サッカーくじの本来の目的であるはずなのだ。
 totoに関する記者会見やファンに向けて配布されている一般的なパンフレットや説明、どれを見ていても、もっとも重要な何に使うかの具体的例が出ていない。書いてあるのは「スポーツを豊かにする」「日本のスポーツの新しい形」「スポーツ振興のために」といった漠然としたものばかりである。
「それは、これから考える」という訳だ。
 マラソンレースの日時も決まった、準備も万端、給水も、万が一に備えての医療手配も、警察の先導や警備も、おまけに沿道には大観衆まで揃ったし、テレビで放送もされる。選手が全員揃った。
「あれ、どこに向かって走るんだっけ?」
 そんな様子ではないか。
 事情はある。省庁再編成によって文部省は、文部科学省と変わり、このために書類や手続きがより煩雑になってしまった。さらに、収益を何に使うかの審議を行なう委員会の設置は安易なものではなく、また各自治体や団体とのコミュニケーションでどうやって公平に申請を上げて、さらに公正に検討するか。こうした複雑な手続きは、一見困難に見える、店頭にマルチメディア端末機S-MMSを設置する設備投資やコンピューターのソフトを作り上げることよりも遥かに困難を極めるだろう。
 しかし、3月にtotoがスタートする際に、何か具体的な目標を皆で持っても良かった。そしてまだ遅くはない。

 日本が主に参考にしているのは、イタリアの「トトカルチョ」である。開始したのは1946年で、その後、総得点の多い上位8試合(32試合中)を予想する「トトゴール」、98年には指定6試合のうちから各チームのそれぞれの得点を予想する「トトセイ」が始まるなど、予想形式は様々な変化を遂げている。実施母体はイタリア五輪委員会で、公庫納付金(税金)が収益のうちの26.8%、五輪委員会に32.2%、最後にスポーツ専門の信用金庫へのストック分として3%を蓄える。こうした配分の中で、「半分は子供の未来に、半分は自分の夢に」が合言葉となって長く親しまれている。
 五輪の開会式といえば、ファッションショーの面白さがある。どこの国がどんなユニホームで登場するか。センスの品評会だ。イタリア五輪委員会のくじ収益金使用名目の中には、選手たちが五輪という晴れの舞台で着用するユニホーム制作費が含まれているという。つまり、自分たちが寄付したお金でどんな「かっこいい」或いは「冴えない?」服を着て自分たちの代表として世界にアピールするか、そんな楽しみが含まれることになる。
 イタリアの使用目的の検討委員会は常に活動を行なっており、地域の小さなクラブ振興やスポーツに関連するものばかりではなく、劇場や様々な文化遺産や活動への使用も行なっている。
 さて、日本はどうするか。
 今後、交付要綱の策定や制度そのものの広報や募集を進め、秋には申請の受け付けを開始し、集まった申請を委員会で審議する。来年には配分が決定して収益の配分、これは一部低金利での貸し出しも含むものだが、こうしたスケジュールにはなっている。
 最初に使うのは、是非とも2002年W杯のためになるものがいい。今回は予選がない。国内での合宿も多いだろう。選手が快適に過ごすことのできる、豪華な移動バスなどどうだろう。W杯の運営費用の一部として補填、などという面白味のない公示は願い下げである。
 来年2月には、ソルトレーク五輪も行なわれる。マイナーと言われることの多い冬の種目へのサポートもできるはずだ。
 企業が、不況のために次々と廃部している実業団スポーツへの一時的な融資も可能だろう。無論返済が前提となるが、企業から地域へ、会社から市民へ、そうした流れを確固たるものにする「肥料」のような役目を、収益金が果たすことはできないだろうか。
 世界の大都市には必ず市民マラソンがある。ロンドン、ニューヨーク、ボストン、シドニー、トリノ、パリ。世界中の都市で、3万人を超える市民マラソンが行なわれているが、日本ではエリートによる新聞社主宰のマラソンが一年に男女それぞれ3レースが存在するだけである。このイメージに近かった東京シティハーフマラソンも経費を理由に無くなった。それならばこうしたマラソンを東京、大阪といった大都市に誕生させるための費用の一部にし、世界中からランナーを呼ぶ。そんな試みに胸を躍らせてみたい。
 くじの予想を当てることは楽しい。
 しかし、それを何に使うのか想像することはもっと楽しい。
「ダブルファンタジー」は、取らぬ狸の皮算用ではないのである。

(Getoto・vol.1より再録)

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