2003年1月6日

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★Special Column★

MASUJIMA STADIUMに
ご来場くださったみなさまへ

 遅ればせながら明けましておめでとうございます。今日から仕事始めのみなさんが多いのでしょうか。長い休み明けです、くれぐれも風邪などひかれないように、みなさんの一年が素晴らしいものであることを心からお祈りいたします。また、年賀状をくださった読者の方々にも改めてお礼を申し上げます。


「扱っているのはナマモノ」

 さて元日はいつも通り、国立競技場に行き、2日は始発のロマンスカーで箱根に向かいます。かつて中継が無かった時代はのんびりしたものでした。大手町でスタートを取材し、東海道線で花の2区を取材し、それから芦ノ湖に向かっても余裕がありましたし、駅伝の先頭についていく報道バスの中ではみな、おとそ気分で弁当を広げていましたから。
 中継が始まり、中継車や関係車両による交通規制のために隊列がドンドン伸び、ついに報道バスはなくなったのが数年前です。今では、ゴール地点の芦の湖畔にあるホテルの中に、大きなプレスルームができ、そこでテレビの実況中継を見ながら記録を待ちます。

 今年は2つの区間新記録が非常に印象的でした。ともに、書くことも含めて、スポーツ報道を良くも悪くも改めて考えさせられるものでした。
 ひとつは、往路5区山上りで区間新記録を樹立した東海大・中井祥太選手の話です。
 箱根の山に入ると急傾斜で道が蛇行し、車両が近くに寄るのはとても危険です。ですから10位でたすきを受け取った一年生が一体どれほどのスピードで走っているか、区間新という歴史を塗り替えようとしているかを正確に計るには、技術的な困難は当然あります。
 それを理解した上で、今年の箱根の区間新は実にひっそりとマークされていました。プレスセンターから、ゴール地点まで残り3キロほどになると場所を確保するために部屋を離れなければなりません。この時点でもまだ区間賞が区間新の可能性があることは全く分からず、ゴールして実は違う選手を「区間賞候補」だと思って取材をしていました。ところが、記録が悪いことから「誰が区間賞?」と、ゴール地点の雑踏で右往左往していると、実は10位でタスキを受けた東海大の1年生がものにしていることを知らされ、しかも区間新記録だと聞いて、慌てて東海大の集合場所に行き「すみませーん! 中井君いますかあ!」と絶叫しました。顔がわかりませんから。
 彼を無事に「確認」でき、取材の結果は
Daily Newsに掲載してありますが、全く危ういところでした。

 テレビでも、書くことにおいても最近のドラマだとか物語を重視するスポーツ報道は、「仕込み」といわれる取材の部分が非常に丁寧ではあります。しかし一方ではほぼ「決め付けて」かかるために、目の前で今まさに起きていることへのリアクションが非常に弱くなっています。計算できないものがしょっちゅう起き、それに精一杯反応するのが「スポーツ報道」がほかのジャンルと違う魅力であり醍醐味であると私は思っています。「筋書きのないドラマです」と言いながら、実は筋書きをあらかじめつくってあてはめるようなところがあります。
 京都の無名校でさらに無名だった、しかも1年生で、さらに10位でたすきを受け取った東海大ですから、無理もありません。しかし、中井選手の話をすべて聞き終えたとき、なんとも皮肉な話だと思いましたね。おとそ気分で同行していた時代と違い、これだけ大きなイベントに化けてしまった今、取材といいながら、テレビ画面に、ラジオに頼らざるを得ず、結局私は彼の走りを見ていないわけですから。テレビで観ていたファンは新聞で知るわけですからさらに首をかしげるでしょう。100キロの駅伝を見て、あの日に限れば一番見たかった大学生の心意気は、見逃しているわけですから。短距離の指導をする高野進氏(バルセロナ五輪400メートルのファイナリスト)と大手町のゴールで会いましたが、「まったくひどいよなあ、映っていないんだもん」と苦笑していました。

 さて、中井君と正反対のケースで、やはり目前でおきていることへのリアクションの重要性をあらためて教えてくれたのが、復路、アンカーの駒大・北浦選手です。こういう取材を求めて、私は毎年箱根に行くことにしています。今度は先頭での区間新記録ですから、ゴールまで連呼してこちらは明らかでした。
 復路の雪は経験したことがありませし、ゴール地点であれほどの雪ですから、どれほど寒かったと思います。すでに大きな差があり、しかも路面がスリップしていますから危険もあり、無理をして記録を作る必要はまったくなかったアンカーは、それでも区間新記録を樹立していました。寒さの厳しさと、彼の気持ちが反映した走りを取材しようとレース後、北浦選手に話を聞きに行きました。
 記録更新の気負いも何もなく、「ただただ寒かったんです」と笑っていたのですが、たすきを受け取ったときの話を質問すると「タスキが凍ってましたね」とさり気なく言うのです。いつもなら、生暖かくてなんとなく湿っている感覚で受け取ったら凍っていて、それで、「箱根からつないできた」実感を蘇らせたと、北浦選手は話しました。寒い、とか、記録的な雪、とか百篇書いたところで決して表現できないリアリティが、「タスキが凍る」という彼のコメントにあります。
 この「タスキが凍っていた」という表現は誰にもできません。4人分を受け取った北浦以外には。こういうコメントが聞けたことで、2日間200キロの面白さを噛み締めることができます。

 改めて自分が扱っているのは「生もの」で、しかもリアリティそのものであることを感じた正月でした。2003年は、はやくもアテネ五輪の前年です。選手からの年賀状には「もう」という言葉が多くありましたが、本当に「もう」ですね。W杯が終わったサッカー界も、大きな転換期にさしかかる年となるでしょう。日程を考えると、トホホとなってくるのであまり先のことは考えないことにしてます。
 それでは今年もMasujima Stadiumへ足を運んでいただけるよう、WEBマスター田中氏はじめ、みなで努力して参ります。何卒よろしくお願いいたします。もう一度、みなさんの健康をお祈りして。



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