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※無断転載を一切禁じます 陸上 第78回東京箱根間往復大学駅伝競走
神大は、スタートで飯島智志が2位と好位置をキープ。2区の原田恵章が区間8位としたものの、先頭集団とはわずか36秒差の接戦で乗り切り、後は3区で3位、4区もその位置を守って、2年生、吉村尚悟の山登りにかけた。 トップ駒大から13秒差でたすきを受けた吉村は、果敢な走りで入る。しかし腹痛を起こしてしまい、ここで若干ペースを遅くしたことが、山に上りきってからの蓄えとなった。もともと山登りのスペシャリストとしてトレーニングしていたわけではなく、大後栄治監督は「逸材。どこを走らせても、野性味があって面白い」と起用したという。吉村は、立っていることもできないような強風を走りぬき、一度は駒大に追いつかれそうになったものの逃げ切った。 また、花の2区と呼ばれるエース区間では、法大の徳本一善が7.3キロ地点で棄権。アキレス腱痛に加え、右ふくらはぎの筋肉断裂のアクシデントが重なって、78回の箱根駅伝史上最短距離で、2区では昨年の東海大に続いて2度目の棄権となった。
「野性味、全天候型ランナー」 神大の2年、吉村は、大後監督も「初めて預かった逸材。あまり細かいことを考えずに行くタイプですし、本能が一番重要な持ち味」と評していた。 「途中、そういう考えもあったんですが、でもそれさえ面倒になるくらいの風でしたから、もういいや、こうなったら走れるように走ってみよう、そう考えました。僕のキャリアがないせいでもあるんですけど、今日みたいな条件で走っているときは、走っていることだけに集中したほうがいい結果が出ますね」 走り終えた吉村は、そう説明する。先頭を行けば、昔とは違ってテレビ中継車が入るために風よけもできる。吉村がコース全般に渡って何の風避けも作らず走り続けた点は、それが「走る」ことへの純粋な意欲だったことで面白さを増した。 5区・吉村尚悟(2年)「チームのことを最優先に考えて走りました。どの区間でも、どんなタイムでも走れと言われれば絶対にやろうと思いました。最初の入りが早く、1キロでもうお腹が痛くなってしまいました。でも、その時自重したことで、残りの5キロくらいの蓄えになったと思う。貢献できて良かった」 4区・島田健一郎(2年)「1分30秒くらいで(吉村に)渡せればと思っていたのでまずまずでした。監督からはあまり無理をして突っ込んで(入りから力を入れすぎないように)いかないように、と指示されていて落ち着いて走った」 3区・下里和義(2年)「区間賞を狙っていたので100%の力を出せた訳じゃない。最低限の仕事はできた。3区は海岸で風があるので最初に突っ込むと後半落ちる」 2区・原田恵章(3年)「トップと最小限の差で渡すのが役割だったのでそれはできた。5区で1分半差以内なら吉村が面白い仕事をすると思った」 1区・飯島智志(4年)「区間賞を狙ったので悔しいが、往路優勝で(悔しさは)吹っ飛んだ。区間賞は一人もいないけど総合力で何とか優勝できてよかった」 大後栄治監督「優勝から遠ざかったのは、自分の満心や欲にあったのかもしれません。色々な意味で信念を曲げられないというか、どこかで意固地になっていたこともあったんだと思う。そういうブレーキが実は私の心の中にありましたし、だから勝てなかった。考え方を変えられたのは、周囲のマネジャーや選手たちの声を実感できた時です。ああ、自分は一人だけ勘違いをしていたのだと分りました。今回は、よくつないだ、と思う。計算通り? いえ、走ったのは選手ですから」
「身の丈にあった駅伝」 Jリーグの話ではない。経営破たん、クラブ消滅が問題になった2、3年前、川淵三郎チェアマンが「各クラブ、狙う目標は違ってしかるべきだ。どこもかしかも優勝を狙ってビッグプレーヤーを獲得して、といった経営ではなく、身の丈にあった経営方針を持って欲しい」と発言し、実際にクラブ経営が少しずつ変化を遂げていることは記憶されているはずだ。箱根駅伝にもこの考え方が不可欠ではないかと、この日のレースで考えた。 往路、エース区間のエースと言われた徳本一善がわずか7.3キロ地点で棄権し、法大の記録はすべて参考記録になる。駒大の神屋伸行も区間9位と崩れ、5区に回った山学大のカリウキも11位。反対に、区間賞ひとつも取らずに往路で優勝した神大、2区、3区で抜群の安定性を見せてトップに立った早大は、これといった飛び道具を持たずに好成績を収めた点で、非常に対照的で、さまざまなものを暗示する大会になった。徳本を棄権させようと道路に飛び降りた成田道彦監督(※自身も法大OBで国際的な活躍した)は、すでにレース前から覚悟は決めていた。もし少しでもおかしければ止めるつもりで、OB会長とも話していたという。「徳本に(棄権を拒否して)逃げられましたが」と苦笑しながら話す。 「全チームが優勝を狙って行くような雰囲気と、エースを盛り上げて行くムードは、中にいるものでなければわからないでしょうね。ある意味ではほかの国際大会のほうがよほど気が楽だといえるほどで、選手はその中で20キロを走る力を備えなくてはならない。本当に難しいです」 これと同じコメントを早大の遠藤司コーチ(早大OBでかつてエスビー食品黄金時代を築いたひとり)はさらに象徴的に表現する。 「身の丈にあった駅伝というんでしょうか。速い、速いといわれるスピードに照準を合わせているとどうしても崩れてしまう。それよりも、速くなくてもしっかり走る、優勝ではなくても狙える位置を堅実に手にする。そういう駅伝ではないかと自分は思いましたね。これで走ったら何分という計算ではなくて、その日のベストでやれればいい、そう考えればいいのかもしれないですね」 徳本が、成田監督の指示によって止められ棄権したとき、芦ノ湖のゴール付近で大会本部に指定されているホテルには何本もの電話がかかった。 「本当に難しいんです。これが学校の、陸上の評価のすべてになりかねない。もっと怖いのはその選手の評価すべてになってしまうかのような圧力がかかるわけです。エースと言われる選手たちはみな国際大会にも出場にしているのですから、最後の最後にひずみが来たとしても少しもおかしくないでしょう」 神大の大後監督(※自身は学生時代、日体大マネージャーとして優勝を経験)は言う。自らも選手を止めて棄権したことがあるだけに、この日の法大のアクシデントには胸が痛んだという。 実際のところ、選手、学校関係者には、実力以上のプレッシャーと、それに答えようとするストレスがかかっている。良い方向に転化できればレベルアップで、悪いほうに行けば肥大化となる。底辺の拡大、人気の確保により競技の活性化、これらには大きな貢献がある。 問題点と、それをさらに乗り越えて本当のレベルアップをするために知恵を出し合わなければ、毎年棄権校が出るだろうし、「将来性を考えて止めた」と繰り返さなくてはならない。この日の成田監督の、大学の判断は正しい。徳本も自己申告はきちんとしていたし、まさか棄権の覚悟で飛び込んでいったわけでもない。しかし、もっとも重要なことは、徳本が棄権した瞬間は、実は法大だけのアクシデントではなく、学生陸上全体のアクシデントの瞬間だったととらえる感覚ではないか。少なくとも、現場を預かる監督は、そのことが身に沁みていた、そういう教訓は残した。
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