9月30日

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ベルリンマラソン

高橋尚子、世界最高記録で優勝
気温:11度、湿度:84%、風向:南東の風4m

 シドニー五輪金メダルから1年ぶりのマラソンで、女子初の2時間20分の壁を破る世界最高記録に挑戦した高橋尚子(積水化学)は、スタートから自重した安定ペースでスプリットを刻み、2時間19分46秒と、6度目のマラソンにして、女子マラソンの歴史で初の2時間20分の突破を果たした。高橋はこれで6度目のマラソンで5勝と驚異的な勝率。
 高橋は、苦手な男女混合レースに慎重を期し、周囲を5人の「男子ガードランナー」に守られてスタート。最大のライバルと目されたロルーペ(ケニア)が、5km地点ではやくも20秒以上離れていく中で、完全に世界最高時計だけを追いかけて行く理想的な展開となった。
 5kmを16分44秒と、小出監督が理想としていた16分40秒に近いペースで入り、その後も、15kmを49分30秒と、自らの日本最高から20秒近い余裕を後半に残して前半のハーフを1時間9分48秒でカバーした。
 ハーフを過ぎた地点から雨が降リ始め、25kmでこのレースもっとも速い16分19秒のスプリットを刻んだ。ここから、それまで回りについていた3人のガードのうち2人が離脱。このコース唯一の上り(最大20メートル)となった25km〜30km、30km〜35kmを16分31秒、16分28秒と、積極的に貯金を積んで、ゴールまで計算とほぼ同じ、後半のハーフを1時間9分58秒、2時間19分46秒でゴール。高橋はこれで、優勝賞金、ボーナス含め23万マルク(約1300万円)を獲得した。
 なお、2位はロルーペ(2時間28分03秒)、3位には地元ドイツのワーゲル(2時間28分27秒)が入った。

高橋尚子の話「気候もコースも走りやすくて、応援もスタッフのみなさんも素晴らしい人ばかりに囲まれてうれしい気持ちで走ることができました。今までのレースは五輪や世界陸上などがかかっていて競争のレースばかりでした。今日は自分自身のスピードの限界に挑戦することができました。(日本では天皇陛下より有名なのでは? とドイツのテレビに聞かれて)いいえ、目標に向かってやることは素晴らしいことだけど、私も普通の人と変わりません。目標に向かってチャレンジすることを、みなさんも目指してください。もともと去年の前からオリンピックの優勝と世界記録を目標にしていたので本当にうれしい」

※これまでの世界最高記録は99年ベルリンマラソンでロルーペが記録したもの
優勝した高橋尚子の5キロごとの通過タイムとラップ
  5km 10km 15km 20km (中間) 25km 30km 35km 40km 記録
通過
タイム
0:16:44 0:33:08 0:49:30 1:06:09 1:09:48 1:22:28 1:38:59 1:55:27 2:12:09 2:19:46
ラップ   16:24 16:22 16:39 --- 16:19 16:31 16:28 16:42 07:37
これまでの
世界最高
0:16:20 0:32:32 0:49:12 1:06:04   1:22:52 1:40:38 1:57:07 2:13:33 2:20:43

高橋尚子一問一答(会見からほぼ全文)

──世界最高を出すつもりでしたね
高橋 今日はオリンピックでも世界陸上でもなく人と争うレースではありませんでした。自分のスピードの限界に挑戦するつもりでスタートラインに立ちました。
──2時間20分を切ったのですがこれが限界でしょうか
高橋 練習次第ではないかと思います。まだラスト2、3キロで落ちてしまう。そこを短縮できるように練習できれば、まだ1〜2分は速く走れる。
──どこが難しいポイントだったか
高橋 コース的には難しい場所はありませんでしたが、最後の2キロですね。本当にきつかった。途中で雨が降りましたが、体に水をかけたり、体温が上昇するのを防ぐことができるちょうどいいものでした。
──ガードランナーについて
高橋 回りを囲んで走ってもらったんでとても走りやすくて、(結果的に)いい記録で引っ張ってもらうことが今回の記録につながったと思う。
──高地トレーニングの成果ですか
高橋 毎日全力で42キロを走ってきたことが一番です。高地トレーニングでやれたことは、体力的にはプラスになった。
──風ッ娘(少年サンデーのコミックになった)ではなくて、世界最高の勢いなら「台風っ子」ですね。
高橋 さわやかなベルリンの風を感じ、色々な応援も運んでくれた。向かい風のベルリンの風でしたが、気落ちのいい風でもありました。
──記録のポイントは
高橋 2時間19分を目指して行ったんですが、ハーフを終えたときに(1時間9分48)これを単純に倍にすれば、20分が切れるかな、という手ごたえはありました。
──この高額賞金はどうしますか
高橋 お金のことはまったく考えていませんでしたので……。
──40kmから脚が止まっていたようですけれど
高橋 はい、ラストは7分前後でと計算していて、20分を切ろうと思っていましたが、それでもこんなに(7分37秒)かかってしまった、思ったほどペースが上がらなかったなというのが、ゴールした時の感想でした。
──今回の記録のために一番つらい練習は
高橋 きついと言えばすべてきついメニューでしたが、これをやらなければ、また監督もこれをやらさなければ結果が出ないとわかっていましたから。そこから逃げ出したいとは思ったことがなかった。練習はシドニーの前とも同じで取り組んだと思う。
──トレーニングで走った距離は
高橋 本当に隠しているわけではなくて、走った距離は測っていないんです。練習が終わると、明日のこと、今日の練習で精一杯で終わった練習の距離を何キロかと考えるようなことがありません。まあ一日で一番長い距離、といえば70〜80キロは走った日もあります。
──向かい風の具合は
高橋 非常に強く吹いていたと思います。いつ追い風になるか、どこかで追い風が吹いてくれないかなと思ってたんですけど……。でも言い感じでガードしてもらったんで、いやな感じは受けてませんでした。
──目標だと言っていた金メダル、世界最高、両方を手にしてこれからの目標は
高橋 はい、次の目標はまた見つけることができると思います。それにチャレンジしたい。
──どうしてこうやって目標を叶えてしまうんですか
高橋 やはり自分が特別なのではなくて、回りが全力で支えてくれるからです。こういう舞台に立たせてもらえるのは、回りの人が支えてくださるからで、それが一番大きいと思います。
──世界最高ホルダー、2時間20分を突破した感想は
高橋 自分が凄いとか、そうは思えません。ただ、目標を持ってそれにチャレンジして叶えることができたのはうれしい。
──エドモントン世界陸上に出なかった理由は
高橋 ベルリンで出るつもりだったので、やはり両方の目標を追いかけてしまうと中途半端になると思ったんで、世界陸上は棄権しました(実際は、選考会から出場していないので選ばれていない)。

小出監督(囲み取材から抜粋)
 狙っていたのは、本当は18分32秒で、そのラップを書いたメモを持っていた。ただ、今朝になってコースを歩いたら、かなり向かい風が強くてこれは目標を変えざるを得ないと変更した。5kmで待っていたら、16分44秒かかっていたのでこれはもう20分を切ればいいと、高橋を励ますことは辞めて、水をしっかり取れ、下を向いて、目線を上げると、体が起きてリズムが作れないので、しっかりタイムを刻むことに集中しなさい、とだけ言った。いつもなら、飛ばせとか、行けとか言うところなんだが、今日は安全に安全に20分を狙った結果だった。夕べはあまり眠ることができなかったらしい。
 まあ、次に(さらなる記録を)残しておこうかな、と思った。1分30秒は後半に損をしてしまったはずだ。これからの目標はまあ2時間19分くらいではないし、皆さんが凄ゲエなあと思う記録は出したいと思っている。陸上が本当に好きなへっぽこ親父(自身のこと)が駆け引きなんかなしで挑戦したらどのくらいになるもんか、本当のところで勝負してみたいんだ。
 来年、今後の目標は、キュウちゃんが出たいものに出してやりたいけれど、断れないものも一杯ある。マラソンは春に1本、秋に1本、国内で走らせたいというのが僕の希望。やはりファンのみなさんあっての高橋だから、そこでいいレースを見ていただきたいし、マスコミを嫌がったりしてはマラソンが栄えない、子供たちのためにもしっかりしなさいと言っている。陸上にもスターを育てなくてはいけない。
 記録でいえば、一番力を出し切るのは、ヨーイドンで全力で行くレースだから、一度、それをやらせてみたい。キュウちゃんの記録については間違いなく、これが一番速いだろう。夕べもよく食べていた。うどん3杯平らげていたし、ご飯も3杯くらい食べていた。自分にあったものを、好きなようにやることが一番だ。
(高橋は10月1日に、ロードレース協会の表彰とパーティー、一夜明けの会見を行い、2日以降、帰国する予定、チームは10月の東日本実業団駅伝を狙うが、高橋の出場は未定で、全日本実業団になる予定)


「世界最高への3万歩」

 高橋の潜在能力を長年にわたって取材している誰もが、実業団でその実力に泣かされている選手、指導者のすべてが、もちろん、それを知り尽くしている小出義雄監督、もしかすると当の本人さえも「2時間19分46秒」にそれほど大きなインパクトは持っていないのではないか。高橋ならば、間違いなく、机上の空論を、ロードの現実にかえることができるのだと、数字の裏付けを持って十分に知っているからである。
 さらに、慎重を期して、「ガードランナー」という存在に守られて走っていた姿には、彼女にこそ必要ないのではないか、という違和感とともに印象に残った気はする。
 しかし、出ても当たり前というプレッシャーを跳ね返し、テレビでは感じられないこの日の強烈な向かい風と低温、さらにはスタートから雨の降り出しを待っている90%近いうっとおしい湿度といった悪条件を克服したこと、さらにこれらに加え、今回、シドニー五輪の時よりも1か月も遅く練習に入ったことで抱えた筋力不足、ピークのズレなど様々な不安、これら3つのマイナスを、彼女が水面下でクリアしていたことを、出された記録以上に、高く、最大限に評価をしたい。彼女がこのレースで見せた、マラソンランナーとしての底力への評価である。

 高橋のストライドで、1つのマラソンレースは約3万歩以上になるのではないかと言われている。1秒という記録にかけていく集中力が、彼女の最大の武器だというならば、もうひとつ、この3万歩に向かって一歩、一歩を運んで行く、その独特の走法にも、誰にもない強さが潜んでいる。
 このHPの「特別客員」でもある山下佐知子氏(第一生命監督)は日本でテレビを見ながら、こう解説を寄せてくれている。
「彼女のスタートから動きを見ていると、明らかに脚を使わないでいることがわかりました。あれは調子ではなくて、自分で意識して、自重していく意味もあったと思いますし、脚を後半に残しておく部分もあったと思うんです。このレースで彼女はほとんど腿を上げていませんよね。小出監督のコメントを新聞で拝見していて一番印象的だったのは、今回の練習が1か月遅れとなったことで、練習を詰め込み、いつもよりも体が絞れてしまったことを案じているものでした。そのため筋肉に適度な艶がなくなってしまい、私たちはこれを筋肉が干からびる、と表現するんですが、そういう状態でどこまで持つか、絞ったことはいいのだが、筋肉がどこまで持つかは未知の部分、と言っておられましたね。これは、レースの結果を見ると、本当に正確な指摘だったのではないでしょうか。つまり、実際のところ、シドニーやアジア大会の時のような、後半も乗り切る脚が残っていなかった、残っていなかったにもかかわらずその中で、この記録を作る走り方を徹底したことが見事なわけです。
 もうひとつが、やはり練習の繰り下げによって、高橋さんも新聞でコメントしていましたが、ピークが早く来ていた、と言う点です。得意のラスト10キロが伸びなかった点を見ていても、明らかにピークではないことはわかりましたね。本当は2週間くらい前だったかもしれませんし、もっと前かもしれません。心も体も仕上がったと実感できる状態の中で、あと何日かを待たねばならないのはとても辛いことです。私たちはこれを失速すると言いますが、高橋さんでなかったら、失速していた可能性が高かったと思います。
 2点、水面下にありますが、テレビで観ていてやはり大変なことだったと思います。数字的には、実業団の監督さん、みな驚くことはないでしょう。彼女の強さはわかっていますから。でも、こう言う条件を越えての20分突破になると、できるランナーはそういませんね」

 小出監督に「高橋の走りが小さかった」という質問が出た。しかし小さいのではなくて、小さく見えるようには走っていたのだ。高橋は、表現的には難しいが「脚を使わない」で走る。つまり上体の腕振りの独特な動きで、体をローリングさせて運んでしまう。男子でもなかなかできないテクニックのひとつでもあるし、環境に左右されない省エネ走法でもある。あれだけ脚を使わずにスピードに乗れば、後半にかなりの貯金、それは単に記録の貯金ではなくて、脚力の貯金もできる。
 監督は、高橋の今回の練習を通信簿にすると、ひとつだけ3がある、と話していた。3とは、まさにこの最後まで持つ筋力のことで、レース後「やっぱり思った通リの3でした。あれだけバネがなくなってしまっても、あの子は腕振りで持って行ったけれど、本当に考えていた通りの3になってしまったね」と、最高レースの中の反省を「僕のスケジュールのせいだから」と挙げた。
 普段の高橋とはまったく違った走りをしながらの前半、走り方を変え、腿を上げてからのスピードではなくて、走り方の切り替え、こうした点は高橋だからできる「調整」だった。

 ピークについては「世界陸上の時が、走りたくて一番うずうずしてました」と自ら表現したように、1か月早かった。意欲は当然、すべてにおいて落ちていくところだが、そこでこのレースに向けて、自分を「リメイク」してくる点も、他のランナーには真似が出来ない精神力、狙ったものは絶対に手にすることへの集中力は、この日も高橋を救ったはずだ。
 いわば、この日の記録は、気象条件は別として、高橋自身が万全の、ベストの体調で挑んで100%で作った「夢」ではなく、すべて7割ほどの、無理をしない「現実論」の結果だった点が、マラソンレースとしての高い評価を受ける部分なのだ。悪いなら悪いなりに、とは、競技者のリスクマネージメントを指すひとつの表現だが、高橋の場合は、悪いなら悪いなりの世界最高、を実現してしまうところが、他のランナーとは違う、ひとつ突き抜けている実力だといえる。
 監督が言った、「ひとつだけ3」の原因と結論、その対策がこれほどはっきりした今、おそらく、2時間18分、あるいはその突破も、複数回目撃できるのではないだろうか。

 さて、1週間後には、テロ事件で開催が危ぶまれていた米国・シカゴマラソンが行なわれる。同レースのディフェンディングチャンピオンで、今年のボストンを2時間23分53秒で制し、現在、記録的には最強のランナーと呼ばれているヌデレバ(ケニア)は、今回のレースへの抱負を聞かれてこう答えている。
「ベルリンの結果を、誰がどんな記録を出そうが、とても楽しみにしている。なぜなら自分のタイムの目標が決まるからだ。私は、今回、この困難と闘いながらマラソンを開催にこぎつけてくれたシカゴ市民と、アメリカのために必ずどんな苦しみにも勝って、世界最高を出したいと思う」
 高橋の記録を塗り替えようと、ヌデレバだけではなく、国内のトップランナーたちも間違いなく、想いを新にしているはずだ。
 女子のマラソンランナーがゼッケンをつけて、公式に走れるようになってから30年近くを要して破られた2時間20分の壁を、高橋が破った今、そこに広がっているのは、新たな景色である。
 その景色を一人でも多くの女子ランナーが、もちろん高橋も含めて、見て、塗り替えて行くことは、記録誕生のこの日の一瞬よりも、はるかにエキサイティングなものになるはずだ。



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