12月19日
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日韓戦日本代表会見
(横浜パンパシフィックホテル)
サッカー日韓親善試合、キリンビバレッジサッカー2000(12月20日、19時5分キックオフ、国立競技場)を前に、日本代表のメンバーがそれぞれ会見を行った。トルシエ監督も会見を行い、「あすの試合は勝負ではなく、2002年に向けての長いプロセスのための最初のステップであり、その点で非常に重要だ」と話し、この試合を終えた後、年末までに来年2月に招集する45人代表のメンバーを決定して年越しする方針を明らかにした。会見にはヒディング監督(オランダ、98W杯オランダ代表監督)に代わったばかりの韓国側からの多くの取材陣が出席。両国のライバル関係によってアジアサッカーの20世紀を戦い続けた日韓にとっても、大きな意味を持つ今世紀最後の試合になる。
午後6時からは国立競技場で韓国代表が非公開(韓国メディアは取材)で練習を行い、日韓戦は視察のみとしていた新任したばかりのヒディング監督が練習を訪れるなど、緊迫した雰囲気も漂っていた。
またJリーグはこの日理事会を行い、横浜FCのJ2昇格を正式に承認。川淵三郎チェアマンが今年一年を総括した。
移籍先の交渉を行なっている三浦知良(京都)は「昨日(代理人らが神戸サイドと)会って挨拶程度の話をしたと聞いた。移籍先のことは来週になるだろうが、神戸はすべてが具体的で、市をあげて支援してくれるとか、提示してくれる金額とか、本当にあらゆる面できちんとした数字を出してくれている。まだわからないが(選ぶための)情報がほかに比べればたくさんある」と、神戸移籍に対して前向きな姿勢を明確にした。まだ神戸サイドと接触はしておらず、日韓戦終了後に交渉を本格化させ、年明けに沖縄、京都で(1月31日までは所属選手)自主トレを行なう。
名波浩「韓国には日本にはない身体的能力がある。コンディションとしては、天皇杯がいい調整になっている。アジア杯の肩書きなどまったく意味がないし、周囲がいうほど、韓国はあの大会で悪くはなかった。イラン、韓国とはあの大会中是非やりたかった。洪(明甫=柏)はリベロで来られるほうが嫌だとは思っている。しかし、普通にやれれば負けるようなことはないでしょう。若い世代は韓国をチンチンにやっつけてるからね。(年齢が上という)立場的にみなさんがリーダーと言うだけで今回は、長老2人(カズ、ゴン)が色々とやってくれるでしょう。サイドキック、両足ともちょっと痛いが注射を打つようなことはしない。とにかく、目の前にある試合を一生懸命やるだけです」
中村俊輔「伝統の試合というか、前回の日韓戦ではわずかしか出られなかったので自分の力をどこまでやれるか試してみたいし、今年最後の試合で自分をアピールすることが重要だともう。内容より勝負にこだわりたい。右足首はアイシングしてもう痛みもほとんどない。フリーキックは、蹴り方(パターン)を工夫してみたい。自分が直接と見せてファーとか、個人的にはキックを合わせてみたい相手は福西さん(磐田)。磐田の試合でも、名波さんのボールに毎試合といっていいほどニアで合わせていて凄いと思うから。アジア杯でテレビで見た韓国は、自分たちのサッカーという感じが薄れていたが、今回はあの時よりは難しい試合になると思う」
トルシエ監督の会見(抜粋):
2002年への長いプロセスへのひとつの試合として捉えたい。結果ではなく貴重な意味を持っていると思う。4月の日韓戦(0-1)と比べてチームが経験を積んで成熟したと言える。何が変ったというわけではないが、自然と力をつけ、攻撃でも常にゆったりと自分たちのペースを守ってサッカーができるようになっている。またディフェンダーから冷静にプレーをして組み立てることもできている。こうしたプレーの結果(全員が攻撃のパターンを作れるようになったために)1968年には日本にはフォワードが1人しかいなかったが(メキシコ五輪釜本邦茂氏を指す)今では1000人の得点者がいる。
セットプレーでは新しいことをやることはないし、現代サッカーではいくら非公開にしたところで分かってしまう。日本のセットプレーのテキストは866です(ジョークで)。もちろん得点の半分はセットプレーからであり警戒はしている。韓国代表のヒディング監督は素人ではない。アドバイスできるとすれば、自分の信念をコンセプトを持ち続けることだ。韓国ではファンが代表にプレッシャーをかけているというが、日本と韓国の差はない。日本とメキシコもない。あるのは結果の違いだけだ。
(カズの加入について)彼はオープンで若手にも非常にいい影響を与えている。昨日はみんなを(宿泊している横浜市内にある)観覧車に乗せたいと言ってきたので、さすがにそれは勘弁してくれと言ったんだが(笑い)。私のチームにスター扱いする選手はいない。
韓国代表監督代行・朴恒緒氏「日韓戦は結果が重視される試合であるが、2002年に向かって手に手をとって協力者なんだ。あしたの試合は勝敗ではなく内容を見て欲しい」
理事会を終えて今年1年の総括を行なった川淵三郎チェアマンのコメント「横浜FCには確かに問題が山積されている。しかし、市民クラブとしてこうして昇格したことをしっかりと受け止めていけばいい方向になると思う。年間強化費は3億円で、来年はスポンサーがひとつ増加して4億という。そういう計算ではなくて、身の丈にあった経営をしていって欲しい。今年のJ1は全体で観客13万人減、1試合で1万5000人減っている計算になるが、これは浦和がJ2にいたこともある。
ピッコリ監督で福岡はこんなに変るかというほどの(いい)チームになったし、後期なら早野(G大阪)、年間勝ち点をもっとも多く奪った西野(柏)、それから私も正直かなり苦しい戦いだろうと思っていたが、札幌の岡田も本当によく上がってきた。彼らの指導力は高く評価したい。サッカーくじについても1月24、25日に選手、警察関係者を呼んで説明会を行なう
「オフトが、キップを配ってた」
「20世紀最後の日本代表Aマッチ」と表現されるが、単に新聞の見出しの問題であったり、キャッチフレーズの話であって特別な感情が感傷など湧くものではない。
しかし、この2人にとって、この試合はおそらく、本人たちの意識とは別のところに置いて、非常に大きな意味を持つ「今世紀最後の代表戦」になるはずだ。
一回りも違うかというフォワードと今回ともに合宿を行っている三浦知良(京都)と、中山雅史(磐田)は、18日の夕食後、若い北嶋秀樹(柏)、小野伸二(浦和)らと食卓を囲み、ずいぶんと楽しく長話をしていたのだそうだ。2人とも日本サッカーが激変を遂げた90年代を、想像を絶するようなスピードと意欲で突っ走って来た。
真の厳しい体験は、説教ではなく愛情のこもったアドバイスに転じるものだ。
「オレたちの話なんて知ってると思うし、別に苦労話を聞かせようなんて全然思ってないよ」三浦は、夕べは笑いすぎて話し過ぎて歌い過ぎて、のどが痛いと苦笑しながら、枯れた声で話した。中山も腹筋が痛いと笑う。
「今ある代表が、このままここに来てると若い世代は思ってるんだね。北嶋も知らなかったよ。だから日本代表の価値っていうのかな、こうしてメディアに注目され、サポーターに常に応援され、スタッフがいて、とこうした状態が当たり前じゃああなかったときのことも話したんだ。その上でこうやって一緒にやっている幸せをかみしめたいからね」
92年、オフト監督率いる代表が米国W杯予選を目指して始動したとき、オランダに遠征をしている。同行したカメラマンは1人、記者も1人。三浦や中山にはそのシーンから、アジアカップで優勝し、イタリアに再度遠征に行った時が忘れられないという。記者が百人単位で増えていたからだ。
「出たくないテレビに出て、サッカーのプロです、とか、W杯があります、なんて言ったりしたもんね。遠征の時はマネジャーも用具係もいない、トレーナー1人。だって、空港とか移動では必ずオフトが自分で切符配ってたよ。今思うと笑うよね」
小野や北嶋にとってもこうした話自体が新鮮なのだそうだ。それと同時に「何かを切り開くためには、どんなに苦労するものか。だから簡単に失っちゃいけないってことですよね」と北嶋が口にしたように、継承という意識が代表の中には芽生えているのではないか。中間を牽引した名波たちの世代、そして五輪の世代と、この日韓戦は、日本サッカーがアマチュアからプロに変り、もちろんそれは単にカテゴリーだけの問題ではなく、とてつもないスピードで走り続けた世紀末を締めるに、実にすばらしい結論をもたらすのではないか。
「日韓戦といえば92年のダイナスティ杯で自分の同点ゴールで追いついたゲームに尽きる。あの試合で、プロの選手として代表の選手として、自分もやって行けるかもしれない、そう思いました」
中山もしみじみと話していた。
三浦は、この時代をどう思うかと聞かれて、恵まれていたと答えた。しかし、本当に恵まれているとすればそれは、彼らや名波たちのような世界観を持ったプレーヤーとともに代表で、世紀をまたぐ試合に挑める若手たちなのではないか。
国立競技場では97年9月以来3年3ケ月ぶりの得点を狙う三浦は枯れた声でゲラゲラと笑った。
「世紀最後の試合にふさわしい内容にしたいね。もっとも最後って、オレの最後の試合にじゃないよ、気をつけないとねえ」
日本が走り続けた20世紀のサッカーにとって、実りある試合であるように。 |