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キリンカップサッカー2000 取材・田中龍也
試合は前半7分、右サイドで自らフリーキックを得た三浦淳宏(横浜)がゴール前に正確なボールを入れると、フリーになっていた柳沢敦(鹿島)が左足でちょこんとあわせ、日本があっさりと先制。しかしその後は、5バックに2人の守備的MFを配置するという布陣で守りを固め、ボールを奪うと一気にカウンターを仕掛けるというボリビアの戦術に手を焼き、ボールを支配しながらもややボリビアのペースで試合は進む。しかし28分に森島寛晃(C大阪)を中村俊輔(横浜)に代わって投入すると、その9分後、森島がポストプレーでボールを西澤明訓(C大阪)にはたき、それを受けた西澤が柳沢にパス。これを柳沢が思い切りよく決め2点目を奪った。 後半開始からは、ここ4試合連続で先発に起用されてきた西澤に代わり高原直泰(磐田)、前半イエローカード受けた松田直樹(横浜)に代わりA代表へのデビュー戦となる宮本恒靖(G大阪)が起用された。ボール支配率では相変わらずボリビアを上回る日本は何度かチャンスを作るものの、オフサイドやシュートミスによりなかなか追加点を奪うことはできなかった。終盤、79分に柳沢に代え久保竜彦(広島)、88分に三浦に代え本山雅志(鹿島、A代表初出場)を出場させたものの、結局このまま試合は終了。先に全日程を終えているスロバキアと、勝ち点、得失点差、得点ともに並び、両国優勝となった。日本のキリンカップでの優勝は3年ぶり5度目。また日本国内の試合でA代表が勝ったのはトルシエ監督の初采配となった98年10月のエジプト戦以来1年8か月ぶりとなった。 試合後、トルシエ監督は一切の質問を受け付けず、一方的に会見を終えた。契約問題について話し合われる岡野俊一郎会長との会見は20日も予定されている。 トルシエ監督の会見より(抜粋) 「さて、なにからはじめましょうか。しゃべりたいことはたくさんあります(笑)。 カルロス・アラゴネス・ボリビア監督の会見より(抜粋) 「日本が勝って当然の内容だった。ただ、日本は序盤ナーバスに見えた。しかしそんな中でボリビアがミスやエラーを重ねてしまった。そして1点が入ってからの日本は落ち着きを取り戻していた。 「試験と実験」
思えば、この“実験”という言葉が、トルシエ監督に対する誤解や悪印象を生んでしまったのではないか。曰く「観戦料をとる試合を実験の場とするなんてとんでもない」、曰く「負けたときのためのエクスキューズではないか」等々。 しかし確かにトルシエ監督は契約が続くのかどうかの土壇場とも言えるようなこの期に及んでも、実験を敢行してきた。“決定力不足”が言われる中、4試合でフォワード登録の6人(三浦知良、城彰二、西澤明訓、久保竜彦、柳沢敦、高原直泰)に加え森島寛晃、中西永輔までもを前線で試した。そしてその4試合では9得点を記録した。 では、この日ボリビア戦ではいかなる実験を行ったのだろうか。この試合の大きな特徴は、中盤の選手がこれまでの試合に比べ、積極的にドリブルを仕掛けていくシーンが目立ったということ。しかしそのため中村俊輔にボールをあずける回数は減っていた。これにより中村はボールをもらいに下がってしまい、守備的な稲本よりもさらに下がる場面も何度かあった。これでは前線の選手が担うべき役割の1つであるドリブルためスペースを作り出す動きができない。ドリブル中心の攻めをサポートするために、時にはフォワードの選手と並ぶような位置取りをすることが中村には要求されたはずだ。中村自身は試合後に足に故障があったことを口にしていたが、森島への交代はこういう面があったのではないか。ちょうどこの時期に行われているサッカー欧州選手権では、フランスのジダンやポルトガルのルイ・コスタが“新しいタイプの10番の役割”を実証している。狭いスペースでいかにコントロールするか、高い技術を持つ中村に求められることがあるとすればこういうことだろう。 日本の2点目は森島がフォワードの選手を追い越しポストに入ったことから生まれた。 確かにハッサン2世杯で見せたような中田、名波、中村らを中心にしたパスを主体にしたサッカーは見ていても楽しいが、この日の日本は違うパターンを持っていることを見せてくれた。これがトルシエ監督の言う実験だったのかどうかは、残念ながら監督が試合後の会見で「この試合は年間10試合行われる代表の試合の1試合でしかない。つまり10%にすぎない。この試合について聞きたいこともあるかもしれないが、今日は答えない」と会見を切り上げてしまったために確認できなかった。しかし“実験”を口にしたからには、いつかそれは説明してもらいたい。
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