1月24日
有森裕子(リクルートAC)、大阪入り
(大阪・関西空港)
30日の大阪国際女子マラソンに、シドニー五輪代表権をかけて出場する有森裕子(33歳)が移住先の米国コロラド州ボウルダーから、夫のガブリエル・ウイルソン氏とともに大阪入りした。
有森が大阪を走るのは初マラソンの日本最高をマークした'90年、日本最高をマークした'91年に続いてこれで3度目となり、国内のレースは'95年の北海道マラソン以来じつに3年ぶり。今回は、1週間前と比較的余裕を持って日本に戻ってきており、最後の調整を大阪で慎重に行う。
空港には、ガブリエル氏との「帰国2ショット」を初めて取材しようとワイドショーなどテレビカメラ7台、スチールカメラも10台、取材陣数十人と、これにちょうど到着ラッシュの時間帯となったために、空港ロビーは一時パニック状態に陥った。
有森は昨年末の大島合宿では一時腰痛に見舞われ、また今年に入ってからも貧血に苦しむなどこれまでとはまた違った調整を強いられた。しかし、この日はやはりいつものレース前と同じような「笑顔」で、しかも大混乱の中でも悠然とした表情を崩すことはなく、レースに向けての充実感があふれた姿が印象的だった。
有森と一問一答(一部は抜粋、構成)
──昨年からの調整についてもう少し詳しくお願いします
有森 大島合宿(昨年12月)から戻ってからあまり状況がよくありませんでした。腰痛のほうは大島以降、あまり痛みが出ることもなかったのですが、ボルダーに戻ってからは久しぶりの貧血で、かなりあたふたしました。数値は測っていませんが、毎日の生活の中でかなり体が重く、大島では(カンボジアでのチャリティから帰国直後だったこともあり)ずっとお腹が痛かったんですね。その中で無理をして練習をしてしまったことと、ボルダーに戻ってから普通の家庭にもよくある年末の忙しさもあって、寝不足も重なってしまったのがよくなかったようです。年明けからもあまりよくない状態でしたね。
──どんな風にして立て直したのか
有森 一時は(心身ともに)崩れかけたのですが、何とかここまで気持ちを立て直せました。練習ができない時に、できた時と比較しても比べようがないのだし、自信もなくしてしまう。そこでそれにこだわるのではなく、できないならできないなりに、何か新しい形をやっていけばいいのだから、と思うようにしていました。練習量は減っているかもしれませんが、その日、その日の体調に合わせて、しっかりと内容を消化するようにしてきたつもりです。
──国内では3年ぶりのレースとなります。海外から戻って来てレースをしなければならない点で難しさもあると思うのですが
有森 そうですね。事実、このフライト(ボルダーからサンフランシスコ経由で約15時間)によって、まる2日分の練習はダメになるわけです。気候も向こうとは大分違うでしょうし、最後の最後まで気を緩めないでしっかり調整していきたい。ただ、国内で久しぶりということで、逆に応援など楽しみな面はあるんです。
──体重などは? また体調が上向き始めたのはいつ頃だったのですか
有森 体重はまったく変動がありませんねえ。こちらの方が……(となりのガブリエル氏のおなかをつまんで)。そうですね、ようやく上向きになったのは、2週間前くらいからでしょうか。
──今回のレースには五輪出場権がかかるわけですけれど、ボストン(昨年4月3位で自己記録を更新)のレース前と比べて違うのですか
有森 いいえ、自分の中では、ボストンも今回の大阪もレースのひとつとして変りません。ただ、今回は、(五輪の出場権獲得の)チャンスがあるんであればチャンスはつかみたい、と思います。
気持ちは随分と盛り上がってきています。大島の頃は腰のこともありましたし、そういう時の選手は、どうしてもコメントがトーンダウンするもんなんです。
(レース展開について)タイムなどは全然予想するものではありませんし、自分が設定できるような状態ではありません。レース前にいろいろ言っていても、実際、ほかの選手にしてもスタートしたら変わりますしね。当日、走り始めた一歩目で決めることにします。
★ 今回の大阪には、これまで有森が講演活動を行った小学校をはじめ、非営利団体として主催している「ハート・オブ・ゴールド」の支援仲間、また地元岡山からなど、全部で500人ほどの大応援団も勢ぞろいする。
ガブリエル氏の話「ユウコの調子が悪い時期は、私にあたって大変でした(笑い)。でももう大丈夫でしょう。シドニーは行くことができればすばらしいと思う。当日は、沿道で会社のみなさんと応援することになるでしょう」 |