………嗚呼! 懐かしのめろでぃ
縁側に座して団扇を片手に、
麦酒などをやりながら夏の庭を眺めれば、
ただ蝉時雨が耳を打つ。
雑木の濃い影になった庭石に木漏れ日が踊り、
打ち水の匂いが鼻先をかすめる。
やがて月が冴え、
萩が咲き、金木犀が匂い、
森閑と冷え込んだ夜半に松の葉が落ちる幽かな音を聞く。
あるいは、
山峡の流れのせせらぎに、浮きつ沈みつ翻弄されるもみじをすくい、
深夜の吹きさらしに立ち尽くし、降る雪を真下から眺め上げ、
ぬるみ始めた柔らかく寄せる波と潮に、春の匂いを嗅ぐもよい。
そこにあるものが見え、
そこにあるものが聞こえ、
そこにあるものに触れるならば、
世界は思いのほか、豊かなものだ。
それでじゅうぶんではないか。
そう思い始めて数年が経った。
人と人を繋ぐメディアとしての音楽、
人が作り人を感動させる音楽が介在する余地は
自分のなかで日々着実に減り続けている。
小賢しい理屈を並べるまでもなく、既に同時代性はとうの昔に放棄した。
追従する意欲も失せた。
この流れは困ったなと思っても止めようがない。
いずれ自然にかえるのだ。
しからばこれは、過去帳のようなものか。