チベットから無事にカトマンズに到着。しばらく休養して、ふと考えた。幸いお金はまだ少々残っている。予定もまったくない。このまま日本に帰るのももったいない話。が、ネパールヒマラヤは完全にモンスーンの真っ最中。で、モンスーンの影響をあまり受けないというカラコルムへ行って、トレッキングしようと思い立つ。われながらグッドアイデア。が、インドを経由してパキスタンのラホールへ到着して、とある情報に考えを変えられる。パキスタンからイランやトルコを通って陸路でヨーロッパまで行けるらしい。面白い。で、行ってきました。
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7月21日
慣れ親しんだカトマンズを離れて、空路パキスタンを目指す。カトマンズから直行便ではパキスタンへは行けないようなので、デリーで一泊して、飛行機を乗り換え、翌日パキスタンのラホールへ到着。どうでもいいことだけれども、デリーの国際空港はチケットの持っていない人は空港ビルへは立ち入り禁止なのであった。なので、ビル内は閑散としていたね。
パキスタン行きの飛行機で、日本人の旅行者と知り合いになり少し話を。ここで、陸路でヨーロッパへ行ける情報を得たのであった。
多少の迷いもあったのだが、やはりヨーロッパという言葉に参ってしまい、ギルギット行きをちょいと中断して、日本人の旅行者(仮にQさん)にくっついてヨーロッパを目指すことにした。
ラホールからは列車で西を目指し、翌日クエッタという町へ到着。ラホールとはまったく違った土地であった。砂漠の近くにあるのだろうか、岩山に囲まれ人々の顔つきもずいぶん違って見える。妙に東洋系の顔立ちの人々もいた。道ですれ違うとお互いあれっと顔を見合わせる。聞くと、アフガニスタンから来ているのであった。クエッタには難民キャンプがある。
バルチスタンの砂漠。
7月30日 (どうでもいいけど真夏に砂漠はちょっと失敗だった)
いよいよ、クエッタから砂漠を横断する列車に乗り込んでイランとの国境を目指す。写真はその電車と砂漠。本当にただの砂漠。なおかつ暑い。一番驚いたのは、夜の間は窓をあけているのだが、日中暑さが厳しくなると熱風を避けるために列車の窓を閉めてしまうのだ。
そして、翌日の7月31日の午後1時半過ぎ、イランとの国境があるタフタンに到着。やれやれ。
タフタン、砂漠の中のボーダータウン。小さな役所と銀行と小さなバザールがあるだけ。退屈そうなヤギがごみのなかから食べられるものを探してうろうろしているようなところであった。ついでに闇両替屋もうろうろしていたのだが、これは無視。が、後で大変な後悔をすることになった。
すぐさま出獄手続きを取って、歩いてイラン側へ。
イランへ入国。どういうわけか税関でトランプを没収された。なんだなんだ。そして両替。日本円がとても安くなってしまった。戦争中なのにイランの通貨リアルはとても高いのであった。
国境からまずは一番近い町ザヘダンまで移動。途中、軍の検問が何回もある。戦争中(イラクと戦争していた)でしょうがないのかな。
まずははらごしらへ。が、物価が高くて両替したお金がみるみるなくなる。とてもホテルなどには泊まれない。バスターミナルに到着してバスの情報を。が、驚いた。バスなんかないという。戦争のおかげで交通システムはむちゃくちゃになっているらしい。金はない。バスはない。困った。
とりあえずは、バスターミナルで野宿。周りにはパキスタンからの巡礼の家族連れの人々がたくさんいる。もしかすると、巡礼の人がチャーターしたバスに乗れるかもしれないというわずかな希望を胸に星空の下に眠る。野宿だったけど、熟睡。星がきれいだったような気が。
翌朝、といってもまだ暗いけど、連れのQさんに起こされる。バスが来たという。確かにバスだ。パキスタンの巡礼の人がチャーターしたバスだ。で、周りのパキスタンの巡礼の人、だれかれとなくあのバスに乗りたいと頼み込む。と、何と乗れることになった。
イランのレストランで。食後の一服。決して麻薬ではないと思います。
めでたく二人とも(Qさん)バスに乗せてもらうことが出来た。少しのお金をドライバーの人に渡す。バスは走り出した。改めて目的地を尋ねると、マシャドというところだという。地図(パキスタンで買った世界地図)を見ると、ザヘダンの北でどちらかというとトルコ国境とは方向がだいぶ違う。ま、いいか。
バスはしばしば検問のために止められてしまう。途中、ドライブインのようなところで昼飯。ピラフのようなものとつくねを平べったくして串焼きしたもの。おいしい。葡萄も少し買う。
マシャドへは夜、10時過ぎ、到着。巡礼の人々にくっついて宿泊所へ。ベッドも机もシャワーもないじゅうたんだけが敷いてあるシンプルな部屋。くたくたになって水道で頭だけを洗って寝る。巡礼の人が親切にも明日のタクシーを予約してくれる。(本当に親身になって心配してくださいました)
8月2日 火曜日
約束した時間どおりにタクシーがやってきて、バスターミナルへ連れていってくれる。昨日のバスのドライバーがいたので、テヘラン行きのバスについてたずねると、知り合いのドライバーにチケットを手配してくれた。ありがたい。これで、どうやらテヘランまでは行けそうだ。と、喜んで回りの人々と遊んでいると、Qさんがバックパックをナイフで切られて、いくつか物を取られてしまった。油断大敵。
バスは11時20分、マシャドを出発してテヘランへ向かう。砂漠の雄大な景色の中をバスはひた走る。予想に反して道はなかなか良かった。午後、とあるオアシスのようなところで食事休憩。冷たい小川が流れている。桃を買って食べる。砂漠とはいえ、果物などは豊富。そしてとてもおいしい。
バスは走る。夜中、砂漠の向こうに光の帯が見えるようになってきた。テヘランだ。夜中の2時過ぎ、バスは郊外で止まった。ここで全員がバスを降りる。が、ここはどこだ。途方にくれていると小さい子供を連れたおとうさんが僕らを見かねてタクシーを捕まえてくれて、バスターミナルまで乗せていくように交渉してくれた。
ターミナルで夜明けを待つ。6時過ぎ、アナウンスが。が、イランの言葉なのでまったくわからずにうろうろしていると、英語を話せる若いイランの人が来て、今日もバスは1本も出ないと教えてくれる。どこへ行くんだと聞くのでトルコ国境と答えると、ターミナルの外へ連れて行かれ、タブリズという町へ行くミニバスに紹介される。ありがたい。
ミニバスは一路、タブリズを目指す。何はともあれ安堵。これでイランは半分は通過しただろう。タブリズには夕方5時過ぎに到着。緑が目立つ落ち着いた都市だった。何はともあれバスターミナルへ。どうやらバスはあるようだ。親切な人にホテルを紹介してもらい、おまけに両替までしていただく。久しぶりにベッドとシャワー(ちゃんと温水がでた)、テーブル完備の清潔なホテルへ。
夕食に町へ出る。と、町の人々がとてもフレンドリー。なかには「おしん、おしん」と声をかけてくる。聞くと、今イランでは日本のテレビ番組「おしん」を放映していて、大人気だという。なるほど。
夕食を済ませ、さくらんぼを買ってホテルに帰る。久しぶりの熟睡。
タブリズのホテルの窓から外を見ると、、。戦時中なのだ。
翌朝、市内見学。古いバザールなどを見て歩く。バザールの建物は古いのだが、どちらかというとマーケットという感じであった。生活必需品を商う店がほとんど。骨董品はあまりない。
昼飯に、タブリズ名物だというつぼに入ったシチュウを食べる。なかなかうまい。ヨーグルトとロティがついていた。
食後、バスターミナルへ国境行きのバスの確認に行く。が、バスはないという。ミニバスもないらしい。途方にくれてターミナルを出ると、タクシー(白たく)がいて、国境まで行くという。が、高い。すったもんだの末、夕方5時、乗合タクシーで出発することにした。ホテルに戻り、慌てて荷物をまとめ、チェックアウト(快くホテルの人は了解してくれた)、タクシーに乗りこむ。
風景に、山と緑が増えてきた。まもなく、夜。そして雨。実に久しぶりの雨。うとうとしていると、タクシーが無理な追越をかけて、対向車と接触。路肩にはみ出して止まった。幸い、タクシーの板金がへこんだだけで大事にはいたらず。でも、もう少しで死ぬところだった。
ボーダーのあるバザルガンという町には、夜の9時過ぎに到着。イラン人のおじさんにくっついて国境を目指す。どういうわけか国境の事務所まで歩かなければならない。10分ほども歩いたかな、国境到着。イミグレーションと税関も簡単に済んだ。と、気がついたらトルコ側のイミグレーション。ひとつの建物をイランとトルコで共有しているのであった。簡単なカードに記入して提出すると、すぐに入国のスタンプをくれた。税関はノーチェック。
これで、めでたくトルコ入り。
さて、バスだ。が、いろいろと聞いて回るが、真夜中だといこともありバスは無いという。かといってホテルもない。困った。目に付いた免税店へ入り、ここで休憩。店員が人懐こく、朝まで待たせてくれと言うと大丈夫だとの返事。イラン人の団体さんと一緒に朝まで待つことに。
イランとトルコの国境からみたアララト山。ノアの箱舟の着地点。最初は自動小銃を持った警備員から写真はだめだと言われたのだが、あの山しか撮らないといったらあっさりと許可してもらった。画面のすぐ脇には彼らがいたのだが。
翌朝、イラン人の団体さんのチャーターしたバスがやってきた。行き先はイスタンブール。渡りに船とはこのこと。ドライバーさんに乗せてくれるように交渉。一人25ドルでOK.ふふふ。ドルは強し。
8月5日。バスはアララトのふもとを西を目指して元気に走る。
東トルコで見かけました。ロバとお父さんと羊たち。
遠くに雪をかぶった山が見える広大な高原をひた走るのだが、いくら景色が良くても腹は減る。とあるレストランで食事。羊のシチュウとお茶とパン。そうなんですね、トルコにはいるとロティやお米ではなくパンが出てくるのだった。そしてこのパンがまたうまい。
標高の高いためか、空気は涼しく夜には寒くさえ感じる。バスは夜の間もひた走るのであった。
東トルコの夕日。
8月6日
とあるいなかで朝を迎える。食事休憩らしい。やや寒い。朝日を浴びて体を温める。朝飯はりんごとすももとビスケット。
景色の中に徐々にポプラの木が増えてきた。と昼を過ぎるころには、大気は熱くなってきた。そして夕方、首都のアンカラを通過。大都会であった。
観光地イスタンブール
8月7日
翌朝、目がさめるとバスは海沿いに走っている。実に久しぶりの海。日本を出る前、伊豆で見て以来である。狭い海峡と船が印象的であった。バスはやがて片側2車線の高速道路を走り、8時過ぎ、ついにイスタンブール到着。
ふふふ。来たよ、ヨーロッパの入り口。市内にはヨーロッパ各地からやってきたであろう観光客を乗せたぴかぴかのバスが目立った。そうかそうか。
道を尋ねて、ブルーモスクの近くのユースホステルへ。観光シーズンらしく混んでいるが、どうにかベッドを確保。ヨーロッパ中から、学生が集まっているようだった。
チェックインを済ませて、これからの予定を。
その1.このまままたパキスタンへ帰る。
その2、せっかくだからヨーロッパアルプスを見るためにスイスへ。
その3、ギリシャとトルコを旅行してパキスタンへ帰る。
で、結局その2のスイス行きに決定。ちなみにつれのQさんは留学先のイギリスへ帰る。
どうでもいいことだが、トルコのラッシー(飲むヨーグルト)には塩が入っているのであった。でもドネルケバブはとてもおいしい。ビールも飲めるし。ふふふ、今までイランでは飲めなかったからね。ふふふ。おいしかった。
結局、アムステルダム行きのバスが一番安くスイスの近くへ行けることがわかった。これに決める。Qさんも予定を変更してオーストリーまで行くことになった。これは心強い。
8月8日
出かける日である。まずは旅行代理店でバスのチケットを手に入れる。そして、ブルガリア大使館へビザをもらいに。ビスケットや果物などの食料を買いこんで、いざバスターミナルへ。結局、バスがイスタンブールを出たのは夕方の6時過ぎであった。
夜、ブルガリアの国境を越える。
8月9日
バスは夜通し走る。夏なのにバスの中は肌寒いくらいである。Tシャツひとつで熟睡している白人がうらやましい。朝、ブルガリアを出国。ユーゴスラビア(そのころはまだ分離されていなかったのです)には、広葉樹の森が多く、なぜか懐かしく感じる。そう言えば、広葉樹の森というのも久しぶりだ。ベオグラードという大都会を通過して、夜10時、ザグレブ到着。そこからまもなくオーストリーとの国境だった。グラーツでバスを降りる予定であったが、どうもザルツブルグの方が何かと都合がよさそうなのでドライバーと交渉してザルツブルグまで乗せていってもらう。
8月10日
朝6時半、とあるサービスエリアでバスを降ろされる。ここがザルツブルグ市内にもっとも近いSAだとのこと。なるほど。道路標識によるとしないまで7km。これをひたすら歩く。途中、エプソンの大きな看板が目に付いた。工場があった。へえ。途中、銀行があったので両替。
目的の駅についたころは、10時を過ぎていた。まずはガイドブックを参考に旧市街にあるユースホステルへ。ベッドは空いていた。すぐにチェックインしてシャワー。行き返る思いがする。
午後、市内散策。ぜんぜん知らなかったのだが、ザルツブルグとはモーツアルトゆかりの土地なのであった。そのせいか、夏の間はさまざまな音楽関係のフェスティバルが行われている。ポスターから察するに、結構有名な人のコンサートがあるようだ。旧市街がきちんと保存されているザルツブルグは、とてもとても魅力的な町なのであった。
ふと目に付いた喫茶店へ。ここで実に久しぶりにコーヒーを飲む。ヨーロピアンスタイルの濃いコーヒーであったが、香りに圧倒された。そうだ、もうコーヒーがあるんだ。アジアでは圧倒的に紅茶文化圏だったものなー。すぐにスポーツ店でガスコンロのカートリッジを買い、スーパーでフィルターとコーヒー豆を仕入れた。これで安心。
8月11日
朝食をすませ、(ユースについていたコンチネンタルスタイルの軽い朝飯)手紙を書いたり、洗濯をしたりと旅行者の日常家事とでも言える作業をこなす。連れのQさんはサウンドオブミュージックツアーに出かけていった。そうだったのだ。あの映画の舞台だったのだ。と、このようにザルツブルグとは、まったくの観光地でもあったのだが、その辺の散策でもまったく退屈することなくすごせる楽しい町だ。広場ではアマチュアミュージシャンや大道芸人がそれぞれの芸を披露している。
次の日。
連れのQさんはイタリアへ向けて旅立った。パキスタンから一緒だった戦友とのわかれ。列車は込み合っているようだったが、どうにか席を確保できたようだ。
スイス行きの列車は、夜になって出発。夜中の列車だからすいているかと思ったが、混んでいた。がっくり。通路にマットを敷いて、スペースを確保。いままでのつきが一気に落ちてきたようだ。
朝、窓からみるスイスは確かにきれいだった。しばらくしえチューリッヒ到着。インフォメーションでツェルマットへの行き方を教えてもらい、チケットを確保。電車をいくつか乗り換え、4時過ぎいよいよマッターホルンの麓に到着。駅から歩いて5分ほどのところに、芝生のきれいなキャンプ場があった。早速、テントを張り、我が家を構える。
翌日から、このキャンプ場をベースに由緒正しいアルプスのハイキングを楽しんだのだった。
ツェルマットでは、マッターホルンの肩の小屋とでも呼ぶべきヘルンリ小屋などへも出かけてきました。小屋から山頂を見ていると、首が痛くなりました。
ツェルマット周辺の散策
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村の教会とマッターホルン
ツムット村だったか。 |
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アルプスのハイキング
こんな道を歩いてきました。 |
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村とマッターホルン
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アルプスの夏と山小屋 |
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ツェルマッとの裏通り
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