チベットへ         夏 編

エベレストトレッキングから帰って、しばらく休養して(ポカラなどへも出かけました)どうしてもチベットの首都であるラサへ行きたくなりました。中国国営旅行社のツアーをカトマンズで募集してたので(中国大使館で係員を発見)これに参加することで中国のビザが降りまして、無事にラサへ行くことができました。カトマンズからラサへのフライトはヒマラヤ越えの、素晴らしいものでした。ヒマラヤの向うにどこまでも広がる砂漠のような台地がチベット。
 



ラサへ

カトマンズからジェット機でヒマラヤを越えて、あっさりと伝説の都(ちょっと大げさ)ラサへ到着。この写真は、ラサの中心にあるジョカン寺の屋上からポタラ宮を望んだところ。ポタラは市内のどこからでも見ることができます。


 

ここはダライラマさんのサマーハウスであったノルブリンカという建物です。中に入って見学できました。実際にダライラマさんが使用された日用品などがそのままにされてました。外国人だけでなくチベット人の観光客の人もたくさんいました。


 

菜の花とポタラ宮。ラサの脇を流れる川の中州から。雨期のためか、雲が多いですね。


 

ジョカン寺の近くの旧市街地で知り合った子供たち。人懐こく、可愛らしい子供たちでした。目には好奇心がぎっしり詰まってました。




 
 
 

ラサからカトマンズへ

ラサでの観光を済ませて、再びカトマンズに戻ることに。飛行機でも良かったのですが、仲間を募ってジープをチャーターして陸路でネパール国境まで行くことになりました。途中、条件が整えば、チョモランマベースキャンプにも立ち寄る予定。ラサにはネパールの領事館もあるため、ビザを取ることができました。
 



ラサからシガツェへ

いよいよ、ラサからカトマンズ目指してのジープの旅がはじまりはじまり。7月8日の金曜日。初日ということもあり、ジープの調子が良かったのかシガツェまで行ってしまいました。
 

ラサからカトマンズを目指すチーム。左から2番目がチベット人運転手さん。車は中国製のその名も北京ジープ。(ベイジンジープ)乗り心地は、最悪。されど堅牢。


 

ラサから走ること数時間、つづら折りの峠道を登りきったところに、不思議な湖の光景が待っていました。湖の名はヤムドクツォ。広い川のようにも見えますが、細長いリング状の湖です。神秘ですねー。


 

これがギャンツェの有名な白居寺。お寺のような砦のような。実際、昔イギリス軍とチベット軍との争いの時には砦になったらしい。ここで昼食を済ませました。街道筋には小さな食堂が時折見掛けます。


 
 

道ばたでは、菜の花と麦(だったと思います)の緑が鮮やかでした。チベットでも、平地ではこのような畑が目につきました。平地でも標高は4000mに近いはず。


 

チベット第2の都市であるシガツェにはもう暗くなりかけた頃に到着。写真は翌朝、出発前に撮りました。




シガツェからカトマンズへ
シガツェを出て、チョモランマベースキャンプを目指すが、パンラ峠で雪に阻まれて断念。そしてカトマンズへ。

シガツェを出てしばらく行くとこのような景色が。木のはえていない山。そして青々とした麦畑。ポッカリ浮かんだ雲。


 

街道筋からチョモランマベースキャンプを目指すが、パンラ(ラとは峠の意味)峠で雪のため前進が不可能となりました。夏なのに。それで峠からヒマラヤの巨峰たちを眺めようと粘っているところ。標高が5000mを越えているので、寒い寒い。身につけているのはチベットの民俗衣装防寒着。(ラサのバルコルバザールでゲット)結局、チョモランマの全容は拝むことができず。


パンラ峠で引き返して、ティンリーの近くの軍の招待所に宿を取り、翌日はネパールとの国境へ向けてひたすら高度を下げていきました。5000mを越える峠から、国境の町であるジャンムーは標高が2300m。本来ならば、国境である橋(Friendship Bridgeという)までジープで行けたのですが、大雨のため道路が流されて車の通行はジャンムーまで。仕方なく国境までは徒歩でつづら折りの坂を下っていく。。ネパール側のイミグレも無事に通過して、カトマンズ行きのタクシーに乗り込む。途中、バラビセという町の手前でまたもや道がなくなる。再び徒歩。バラビセに宿を取り一夜を過ごして、翌日再び車の通れるところまで徒歩。タクシーをつかまえて、ようやくカトマンズ到着。カトマンズでは日本食をひたすら食べ続けた。
 



 

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