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作文と文章スタイル

2005.05.01. 掲載
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ゴールデンウイークに書庫の整理をしていて、中学を卒業したときに頂いた「甲陵」を見つけました。「甲陵」というのは六甲山の麓にある中学に因んで、名付けられた校内誌で、その第三回卒業記念号です。最初に、恩師のことばが続き、そのあと、私たち卒業生5名と在校生3名の文章が載り、最後に、卒業生全員の1行感想録が掲載されています。その中に、以下の私の作文「想い出を綴る」が載っていました。


想い出を綴る

三年 野村 望

三年の春秋は流れる水の様に、又夢の様に過ぎて、卒業の日が間近に迫って来ると、瞼に浮かぶのは懐かしい中学生活三ヵ年の思い出です。

想えば、桜の花の咲き初めた頃入学した鷹匠中学校のこと。下界を見降ろす芝生の上の昼食や、校庭のすず懸の木に登って、その円くて堅い実をいくつもいくつも取ったこと。ただ夢中で裏山を駆け、砂山を滑り、ズボンも服も泥だらけにして母にひどく叱られたり、腕白の度が過ぎて、先生に泣いて謝ったこと等環境に恵まれた外大での思い出です。

校舎移転のあわただしさと、窮屈な分校生活から始まった二年の生活も、間もなく増築校舎が落成して、木の香も新しい教室で、伸び伸びと勉強に励むことが出来る様になった時の嬉しかったこと。運動会、音楽会、作品展示会と次々に催されていく落成記念行事の盛大だったこと。変声期の奇声に苦労したのも、又背丈がぐんぐん伸びて非常に満足だったのもこの頃でした。僕達は向上への道を一途に走り続けました。春には奈良、秋は琵琶湖へ遠足した時の楽しかったことも忘れられない。二年生は眞に思い出深い年でした。

三年生は四国への修学旅行です。知らない土地に対する物珍しさよりも、初めて友と寝床を同じにする喜びに興奮して、はしゃぎ明かした旅館の夜。どうしても眠れず、甲板と船室を何回も往復しては、夜光虫だけが美しく光る夜の海を眺めた船のこと。

それから忘れられない昨夏の二つの思い出。我が鷹匠クラブが全国優勝の栄冠を抱いて、堂々と凱旋した時の感激。それにも増して、僕の心に強く残っているあの悲しい事件。過去の色々な出来事も今は思い出。甘く美しく、そしてわびしい春の夜の夢なのです。

僕達がこの思い出多い学び舎と別れて後も、鷹匠中学は益々発展して行くに相違ありません。後に残る皆様は誰もが寒中の厳しい寒さに負けず、毎朝駆け続けた強い心の持ち主だからです。

校庭の緑の若芽が萌え始める頃、僕達は後の事を少しも案じないで、思い出を懐かしみながらも、更に新たなる希望に胸を一杯にふくらませ、喜びに心を躍らせ、元気はつらつと母校にお別れいたします。

−我が心の故郷鷹匠中学校よ、永遠なれ− (1952年3月)


この中の、「鷹匠クラブが全国優勝」というのは、中学生の軟式野球の全国大会で、鷹匠中学の野球部が優勝したことを指し、これは読売新聞の主催で、友人の石井君もチームの一員でした。また、「あの悲しい事件」というのは、甲子園浜で開かれた鷹匠中学の臨海学校で、水泳中の2年生が溺死したことを指し、秋には、慰霊祭が行われました。

この15歳の時の作文を読んでみると、私の文章スタイルの原型が、既にここにあることを知り、少し驚き、少し愉快になりました。文章スタイルというものは、案外この頃にできあがるのかも分かりません。そう思うと、自分の文章スタイルについて興味が出てきて、ちょっと分析してみる気になりました。これまで、特に意識してきたわけではないのですが、エッセイや作文では、自然と好みのスタイルで文章を書いているような気がします。


私の文章スタイル


1.皆の良く知っているが、気がつかないエピソードを書く
誰も知らないエピソードを持っていれば、それを書くのは当然です。しかし、珍しいエピソードがそんなにあるわけはなく、そこで、多くの人が知っているはずだけれど、気づかないこと、意外な見方や感じ方を書くということになります。

 「校庭のすず懸の木に登って、その円くて堅い実をいくつもいくつも取ったこと」
 「夜光虫だけが美しく光る夜の海」などが、それに当たります。

2.気取った表現
人の使わない、ちょっと気取った表現を少しだけ加えるというのが好きです。「また気取ってる」と思われるのを承知で、わずかなフレーズを、文章のどこかに入れておきたい気持があります。本質的に、エエカッコシイなんだと思わざるを得ません。

 「想い出を綴る」
 「三年の春秋は流れる水の様に、又夢の様に過ぎて」
 「僕達は向上への道を一途に走り続けました」
 「甘く美しく、そしてわびしい春の夜の夢なのです」などが、これに当たります。

1行感想録に書いた以下の文もかなり気取っています。
 「若人は、太陽が天空の広大なる中を駆けるが如く、歓喜を持って走ります」

 「春の夢」はシューベルトの歌曲「冬の旅」の11番目の曲名であり、「歓喜」はベートーベンの交響曲第9番第4楽章「合唱」から来ています。ゲルハルト・ヒッシュが唄う「冬の旅」と、クーセヴィツキー指揮の「第9」を、当時むさぼるように聴いていました。

15歳という年齢は背伸びをしたく、エエカッコをしたく、いささか過剰気味の気取った表現群ではありますが、その傾向はいまも健在です。

3.面白い表現
頬がゆるむ面白い表現や可笑しなエピソードを、少しだけ加えるというのも好きです。

  「変声期の奇声に苦労したのも」は、これに当たります。

4.同じことばをくり返さない
同じことば、同じ言い回しはダサイので、避けたいという気持が昔からありました。

  「想い出」「思い出」と変えてみたり、「咲き初めた」「分校生活から始まった」と「はじめる」についても変えているところなどがそうです。

5.へそまがりである
紋切り型のこと、常識的なこと、優等生的なこと、衒学的なことを書くのが嫌いという自分の性格丸出しの部分です。もし、それが求められる文章では、普通の人が書かないような理由をつけることでしょう。

「鷹匠中学は益々発展して行くに相違ありません。後に残る皆様は誰もが寒中の厳しい寒さに負けず、毎朝駆け続けた強い心の持ち主だからです」このあとの文章は、仕方なくつけた理由です。

6.文末に変化をもたせる
文末が同じ形を何度も続けるのを、ダサイと思ってきました。それを変えるために、現在形と過去形、ときには未来形を混在させたり、体言止めを加えたり、疑問文にしたり、いろいろ工夫して、文末が単調にならないように変化をつけてきました。15歳の作文でも、それはだいたい満たされていると思います。

7.読んでリズムがあるように
口に出して読んでみたときに、リズムが感じられない文章は、好きではありません。別に躍動感ばかりを求めているのではなく、ゆったりした心地よいリズムも好きです。また、突然のリズムの変化も、ときには刺激的で、好みます。これは、私が歌好きということに関係しているのかも分かりません。この作文にも、リズムがあると思います。

8.分かりやすい
単純明快こそ、文章で一番大切なことであると信じて来ました。複雑で難しい内容を、簡単で分かりやすく書くことが最高で、簡単な内容を、複雑で分かり難く書くことが最低であると常日頃思っています。それが嵩じて、深みのない文章となったとしても、深くてわけの分からない文章よりは、ましだと思うのです。

9.嫌いなことばは使わない
ことばの好みが強く、嫌いなことばは使わないというのも、私の文章スタイルの特徴かも分かりません。例えば、「生き様」とか「癒し」などを使ったことはなく、これからも使うことはないでしょう。

論文やレポートは別として、エッセイや作文での私の文章スタイルは、だいたいこんなところではないかと思うのですが、中学3年15歳のときに、すでにそのスタイルがほぼできあがっているのに驚いてしまいました。ということは、その後の53年間で進歩成長があまりなかったということかもわかりません。以上、15歳で書いた作文から触発されて、自分の文章スタイルを9つの要素に分けて分析してみました。


<2005.5.1.>

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