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金沢美大とミステリアス・ディナー

2009.04.16. 掲載
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4月11日土曜日の夕方、私たち夫婦は天王寺にある大阪市立美術館の新槐樹社展の会場にいた。明石 瞳さんが出品されている作品を鑑賞するためで、瞳さんは昨年に続き今年も入賞されている。会場に入ると、展示されている絵の中で真っ先に目が向いたのは、瞳さんの作品だった。青樹賞受賞作品「王妃マリー・アントワネット」と「姉妹」の2点が、展示されている。どちらも優しく、心が温まる。昨年の出展作には、どこか寂寥を感じたが、今年は幸せな安らぎが漂っている。

ベルサイユ宮殿で見たマリー・アントワネットの肖像画
ベルサイユ宮殿で見たマリー・アントワネットの肖像画

青樹賞受賞作品「王妃マリー・アントワネット」
青樹賞受賞作品「王妃マリー・アントワネット」

ベルサイユ宮殿で見たマリー・アントワネットの肖像画よりも、「王妃マリー・アントワネット」には、王妃が幸せだった頃の雰囲気がある。赤い衣服がアクセントとなって映えているが、そのことを申上げると、太良君というお孫さんが、赤の色をもっと濃くした方が良いよとサジェストしてくれたので、それを取り入れたと話された。

彼は今春2年生になったばかりの素直な良い少年だ。先日この元気一杯の少年と、思いっきりふざけて楽しんだことを思い出す。私はこの少年が大好きだ。

「姉妹」
「姉妹」

「姉妹」は、若い三姉妹の個性がそれぞれ描きわけられていて、楽しい。それは身長、顔、髪型、姿勢、視線、服装などの形だけでなく、色彩にも及んでいて、黒髪で青、赤の着衣の二人、茶髪で視線をそらして横を向いた女性のヌードは黄色みを帯びている。

5時で閉館となり、美術館を後にした。天王寺公園のさくらは葉桜になり始めていて、風情がある。私たち夫婦は、満開のさくらよりも、このようなさくらとか3部咲きのさくらの方が好きだ。これほどたくさんの桜吹雪の中を歩いた経験はなく心地よい。

夕食に招待されて、「ミステリアス・ディナーとなりますが、良いですか?」と尋ねられた。どこなのか、なになのかと好奇心が湧き上がり、もちろん、お任せした。途中で行く先は「十三」だと分った。そして、画家の堀口博信さんが経営している居酒屋に予約をしてあることも分かった。

ブラボー! 私の大好きな絵を画いた方、展覧会の最終日に初対面で長々と絵について伺い、それをピカソとデッサンと絵画のタイトルでホームページに掲載したその方である。少し残念だったのは、前日小学校のクラス会で痛飲し過ぎて、いささか二日酔い気分だったことだった。分っていたら、酒を控えたのに、、、

阪急十三駅で下車して西口を出ると、十三駅前商店街の看板が飛び込んできた。そこを歩いて1分もしないで「富五郎」の大看板のある店に到着。創業昭和7年という文字も見える。まわりの活気ある雑踏にもう圧倒される。私は大学の教養課程時代の2年間を阪急神戸線と宝塚線の乗換駅として十三駅で乗り降りした。しかし、十三駅の外に出たことがなかったので、十三はこんなところだったのかと驚いた。この店から500mほど南に、かの有名な名門校北野高校がある。アンバランスが大阪の街に似合うのかも知れない。

店に入ると、大きなカウンターが中心にある居酒屋で、その奥にテーブル席の個室がある。土曜日なのに結構流行っていて賑わしい。予約をしていたという個室に案内された。壁には堀口さんのオシャレなパステル画や小磯良平のデッサンかとを思わせる絵が無造作に掛けられ、川柳が並んでいたり、広告があったり、およそ堀口さんの絵の世界からは想像できない世界である。

店主の堀口博信さんが、忙しく店内を行き来しながら、ほとんど付きっきりで、流れる口調で色々なことを話してくれたが、それはあとでまとめて書くことにする。典型的な下町の大阪人、エネルギッシュで多弁でサービス精神旺盛、あのイキな絵とのアンバランスが愉快だ。

堀口さんと明石 瞳さんは、金沢美大の同期生。私が堀口さんを知ることになったのは、交野市で開業していたころ明石賢三先生と親しくなり、その奥様が金沢美大の卒業生の合同展に出品されたのを鑑賞した時に、堀口博信さんのアクリル画に魅せられて名前を覚えた、というご縁があったからだ。

「富五郎」の個室 後ろ向きの人物が堀口博信さん 割り箸と醤油とソースで似顔絵執筆中
「富五郎」の個室 後ろ向きの人物が堀口博信さん 割り箸と醤油とソースで似顔絵執筆中

はじめて堀口さんと話したのは2003年10月だから、5年ぶりということになる。てっちりを肴に生ビールを飲みながら、2時間以上いろいろ堀口節を聞いたり、話したりしたが、印象に残っていることを箇条書きしておく。

1.自分の頭に浮かんだ写実的なイメージを意思的に再現できることを経験した
対象を見ると、そのイメージが頭にできる。それを描くのであって、写生するわけではない。」ということばは、5年まえに堀口さんから聞いた話の中で、私の頭に強く残っていた。堀口さんのように、頭に浮かんだ具体的なあるいは写実的なイメージを、意思的に再現できる能力を持った人はいるかもしれないが、一般にはそのようなことはできないのではないかという疑問だった。

しかし、2年前に入院したときに、私もそれを初めて経験し、それ以後何回か写真のような詳細なイメージを意思的に何度も再現することができた。私にとっては大発見だった。

このことを堀口さんに話したいと思ってきたので真っ先に報告したが、芳しい反応は返ってこなかった。

2.絵を描くときのもとになるのは雰囲気である
頭に浮かぶイメージに対するコメントはなかったが、絵を描くときのもとになるのは描きたくなる雰囲気であり、描きたい雰囲気があればそれに従うと話された。あるいは、これはイメージと同じ意味かもしれない。私は脳の機能としてイメージに関心があり、堀口さんは絵を描くモチーフとして関心があるということなのだろうか?

3.好きな絵はそれを見る人の好みによる
これを分かりやすい例えで説明してくれた。客観的に見て美人はたくさんいるが、自分の好みの美人はその中の一部であるように、絵も同じである。これは何ごとにつけ、世間的評価よりも自分の好みを優先して生きてきたので、我が意を得たりの気持だ。

4.こどもの絵のような、あるいは落書きのような、気持のままの絵を描きたい
これから描きたい絵について、「こどもの絵のような、あるいは落書きのような、気持のままの絵を描きたい」と話されたことは、一つの到達点を示しているのだろうと思った。

5.年間800枚の絵を描くが、600枚は没、200枚にサインを入れる
5年前に「1日に5〜6枚描く。その中にはサインを入れられないものもある」と聞いて、ものすごい量に驚くと同時に、サインの意味を知った。それが今も続いているとの話に、プロの性、プロの魂を感じた。600枚の中には思いの残るものもあるとの話に共感した。

6.膨大な作品をどのように整理しているのか
没にしたものを除いても年間200枚は膨大な数である。その分類整理をどうしているのか、非常に興味があったが、明解な回答は得られなかった。

7.天賦の才能だけではない
絵の才能は天賦のものか、それには遺伝の要素は大きのいか、環境の影響はどうかなどを知りたかった。堀口さんは天賦の才能が非常にに大きいのではないかと思ってきたが、多くの師にも恵まれていたことを知った。その中でも、美大に入った年の夏、小磯良平のもとで住み込みで学んだことに納得した。小磯良平はデッサン力がすばらしく、気品のある作風で日本では一番好きな画家だ。そのお嬢さんは医局の先輩の澤村献児先生の奥様である。

堀口さんが小磯良平の許で学ばれたことがあると知って、思い返してみると、確かに似たところがある。ここの個室の壁にあるデッサンは小磯良平の作品と酷似していると思った。また、堀口さんの女性像は奔放な姿態をとりながらノーブルだ。

8.上手いだけではだめで、華がなければならない
これは落語家を引き合いに出して話されたが、作品の価値は技術的に巧みであることだけでは不十分で、それに加えて輝く何かが必要である、それを華と例えたのだろう。「華」ということばがお好きなようで、あとで紹介するCDの曲名にも使われている。

9.音楽との関わり
画家にとって音楽とはどのようなものかを知りたくて尋ねたが、質問の仕方が悪かったのか、音楽と絵画をコラボレーションさせたCDを作ったと話され、1枚のCDを見せてもらった。アマゾンでそのCDを購入してみると、通常のCD解説文にあたる小冊子がオシャレな歌詞集で、シャンソン風な各曲の一つ一つに、堀口さんの女性画17点が挿入されている。

北岡 樹 〜ある女の物語〜
北岡 樹 〜ある女の物語〜

もう一つは、自分で作詞作曲した歌を、自分で歌い、CDとして発売していると話され、そのCDを下さった。作曲は自分で歌ったものをテープに録音し、それをプロに渡して編曲や伴奏譜のついた譜面にしてもらうとのことである。

十三の華:ヒロノブ&ちはる/ごった煮仲間:堀口博信
十三の華:ヒロノブ&ちはる/ごった煮仲間:堀口博信

この2枚のCDを聞いてみると、ケースの外見どおり、片やシックなシャンソン風、もう一方は完全なド演歌。なかなかの美声だが、もう、参った参ったで、そのアンバランスが面白い。オシャレな絵を描く人が、居酒屋の店主であり、シックな歌とド演歌に関わっているとは、何とも愉快ではないか!

10.アングルのバイオリン
「アングルのバイオリン」ということばがある。学生のころから、私の生き方の理想となっている。それは、フランスの新古典派と云われたアングルが、職業である画家としての評価よりも、趣味であるバイオリンで評価されることにより重きを置いていたという話である。

私も職業である医師として評価されるのは当然のことであり、いい加減な評価ではむしろ不快になるかも分からない。しかし、余技の上での評価(これはほとんど自己満足と同じ意味)を大切に思って来た。

堀口さんとの対話を通して思ったことは、この方も私と同じ生き方をされてきたのだなという感想である。画家としての評価は当然として、それよりも余技での評価を大切にしてこられたのだろう。この方はたくさんのバイオリンをお持ちだ。居酒屋店主、作詞家、作曲家、演歌歌手、川柳作家、他にもお持ちなのだろうが、いずれも玄人はだしのようだ。

ディナーも終り近くになって、小皿に醤油とソースを入れ、それを墨代わり、割り箸を筆代わりにして、色紙に私の似顔絵を描いてくださった。描く途中で20歳若く描きますねと言われ、予告通り、わずか2分間で仕上がった。サインが入っていることは合格を表している。貴重な記念品が一つ増えて嬉しい。

醤油とソースと割り箸を使って2分間で描かれた私の似顔絵
醤油とソースと割り箸を使って2分間で描かれた私の似顔絵

金沢美大同期生が連なって創ってくれたミステリアス・ディナーは素晴しかった。オマケの人生も捨てたものではない、まだまだ人生をエンジョイできるかもしれない。金沢美大同期生のお二人にこころからのお礼を申上げる。

前日の痛飲による二日酔いはすっかり治まっていた。楽しい雰囲気と迎い酒の効果だろう。


<2009.4.16.>

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