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唐辛子と私

2000.05.23. 掲載
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今年の5月の連休に、医師会の会員親善旅行で韓国に行くことになったが、韓国に行くまでは、キムチがどれほど辛いか味わってこようか、といった程度の期待しか持っていなかった。

それというのも、韓国の釜山へ何回かゴルフに行ったことのある医師会の先生たちに、料理は不味い、食べたら下痢をする、ご飯を炊いた後の釜に水を入れてお茶にしている、街は汚い、ニンニクやキムチの匂いが満ちている、と聞かされていたからである。

ソウルに行ってみると、それらがことごとく違っているだけではなく、ここが人口1,500万人の活気あふれる巨大な近代都市で、韓国自体も目覚しい発展をとげていることを目の当たりにしていろいろ考えた。その中で、自分に関係したことで考えたことをまとめておこうと思う。

韓国に行って食べたキムチは予想したほど辛くはなく、日本人向きにマイルドに調理しているのかと思うほどだった。しかし、同行者には激辛だったようで、悲鳴を上げる者もいた。

そうなると、私自身が韓国人並か、それ以上の唐辛子好きということになる。同行者の一人から「先祖は韓国と違うか」と言われたが、親からそのような話は聞いていないし、どんぐり目、四角顔、ずんぐりむっくりの顔かたちは、東南アジア系であっても、韓国系とは考えられないのである。

韓国旅行から帰って、キムチについて調べていると、キムチは13世紀初頭にそのルーツの記載があり、1409年には「キムチ」という言葉の記載もあるが、唐辛子を加えるようになったのは、わずか300年前からであるということを知った。そして、この唐辛子は、コロンブスが中南米から持ち帰ったものを、ポルトガル人が日本に伝え、秀吉の朝鮮出兵の際に韓国に伝わり、倭から来た芥子ということで「倭芥子(ワゲチャ)」と呼ばれたということも勉強した。

それでは、同じ時に伝えられた唐辛子が、日本では広まらず、朝鮮半島では、まるで固有の産物であるかのように全土に広がったのは何故かという疑問が出て来る。同時に、私が韓国人以上に唐辛子好きになったのは何故だろうという疑問も湧いて来た。

私は、うどんややそばの場合、液面全体に広がる程度に一味唐辛子を振りかける。しばらくして胃のあたりが熱くなるくらいの量が心地よく美味しいのだ。他にもたっぷりと一味を使うのは、例えば鰹のタタキ、ふぐの湯引き、焼きギョウーザ、鍋物などがある。

以前激辛がブームだった頃、激辛スナック菓子を食べたことはあるが、本当のところ、あの手のものは余り好みでない。これより辛くても一向構わないが、味が濃厚過ぎるのだ。キムチなども、いくら辛くても良いが、スッキリしない味のものは食指が動かない。

香辛料の中でも唐辛子は香りが少ないという特性がある。どうも私は香りと味が淡白で、辛みの強いものが性に合うような気がする。例えば「TABASCO」などは猛烈に辛いが、好きだ。

香辛料は好きな方だが、他人の理解を越えるほど大量に使うのは唐辛子で、通常の5〜10倍、それに次ぐのは胡椒の3〜5倍、柚子こしょうは2倍、ワサビやカラシ、マスタードは1.5倍、生姜は1倍、山椒は0倍というのが大雑把な使用量である。

これでお分かりのように、からだが熱くなる、胃が焼けるタイプの香辛料が大好き、ワサビのように鼻の奥にキューンと来て涙が出るタイプのものは、好きだが過量には耐えられないし、山椒のようなしみる感じの香辛料は嫌い、と大別できる。

唐辛子はもちろん単味(一味)が良い。七味唐辛子しかない場合には、これも使うが、混ざっている別の香辛料が食べ物の味を変えること、嫌いな山椒が含まれていることが、七味唐辛子を敬遠する理由だと考えている。

私がこれほど唐辛子好きになったのは何故なのか? もちろん、もって生まれたものもあるのだろう。しかし、親兄弟がそれほど唐辛子好きだった記憶はない。

環境はというと、一つ思い当たることがある。インターンを終えて大学の外科の医局に入り、1年の研修の後、神戸の川崎病院の外科に出張勤務したが、そこの医長が酒好きで、話し好きだった。名前は中西熊蔵といい、私はその人が好きだった。気難しいところのある先生で、15歳くらい年上だったが、どこか馬が合うのか可愛がってくれた。

そこでは、診療が終わると決まって酒盛りが始まり、看護婦や女子事務員と一緒に、この先生の話しを聞く。それは楽しみだった。従軍していた頃の満州の話が多かったように思う。この先生が無類の唐辛子好きで「朝鮮人がびっくりするくらい」を口癖にして、驚くほど多量の唐辛子をふりかけるのだった。私が韓国人よりも辛いものを好むルーツはここにあるのかもしれない。

しかし、これだけでは唐辛子好きになった説明にはならないと自分でも思う。やはり、唐辛子を好む体質、性癖があるのだろう。

食べ物、飲み物で言うと、辛いもの以外にも普通の人とかなり好みの違うところがある。熱いものはあくまで熱く、口の中が焼けどをするくらいが良い。冷たいものはあくまで冷たく、舌がしびれるくらいが良い。スーパー・ドライは、あのピリピリ感が良いし、酒は超熱燗のピリピリが良い。こう書いてくると、あくの少ない単純な味で、刺激の強いものを好むという性癖が炙り出されてくる。

このような刺激の強い食べ物を好む性癖があるとしても、これに耐えられる頑強な胃がなければ、話にならないが、幸いなことに、365日の内で364日は食欲があり、不調を覚えたことはないという丈夫な胃を、親からもらっている。これも唐辛子好きになることを、陰で支援してくれたことになるだろう。

私は、ラテン音楽を好み、ラテン系の画家の作品を好み、ラテン民族の生き方を好む。そのラテンの地、中南米からコロンブスが持ち帰ったのが唐辛子であり、そして代表的な唐辛子文化は、メキシコなどの中南米やスペインなどのラテン系諸国に見られる。そういえば、今回の韓国旅行のガイド・ブックのどこかで、韓国は東洋で唯一のラテン系の国であるという記事を読んだ。

ここに来て、なぜ私が唐辛子好きなのか、なぜ韓国で急速に唐辛子が普及したのかの答えを得たような気がする。共通のキー・ワードは「ラテン」。韓国旅行は私と唐辛子について、考える機会までも与えてくれたのだった。


<2000.5.23.>

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