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開業20年目の院長の感想

開業して良かった

<野村医院20年史(93年11月)から>

1998.01.06. 掲載
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開業20年目の感想を一言でいえば、「開業して良かった」という以外にはありません。とは言っても、結果を肯定的に考えやすい性格なので、開業をせず大学に残っていたなら、それはそれで、同じような感想を持ったとも考えられます。しかし、性格的な部分を割り引いても、やはり、「開業して良かった」と思います。

そこで、何故そう思うのか、少し自己分析をしてみます。

1.独立が好き

医師が開業する場合と、そうでない場合の違いの最大のものは、この独立性の程度でしょう。よく開業医は「一国一城の主」といわれます。それほど大層なものではないにしても、確かに、開業すれば、他からの条件に支配されることが少なく、逆に、自分の求めるものを実現しやすいとは言えます。もちろん、その分だけ責任も大きくなりますが。

私は昔から人に命令されるのが嫌いでした。独立が好きで、自分の意思、自分の考えをできるだけ曲げないで生きたいと思ってきました。その点から言えば、開業医は非常に恵まれているといえます。開業して良かったと思う最大の理由がここにあります。

2.人間が好き

世の中には、人間よりも動物が好き、物が好き、自然が好きという人もいます。しかし、私は他の何よりも人間が好きです。たとえば、風景画の中にも人物を探すタイプです。父が心理学科を出たので、家には心理学関係の本が一杯ありました。そのため、少なくとも中学校の頃から大学の教養課程くらいまでは、これらをむさぼるように読みました。その中で一番影響を受けたのはフロイトだったと思います。

臨床医の場合は、人間好きの方が、患者さんだけではなく、本人にも良い結果をもたらしやすいのではないでしょうか。特に内科開業医は、ホームドクター的な要素が大きく、人間好きな者に向いていると思うのです。20年間も同じところで開業していると、老若男女の人間について、いろいろのことを知り、学ぶことができます。

例えば、乳児から幼児に成長する途中のいろいろな変化や、その個人差を見る楽しさ、兄弟や2卵生双生児を通して知る素質と環境の関係、若者が成長する一時期に見せる輝くような美しさ、結婚と離婚と未婚、壮年から老年へ向かう過程、死に臨む姿、このような人間の多様な生きる姿を見聞きし、時には助言を、そしてそれ以上に教えられました。

3.説明が好き

説明好きなのは、長年家庭教師をしてきたせいかもしれません。医師になり入局してからは、教授が患者やその家族に対する医学的説明を大切にされるので、一層説明好きになったとも考えられます。

この説明好きな性格は、臨床医としてずいぶんプラスになりました。近頃では、インフォームド・コンセントの必要性がやかましく言われています。しかし、しなければならないから説明するのと、したいからするのとでは、自ずから方法や内容に差が出てくるのは当然でしょう。開業してからは。色々な方法で積極的に病気の説明をしてきました。

4.されるよりもする方が好き

世の中には「される」方が好きな人がいますし、「してもらう」方が好きな人はかなり多いようです。しかし、私は「する」方が好きな人間です。「教えられる」「習うと]いうのは苦手で、独習、独学する方が性に合っています。

こういうタイプもまた開業医に有利だと思います。開業すると自分の力で勉強し、解決していかなければならないケースに、多々遭遇します。助けを求めるべき先輩や同僚医師はいないし、病院という後ろだてもなく、孤軍奮闘しなければならない場合がしばしばあります。

5.作ることが好き

これは、おそらく生まれつきの性格でしょう。幼稚園に入る前から工作が大好きで、絶えず分解したり壊したり作ったりしていたのを覚えています。しかし、プラモデルのような、決められたものを組み立てる作業はむしろ嫌いでした。

開業によって作る喜び、工夫する楽しさを何度も味あわせてもらえました。それは建物の設計からはじまり、診療のための設備、事務用の設備など、数え切れないほどいろいろありました。

6.デザインが好き

ものを作るには設計がつきものです。私はこの設計というステップが特に好きで、いろいろ考え、修正をくりかえし、時にはご破算にして、まったく別のものにしてしまうこともしばしばありました。こういう作業をはじめると、寝ている間もそのことが絶えず脳裏にあり、夜中に起き出してデータのチェックをしてみたり大変ですが、これがたまらなく楽しいのです。機能的に優れているだけでなく、自分の美的センスに合うものを創るのというのは、本当に楽しい作業です。

7.メカが好き

高2までは工学部に進み、将来はエンジニアになるつもりでした。ところが、高2の春に両親から医学部に行ってくれと強く懇願されました。両親が病弱だったので、親の願いを拒むこともできず、しぶしぶ進路を変更しました。しかし、メカ好きは変わらず、高校生の間は工学研究会(工研)というサークルに所属し、HiFiアンプの製作などにうつつを抜かしていたのです。

このメカが好きなこともあり、医師になると外科に進み、心臓外科を専攻するようになりました。開業してからも、このメカ好きのため、新しい医療機器を使うことに抵抗がなく、特にコンピュータ関係では、今から19年前(開院1年目)より、レセプトコンピュータを使い、さらに8年前からはパソコンを診療に駆使しています。パソコンの目覚ましい発展の流れに乗っていると、自分が青春しているというような嬉しい錯覚に陥るほどの幸せを感じる時があります。

8.新しいものが好き

新しいものなら何でも好きというのではなく、一般的にはむしろ保守的かもしれません。しかし、メカに限れば、「新しもの好き」は相当なものだと思っています。

昭和48年に開業した時、小さな医院にもかかわらず、医院と居宅をセントラル冷暖房にし、X線テレビと自動現像機と超音波洗浄器を設置しました。勤務していた病院の同僚の医師から、お祝いの品に何が希望かと問われて、その頃発売されたばかりの電子体温計を頂きました。確か5万円だったと覚えています。

昭和49年にレセプトコンピュータを導入、50年にはカラービデオカメラを購入し、51年にはガレージにリモコン式スイングドアを付け、55年にはソーラシステム(日経メディカルの広告に当院のソーラが数年間掲載されていました)と床暖房を設置しました。

数え上げれば、そのほかにもたくさんありますが、いずれも普及するまで数年から10年近く歳月が過ぎています。もちろん、失敗もありましたし、値段は比較にならぬほど高くついていますが、それを使った喜びは、値段以上のものでした。これも開業をして、経済的に少しは余裕ができたこと、居宅と医院が同じなので、時間がうまく使えたことのお蔭だと思っています。

9.都会好きで自然好き

神戸っ子として育ち、大阪市内の大学に通ったので、都会の生活から離れることはできません。よし悪しは別として、根っからの都会人です。しかし、それだからこそ自然に恵まれた環境に憧れます。

交野はその自然に大変恵まれています。これで海が近くにあればいうことはありません。しかも、車に乗れば交通の便も良く、梅田に40分、三宮に60分くらいで行けることもあります。このように、自然と都会の両方の良さを楽しめる場所で開業できました。

思いつくまま数え上げてみると、「開業して良かった」のは、「自分の好きなことができた」ということと、ほとんど同じ意味であることに気づき、苦笑するばかりです。

10.好運

最後になりましたが、「開業して良かった」のは、運がよかったという要素が非常に大きいと考えざるを得ません。人間がいくら努力をしても、運命を越えることができないのは自明の理でしょう。山村雄一先生の言われる「天命を知って人事をつくす」生き方を選びたいと思っています。

開業の時期、場所のいずれにも恵まれました。しかし、それ以上に良い職員に恵まれました。有能で、行動的、そして一度も職員の間で争いがなく、退職後も仲よく交際を続けているのを嬉しく思ってきました。

患者さんにも恵まれました。世の中には、どうしても相性のよくない人がいるものです。「患者は医者を選べるが、医者は患者を選べない」と言われます。私ももちろん、患者さんを選んだのではありませんが、開業して20年の間、診療させて頂いた方の中で、相性の悪い人は数えるほどでした。だから、診療が楽しい時の方が、そうでない時よりもはるかに多く、本当に幸せだったと思っています。

もう一つの好運は、妻が歯科医師の免許を持っていたために、事務員兼、薬剤師兼、レントゲン技師兼、検査技師兼、看護婦という仕事をまかせることができたことでしょう。この資格も、開業するまでは、私が早く死んだ場合にだけ使うはずのものでした。

医療事故、医療訴訟に何時かは遭遇するかもしれないという不安を、医師は心の片隅に抱いているものです。私もタイトロープを渡る気持ちを何回か味わいました。だから、20年間でこの医療事故を経験しなかったことは、本当に運がよかったのだと思っています。

今、過去を振返ってみて、自分の好運を思い、天に感謝しています。もちろん、いつまでも良いことが続くわけはなく、悲嘆にくれる時がくるかもしれません。その時にも、今日までの人生を思い、悔いなく死んでいきたいものだと思っています。

思えば、なりたくて医者になったのではなく、シュバイツァーや赤ひげになろうと思ったこともありませんでした。

ただ、医学部に進んでから思ってきたことは「自分が生きることによって、他の人の人生にプラスなった部分の方が、マイナスに働いた部分より少しは大きくなるように生きたい、そして充実感が持てるように生きたい」ということでした。一言で云えば「悔い少なく死ねるように生きたい」ということです。

あと3年足らずで還暦です。私にはしたいことがたくさんあります。これからは、しなければならないことよりも、したいことをする方へ比重を移して行こうと考えています。

(1993年8月、記)


<1998.1.6.>

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