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肥満について思うこと

<枚方市医師会会報28号(85年9月)より>

2001.12.01. 掲載
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交野支部   野村 望

先日、川人先生から電話があり、急の話で申し訳ないが、健康教室で肥満について講義をしてくれないかといわれた。その時私の頭に浮かんだのは、数年前に予防注射の会場で「ちょっと太めですね」と先生に言われたことだった。当時テレビでこのCMが流行っていたので、私は憤然として「そんな事はありません。標準体重です!」と言ったのを思い出したのである。その様な事を思い出すのは、私の心の深い所で、太りたくないという気持ちが密かに隠れているためかもしれない。

それにしても、どういうわけで肥満がこれほど好まれない様になったのだろうか。以前なら貫禄があるとか、福ふくしい、重役タイプだ、と羨望の眼差しで見られたものだが、今では、太っている者は寿命が短いとか、肥満は万病のもとだ、自分の体重をコントロ―ルできない様な人間はエグゼクティブとはいえないし、その様な男に重要な仕事を任すわけにはいかない、などとボロクソである。なるほど、肥満には好ましくない点が多いかもしれない。しかし、近頃のようなアンチ肥満の大合唱は、いささか常軌を逸脱していると思う。どこか間違っているように感じられる。

手元にある肥満についての文献を調べてみたところ、標準体重の指標のような基本的な事柄でさえ、6種類から7種類も使われているばかりか、それらの相互関係や、指標としての効用と限界も検討されていなかった。これでは、指標が一人歩きしたとしてもおかしくない訳である。

例えば、健康手帳にのっている厚生省統計に基づくグラフと、わが国で広く使われている BROCA変法[(身長-100)× 0.9]との関係も説明されていない。その結果、多くの人達が標準体重=理想体重と誤解してしまい、この人為的な数式を目標にして一喜一憂するという馬鹿みたいな話が現実となってきている。冗談ではない、太いのもいれば痩せたのもいるから世の中は面白いので、誰もが画一的に標準体重であるとすれば、それはもう退屈のかぎりではないか。

肥満にたいして、食事と運動のどちらがより深く関与しているかについて、認識を改めることができたのも、今回勉強させてもらったおかげである。これまでは、患者さんに体重を減らすように指導する時、「よく運動をして、それと同時に、食事も減らすように」と言ってきた。しかしジョギングを1時間したとしても、その後でド―ナツを2個食べたとしたら、ジョギングをして費やしたよりも多くのエネルギ―を体の中にとりいれたことになるという。この事実を知ってからは、減量の手段として、運動を食事と同列に置くことの誤りが、よく分かるようになった。

肥満に対する食事の重要性は十分理解できたが、その中でも間食類のあまりのカロリ―の高さには、正直言って驚いた。そしてショ―トケ―キ半個、カステラ1切が、ご飯の軽く1杯に相当する事を知らなかった自分を、今、私は恥しく思っている。

しかしながら、カロリ―計算については、標準体重の指標と同じような危険性を感じている。カロリ―計算というものは、その食物が100パーセント消化吸収される事を前提としている。しかし、消化吸収され易い食べ物もあれば、され難いものもある。又同じものを食べても消化吸収し易い人もいれば、し難い人もいる。そのことを十分理解してカロリ―計算をするのなら意義もあろう。もしそうでなければ、こと細かに数値を並べて計算したとしても、実際にしていることは、数字を使った面白くもない遊びなのである。

例えば、小麦とうどんと砂糖をそれぞれ同じカロリ―だけ食べたとして、体の中に摂り入れられたカロリ―も同じかといえば、それは全く違うのだが、こんな事など普通の常識さえあれば分かることである。同じ様に、いくら食べても太らないという、私などからみると羨ましいかぎりの人もいれば、ほんの少ししか食べていないのに、油断すればすぐさま体重の増える体質の人もいる。

自然現象を数量的に取り扱う場合の鉄則の一つに、有効数字という問題があるが、カロリ―計算に夢中になっている人の多くは、これを忘れてしまっているようだ。有効数字が考慮されていない計算は、無意味な数字の羅列に過ぎないのだが、ご当人は大真面目に、計算結果を信じているし、他の人も数字の魔術に幻惑され易いから難儀なのである。

肥満の食事療法と併用して効果があるという行動改革療法を、なるほどと思いながら読み流しているうちに、ある箇所に釘ずけとなってしまった。それは私にとって衝撃だった。行動改革療法というのは、もともと食事の内容には干渉せず、食事という行為に制約を与えて肥満を治療しようという一種の精神療法のようだが、その中の一つに「少ない食事を一口残す」という項目があったのである。

私はこれまで、食べ物を残して腐らせたり捨ててしまうことに強い抵抗があった。もったいないというか、罰が当たるというか、とにかくしてはいけないことと、本能的に思ってしまうのである。食べ物以外なら、「1年以上も使わなかったようなものは要らない物と同じだ」と言って、あっさりと捨ててしまうのだが、ことが食べ物となると、どうしてもそれができない私の事を、妻や息子は不可思議な人種だと思っているようだ。

敗戦の年、私は国民学校の3年生だった。その頃の食べ物のことを思うと、今なら乞食をしても、当時の上流階級の人たちより良いものが食べられると思ってしまう。6歳年下の妻は悲しいことにこれが分からない、まして繁栄のまっただ中に生まれた息子などは、私の目からみればもったいないことのし通しである。

飢えをしらず、食べ物を惜しげもなく捨て、痩せるために沢山の時間とお金をかけるばかりか「少ない食事を必ず一口残す」ことが真面目に勧められている現在の日本は、何と恵まれた国であろう。

しかし、いつまでこんな状態が続き得るのだろうか。同じ時、世界の他の場所では多くの人々が飢えに苦しみながら、次々と死んでいるというのに、私達は、痩せるために食事を一口残そうとしているのである。何かが間違っているのではないだろうか。

注:
「肥満について思うこと」は、交野市の肥満教室でしゃべるために文献調べをした時に感じたことがらを書いたもので、枚方市医師会会報に投稿した。文中に登場する「川人先生」というのは、交野病院院長で枚方市医師会会長をされ、先年亡くなられた川人潤先生のことである。

標準体重の指標について、現在は肥満学会などが提唱するBMI(BODYMASS INDEX)が広く採用されているが、これを書いた当時は統一されていなかった。


<2001.12.1.>

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