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芦原方面旅行

2001.10.18. 掲載
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交野市医師会の会員家族親睦旅行は今回で3度目になる。五月の連休の台北行きは希望者が僅かのため中止となり、それに代わって北陸芦原温泉へのバス旅行が9月はじめに行われた。

旅行が終って1ヶ月を過ぎたところで、会長から旅行記を書くようにと命じられ、固辞叶わず駄文を書く羽目となった。65歳の頭からは記憶の多くは脱落している。そこで、この旅行に参加した一会員として関心のあったことを思い出しながら書くことをお許し願いたい。

日時:2001年9月8日〜9月9日
場所:8日 芦原の宿 八木で宿泊
   9日 永平寺、丹巌洞、東尋坊
      芦原ゴルフ・クラブ
参加:尼子、明石夫妻、寺嶋夫妻、山添、野村夫妻、福森、寶田、波戸、小菓、北東、南、峯川、塚田夫妻、印牧、栗本、沢井、下村、片岡、藤川、大森

●ゆうゆうセンターを午後2時に出発

交野市医師会親睦旅行は定刻通り、午後2時にゆうゆうセンターを出発し、京奈和、京滋、名神、北陸道を通って芦原温泉に向かった。天気予報は外れて上天気、幸先が良い。定員41名の大型観光バスに乗るのは北東Drを除いた23名だから、ゆったりとした旅ができる。

●トイレつきサロン・カー

日程表にはトイレつきサロン・カーと書いてあるので、興味津々このバスに乗り込んだ。後部にはラウンド・テーブルがあり、これを囲んで昼間から宴会が始まっている。なるほど、これでサロン・カーというわけか。途切れることなく飲み物やつまみが廻ってくる。冷えたビール、熱いコーヒーいずれもOKだ。ただ、私は昼間からアルコールを摂る習慣はないのでビールは遠慮した。

このトイレというのが、極めて狭くて揺れるため、出るものも出なくなる代物だったらしい。だから、これはあくまで緊急避難用だと又聞きで知った。年長者が沢山乗っているので、十分にトイレ休憩があり、このトイレを利用したのは2名だったと聞く。

●旅館は有名な「芦原の宿 八木」

今回の旅行の宿泊先は、歴史の新しい芦原温泉の中では創業120余年の老舗旅館としてトップ・クラスの「芦原の宿 八木」の吉祥館である。

とは言っても、それほど良い旅館という印象は受けなかった。部屋は清潔で見晴らしも悪くはないが、フローリングを歩くとドアをノックするような軋み音が発生する。洗面所にいて「はい、どうぞ」と飛び出てみると、妻が歩いていたというのは本当の話だ。このホテルが芦原温泉で1、2を争う旅館だと分かったのは、翌日の昼食で訪れた丹巌洞の女将が「あそこの料理を口にされたお客様に、私どもの料理がご満足いただけるか心配です」と謙遜し、彼の旅館をほめたからだ。

●まずは温泉に浸かって

旅館に着くと常識通り男どもはほとんどが大浴場に浸かった。大浴場とは言ってもそれほど大きくはない。湯から上り、シャワーと蛇口を交互に切り替えて頭や体を洗っていると、どちらも止まらなくなってしまった。隣では南先生が腰掛けていらっしゃる。困った、湯を出しっぱなしでここを離れるわけにいかないし、南先生に相談するのも恥ずかしい。心は焦りに焦るが、何食わぬ顔をしていろいろ触っているうちに突然ピタッと止まってくれた。

そこで、おもむろに立ち上がり、悠然と浴場を出た。もちろん南先生は私の苦労などご存知ない。あとで、放っておけば自然と湯は止まる仕掛けになっていることを知り、ガックリ。

温泉から出ると宴会が待っている。そのとき、温泉に入らなかった異端の男性がいることを知った。それは浴衣を着ていないことで判別できる。一人Tシャツ姿で宴会に臨んだ男性の名は明石賢三という。聞けばテニスの試合をTVで観ていたとのことだ。

●大宴会が始まった

松風という70畳の宴会場で宴会は始まった。司会と進行役は交野病院外科の栗本Dr。全員が順に自己紹介をして行ったが、アドリブ一杯の軽妙なツッコミに爆笑が絶えない。この先生、年長者をイビルことに快感を覚える性癖があるようで、狙い撃ちされて苦笑している顔があちこちで見られた。料理は悪くない、ビールも美味い、専ら日本酒を飲み、酒の飲み方の講釈をする人、それを畏まって拝聴する人、楽しい宴会だった。

●二次会はナイト・ラウンジで

宴会が終ると多くの者は二次会に出かけた。場所は一階にあるナイト・ラウンジ「ルネッサンス」。ここはかなり広いスペースだが、既に2組の大きなグループが先客として陣取っていて、一番最後にやってきた我々交野市医師会御一行様有志10余名に残された場所は奥まった片隅だけ。そして、ホステスは宴会場にいた中高年のおばちゃんである。ムードが芳しくなく、悪い予感がして、水割りばかりを飲みつづけた。

●女将が挨拶に来なかったのは怪しからん!

しばらく経って「女将が挨拶に来なかったのは怪しからん、文句を言ってくる」と寶田Drが立ち去るのを眺めながら、悪酔いをして「怒り酒」が出たのかなと気の毒に思った。女将が宴会場には挨拶に行くと言っていたのに来なかったという話がよく飲み込めなかったのだ。後になって、ここの女将八木清美さんと寶田Drは高校の同級生だったことが分かった。それなら話は分かる。あれは悪酔いではなかった、怒ってもっともだ!

●洗車関係の業者は遊び上手

このラウンジの片隅に腰を降ろし、舞台を見るとあれ不思議、健康増進課の木原課長が歌い踊っている。尼子会長も「あれ!木原課長や!」と驚いたようだが、そんな筈はなく、よくよく見れば他人の空似だった。なんと世の中にはそっくりさんがいるものよと呆れてしまった。

この人の属するグループは中年のおっちゃんが約10名、若い女性が数名、中年のおばちゃんが10名くらいの大人数で、歌も踊りも楽しくて、ほんとうに遊び上手だ。このグループがマイクをほとんど独占しているのだが決して目障りではない。それは、自分だけでなくて周りの者を楽しませているからだと納得が行き、感心して見物を続けた。尼子会長が例のホステスから聞き出したところでは、連中は某市の洗車関係の業者組合の人たちらしい。

●ペッパー警部は素晴らしい!

そうしている間にも時々こちらに出番が廻ってくる。沢井Dr、栗本Dr、塚田Drなどが歌ったが、このおっちゃん連には太刀打ちできない。それは遊び上手のレベルが違うのだから致し方ないことだった。

ところが、ここに救世主が現われた。私たちの中から女性デュオが舞台に殴り込みをかけたのだ。曲目はピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」。姉妹かと思うほど息が合って、この軽快でアップテンポな曲を楽しく唄い踊った。振り付けも自然で、練習を重ねて来たに違いないと誰もが思った。若さ、スピード、ハイカラさ、それ以上に女性デュオと言う魅力がおっちゃん連を圧倒したのだった。皆はやんややんやの喝采、私たちはようやく溜飲を下げることができた。

このお二人を紹介しよう。寺嶋夫人と塚田夫人がその人である。聞けば、まったく準備も練習もしていなかったが、カラオケの本を眺めて二人で唄えそうな曲を探していたらこの歌が目に付いた。寺嶋夫人はこの曲をお嬢さんとTVでよく見ていたし、塚田夫人はピンク・レディーに近い世代?でよくTVを見ていた。最初のうちは少し戸惑ったが、2番から身体が乗ってきて、振り付けも合い、乗りまくったと話された。スゴイ! 素晴らしい! おしとやかに見えるお二人からは想像も出来ない快挙だった。

●出番がなくて悪酔い

おっちゃん連はしばらく静かにしていたが、また盛り返してきて、11時半ばを過ぎるまで独占状態を続けた。このおっちゃん連やピンク・レディーのあとで唄ってもしらけるだけだという状況判断をするだけの理性が私にはまだ残っていたので、哀れ私には出番がなかった。その間水割りを飲み過ぎたのだろう、久しぶりに悪酔いをして部屋に戻るなり高鼾で眠ってしまったらしい。

●朝寝坊

翌朝どこかで電話の鳴る音が聞こえたように思ったが、「モーニング・コールや、ほっとけ」と言って寝続けても鳴り止まない。洗面所にいた妻がやってきて音源を探すのだが分からない。やっと押し入れの下に布を被った電話機を見つけて受話器を上げると、明石Drから「朝食に行きませんか」とのお誘いだった。慌てて飛び起き、朝食の部屋に向かうと、もうほとんどの人は食べ終わって引き上げている。

ここからが早食いを特技とする我々夫婦の見せ所、大急ぎで全部を食べ終わると、エレベータの前で待っていた藤川さん、大森さんに追いついた。余りの早業に彼女らは目を白黒させていて面白かった。ちなみに、私たちよりも後にもう一組がいて、それは塚田Drご夫妻であった。

●観光組は永平寺から

ゴルフ組8名は早朝に宿を発ち、観光組16名は午前9時に旅館を出て永平寺に向かった。永平寺は今から約750年前、道元禅師によって創建され、境内は約10万坪、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの中にある。ここへは1964年に一度訪れたが、その時と比べて建物が新しくなったように感じた。実際、鉄筋コンクリート造りの建物、エアコンやビデオ映写装置の備わった建物もあり、新しく現代風に手を加えられているのは間違いない。

道元禅師が3歳で父と、また8歳で母と死別し、世の無常を感じて13歳で比叡山に出家したという生い立ちに私は心を惹かれた。また、「道元禅師からのメッセージ」として英文が併記されたパネル展示を読み、永平寺を訪れた幸運を感謝した。

その中の、観無常心「この世において無常ならざるものはなし All Things Are Impermanent 」、 隋処作主「どう生きるか、それが仏法の根本問題である How Shall We Live」、 少欲知足「仏心とは足ることを知る心 The Mind That Knows Sufficiency 」という三つのことばは、私が日ごろ思ってきたことと同じで、何だそうだったのかと仏法や道元禅師を身近に感じた。今振り返ってみて、今回の旅行で得た最大の収穫はこのメッセージだと思っている。

●丹巌洞で昼食

満ち足りた気持になって永平寺参拝を終えると、昼食を予約している丹巌洞(たんがんどう)に向かった。ここは福井出身の寶田Drが「福井で一番美味しい料理」と推薦して下さった料亭である。

この丹巌洞は1846年に福井藩医・山本瑞庵が建てた土蔵造り2階建ての小さな草庵である。かって藩主・松平春嶽を始め由利公正、橋本左内などの幕末の志士たちが秘密の会議を開いた庵だと言う。また歌人橘曙覧、横井小楠、中根雪江ら多数の文人墨客が来遊したそうだ。当時の足羽川はこの丹厳洞の近くを流れていたため、福井城下から舟遊びしながらこの地に通うことができたらしい。志士たちの遺稿のほかに、当時の医療器具などが数多く保存されていて、それを見学することができた。

ここの庭園はよく手入れされていた。その中にあって違和感のない新しい建物が料亭として利用されている。この草庵、庭、料亭のいずれについても私たち一行は満足した。そして、料理もまた期待に違わぬ美味なもので、中でも茄子そーめんという珍しい料理に舌鼓を打ち、品の良い女将との会話を楽しんだ。私たちに同行した旅行会社の有家氏がこの丹巌洞を知らず、良いところを教えてもらったと感謝していたのが印象に残っている。

ここで昼食を楽しみながら、昨年の医師会韓国旅行の最後の夜に「石坡廊」という高級料亭で伝統宮廷料理を食べた時の光景を思い出していた。どちらも古風な、しかし格調のある美しい庭、建物、部屋という舞台が同じなら、上品な料理も共通している。普通の観光旅行では経験できない食事を2年続けて賞味できた果報者は尼子会長、寶田Drと私の3人である。

●東尋坊を見物

丹巌洞での昼食に大満足で、そのまま大阪へ帰るところを、ゴルフ組の時間が延びているとの情報が入ったため、東尋坊を観光してから、ゴルフ組と合流することになった。

東尋坊も今回で3度目の観光となると、最初の時ほどの衝撃は受けないが、豪快で迫力ある天下の絶景だとは思う。ここ東尋坊でみられる輝石安山岩の柱状の岩の集まりは地質学的にも大変貴重で、世界でもここのほかには韓国の金剛山、ノルウェーの西海岸の2ケ所だけしかないことを知った。

前から気になっていた東尋坊という名前の由来がラヴ・アフェアに関わっていることを知ったので、簡単にご紹介しておこう。

昔、東尋坊という僧がおり、美しい姫に思いを寄せていた。同じ寺に真柄覚念という寺侍がいて、彼もこの姫が好きだった。ある日、覚念は酒宴だといって東尋坊を誘い出し、酒に酔わせて彼をこの海へ突き落とした。その日は寿永元年4月5日。以来、旧暦4月5日になると東尋坊の怨霊が荒れ狂い、大シケになったそうだ。その後歳月が流れ、諸国行脚の偉いお坊さまがやってきて、東尋坊を哀れみ、供養の歌を海に流してからは、怨霊もとけてシケも無くなったという。

●ゴルフ組と合流し一路交野へ

東尋坊を1時間ばかり観光した後、芦原ゴルフ・クラブに立ち寄りゴルフ組と合流、一路交野への帰途についた。ゴルフ組の栗本Drが加わると車内は俄然賑やかになる。そしてこのサロン・カーの後部でまた酒盛りが始まったようだった。

●産科の医師は大変だ

賎ケ岳サービス・エリアで休憩したあと、波戸Drの携帯電話が頻繁に鳴り出した。どうも入院している妊婦の状況が急を要する状態らしい。次々と状況報告の電話が入り、それに対する的確な指示を拝聴しながら、産科の医師の大変さを思った。医師の中で一番離婚が多い科は、産科、脳外科、循環器内科だと以前聞いた話を思い出していた。

●無事帰着

東尋坊を観光した分だけ予定より1時間遅れ、午後7時にゆうゆうセンターに到着した。それぞれが楽しかった今回の旅行の余韻を胸にして家路についた。波戸Drは奥様が迎えに来られていて、急ぎクリニックへ向かわれたようだった。

●無事、お産が終わったとメールが届いた

翌朝、波戸Drから交野市医師会のメーリング・リスト「 doc-katano 」に、無事出産を知らせる以下の文面がメールで届いた。このメールは当然「 doc-katano 」に登録されている27名の交野市医師会員全員に同時に送信されている。時代はここまで進んでいるのだ。

無事、お産が終わりました。帰りの車中 (賎ケ岳サービス・エリアで休憩以降)今朝から入院していた妊婦の胎児心拍が落ちるとメールが入り、お騒がせ致しましたが、帝王切開をせず何とか経膣的に生まれました。今回、初めて医師会旅行に参加させていただき、有意義に、命の洗濯をさせて頂きました。また、一泊旅行の機会がありましたら参加させてください。

本当に良かった。波戸先生と奥様、それにクリニックの皆さま、お疲れさまでした。


<2001.10.18.>

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