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愛のうた

<枚方市医師会会報第25号(84年2月)より>
2000.12.31. 掲載
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交野支部   野村 望 .

歌の多くが、恋とか愛に関係しているといっても、言い過ぎではあるまい。恋しい想いを唱った歌、求愛の歌、別れの歌、そして失恋の歌、そのいずれにも、心に響くいい歌が数えきれぬ程ある。これらの愛のうたの中で、愛のよろこび、愛を讃える歌を中心に、思い出を書いてみようと思う。

「トゥーヤング」、この曲を口ずさむ時、思い出すのは、昭和27年の春、高校に入学したばかりの頃の情景である。桜並木のトンネルを通り抜け、校門に入って来た時に、この曲が流れてきた。その頃、ナット・キングコールの歌でヒットし始めていたこの曲を、ブラスバンドの誰かが、吹いていたのであろう。クラリネットの甘味な音色が、たまらなく魅惑的であった。ナット・キングコールの唱い方は、粋で、新鮮で、ジャズ・ヴォーカルのすばらしさを満喫させてくれたが、それにもまして、この曲の歌詞が素晴らしく良かったのである。

世間の人は、私達が愛し合うには若すぎる、愛などといっても、言葉だけのものだ。本当の意味など分かっていないんだと言う。しかし、私達の愛は、いつまでも続き、いつの日か世間の人も、私達が若過ぎたのではなかったことを理解してくれるだろう」という歌詞に、いたく共感し、感動をさえ覚えたのを思い出す。私も人並に恋を夢見る年頃だったのであろう。

昭和27年に流行した歌のもう一つに、「ハイヌーン」がある。西部劇のテーマ曲を愛のうたに入れるのは、おかしいようだが、私にとっては、この曲も立派に愛のうたなのである。映画「真昼の決闘」の中で、任期を終えた保安官が、結婚式を挙げ、花嫁と共に町を去ろうとしていた。その時、昔彼が刑務所へ送り込んだ無法者達が、仕返しをしに、町へやってくるという知らせが届く。町の人々は、かかわりを恐れて誰一人彼に味方をしようとしない。多勢に無勢、花嫁は自分の親兄弟を一人残らず決闘で亡くしているので、逃げてくれと懇願する。しかし、彼は留まって闘うと言う。決闘の場に居合わせることに耐えられず、花嫁は汽車に乗り、町を去って行く。その時の保安官の気持ちを唱ったのがこの曲である。

いとしい人よ、私を見捨てないでくれ、ここに留まってくれ」で始まるこの曲は、運命から逃れることをせず、これに立ち向かって行こうとする自分の気持ちを述べ、自分は、死を恐れはしないが、今こそ、お前が必要なのだ、お前がいなくては何もできないのだ、留まってくれ、と訴える。死を恐れない強い男が、伴侶に請い求めるところが印象的で、アメリカの勇者と日本のそれとの違いを、その時つくづく感じたものである。

一旦町を離れた花嫁が、思い直して又町へ戻り、夫に協力して無法者達を倒した後、新生活を求めて町を去るのであるが、ここに夫婦愛の一つの典型を見たと思った。保安官は、ゲイリー・クーパー、花嫁はグレイス・ケリー、そして画面に誠に似つかわしく、バスバリトンで唱っていたのは、テックス・リッターであった。

昭和30年に大学に入り、恋を夢見る時代から、恋の可能性のある時代に、一歩足を踏み入れた頃、流行した歌に、「慕情」がある。ウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが主演したこの映画のテーマ曲で、「恋は、非常に素晴らしいもの」という題であった。アメリカのポピュラーソングの中で、これほど情熱的に、愛の素晴らしさを唱った曲は、他には無いのではなかろうか?

この曲はフォー・エイセスのコーラスでヒットしたが、マット・モンローの堂々とした唱い振りの方が遥かに良いと思う。今から5〜6年前、加山雄三が紅白歌合戦でこの曲を唱ったことがあった。それまで、余り歌がうまくないと思っていた彼が、この曲を格調高く唱い上げるのを聞いたとき、些か感動し、彼を見直すきっかけともなったことを思い出す。

人は、一生の間に幾度か、世の中の全てのものがバラ色に見える経験を持つであろう、たとえそれが、束の間の幻想であったとしても。その時の感情に最もふさわしい曲、それは「バラ色の人生」ではなかろうか。エディット・ピアフの作詞作曲になるこの歌を、ピアフ自身の歌で聞いたのは、確か昭和26年、中学3年の頃であった。ピアフは、この曲をイブ・モンタンとの恋の真っ最中に作ったと聞く。さすがに、ピアフは素晴らしく、情熱的に唱っている。

そして、この曲は私にとって、サッチモとの出会いの曲でもあった。サッチモが唱うこの曲を始めて聞いた時には、正直いって、たまげてしまった。これまで自分が抱いてきた歌というものから、余りにもかけ離れていたからである。しかし、何回かレコードを(その頃はSP盤であった)聞いている内に、だんだんと彼の音楽に魅きつけられていった。ピアフの歌は、フランス語だから訳詞を見なければ意味がわからない。それに比べて、サッチモの方は簡単な英語だから、中学生の私にも充分理解できたし、唱うこともできたのである。

愛のうたの中で最高のもの、それは「愛の讃歌」であると私は思う。これ程愛を正面から堂々と、高らかに唱った曲を知らない。もちろん、ピアフが最高である。

訳詞によると、「たとえ空がこわれ、大地が砕けることがあっても、貴方の愛があれば、そんなことは大したことではない。貴方が望むなら、世界の果てまでも行き、祖国も棄て、友とも別れ、盗みもする。どんなに笑われても、どんなことでもしてみせる。いつの日か、貴方がこの世を去ることがあっても、貴方の愛があれば、それも大したことではない、自分も同じ様に、貴方の後を追って行くから。その時、大空の中で、神が愛し合う二人を結びつけてくれるだろう」という大意のうたである。

以上、愛のうたを五曲選んでみたが、いずれも昭和26年から30年頃に流行したものばかりになってしまった。その頃の歌が、優れていたのか、それとも愛に対する感受性が一番高まっていた時期に聞いた歌であるからだろうか。それにしても、もう遠い過去の話になってしまった。十年一昔で数えれば、昔、昔、その昔のことである。

最近になって、この様な歌に、再び心魅かれるのは、愛の可能性が失われようとしているせいなのか、もう夢見る時代は過ぎ去りつつあるということなのか。そういえば、我が家の息子が、「トゥー・ヤング」にふさわしい年齢となった。しかし、私は「夢見る頃を過ぎても」の歌のように生きてゆきたい。映画「わが心に君深く」の中で、ホセ・ファーラーが、老いたる妻に、この曲を弾き語る場面が、なぜか近頃懐かしく思い出されるのである。

男はいつまでたっても甘いものだという見本を提供した所で、この拙文の終わりとしたい。

(84年2月、記)

<補足説明>
「愛のうた」は、私の好きな愛のうたの中で、愛を讃美するうたを中心に、若いころの思い出を書いものである。このような形で、自分の好きな歌とそれに関わる思い出を書いておきたいものだと、40歳頃から強く思ってきた。20世紀の終わりに、誕生から還暦の年までの歌と思い出 をまとめることができたのは幸いだった。


<2000.12.31.>

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