山本陽子の地平の3Dロゴです


7年の歳月かけ、詩人山本陽子全集4巻完結

一冊の詩集だけを残し、山本陽子は1984年8月29日に肝硬変のため41歳で死去した。その後全集が企画され、1989年に第一巻が刊行、このほど7年の歳月をかけた全集が完結した。

 山本陽子は、58年女子美術大学付属高校に首席で入学、学校側の大学に残ってくれという依頼を断わって卒業後、日大芸術学部映画科に入学した。映画は特にルイス・ブニュエルを好んだ。63年「私の知っていることしか教えないのでつまらない」と中退。66年、思想・文学の同人雑誌「あぽりあ」創刊に参加。評論「神の孔は深淵の穴」を発表する。67年「あぽりあ」第2号に「よき・の・し」を発表。70年、頂点となる「遥るかする、するするながら3」を発表し、独自の語体を確立する。76年パートとしてビルの清掃会社に勤める。未完の大作「青春-くらがり」に没頭し、77年生前の唯一の詩集「青春-くらがり(1969…)」を吟遊社から刊行。82年、思想、文学関係の本をすべて処分。以降作品は書いていない。84年死去。おびただしいメモ類が残されていたが、すべて家族の手で焼却された 。

 全集の編集者の渡辺元彦氏は、第一巻の「はしがき」で「彼女の作品は、一般の常識からは作品と呼ぶべきかどうかも戸惑わせるような、不可解なものであるが、彼女が言語の根底に触れ、その言語の現代における分裂と危機を、非常な深度で生きた稀有な詩人であったことはまぎれもない事実である。彼女の、ただ一点を見凝め、そこへ自己の全精力をそそぎ込んで炸裂する、巨大な自己解体のエネルギーは、言語の状況の赤裸々な姿態をひきずり出し、語は破片のように、いまだ知られたことのないシンタックスと韻(ひびき)の流動の海を流れ、舞い、飛びちる」と書いている。

 彼女は生前まわりに、『百年か二百年たったら、わかってもらえる』と洩していたが、言語の激しい流動化、ハイブリッド化に直面した現在、彼女の詩の輝きに多くの人々が気付き始めている。私もその中の一人である。彼女の詩は難解ではない。各人の近づき方に合わせて、流れ込んでくる広がりと深さを持っている。

 このコーナーでは、彼女の詩を楽しみ、その魅力をゆっくりと味わっていきたい。彼女の詩に接したことのない人のために、まず「遥るかする、するするながら3」の最初の一節を紹介しよう。

遥るかする
純みめ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく/りらっく ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ/まっ/じろ きき すき//きえ/あおあおすきとおみ とおり//しじゅんとおとおひらり//むじゅうしむすろしかつしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ|とおり、さっくる/さっく ちっく/るちっく すみ、とおりながら


全集の発行は、漉林書房(東京都足立区本木1-1-12、電話03-3840-6711)


点です最初のページへ

訪問者since97.10.13