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リービング・ラスベガスの画像です

リービング
ラスベガス

1995年作品。112分。脚本・監督マイク・フィッギス。製作リラ・カゼス、アニー・スティアート。原作ジョン・オブライエン。撮影監督デクラン・クイン。衣装ローラ・ゴールドスミス。編集ジョン・スミス。ベン=ニコラス・ケイジ、サラ=エリザベス・シュー、ユーリ=ジョリアン・サンズ

 酒をのみ続けて死ぬためにラスベガスに来たアル中男ベンとマフィアのヒモと別かれた娼婦サラのラブストーリー。生き続けてほしいと願いつつ「酒を飲むな」と言わない約束を守りながら愛を貫く娼婦サラは、野たれ死志向の男にとっては究極の天使かもしれないが、あまりにも男の身勝手がすぎないだろうか。

 娼婦サラを演じたエリザベス・シューは、「カクテル」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など健康的なイメージが強いが、今回は汚れ役に挑戦した。俳優としての成長ぶりは認めるが、娼婦のしたたかさも崩れたところも感じさせないのが物足りない。

 アル中のベン役のニコラス・ケイジは、アカデミー賞でオスカーを手にした。死を決意しながらもベタベタしたところがなく、逆に残された人生を軽やかに、時にはコミカルに生きる姿は確かに共感できるが、アル中になった背景も死を決意した動機もあいまいなので、男の生き様として迫ってこない。

 「アルコールはやめましょう」という説教をする映画ではないというだけが救い。しかし映画としては、展開がきれいごとすぎる。「きれいごとの愛じゃない」という宣伝コピーが泣く。


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スワロウテイル

1996年作品。149分。プロデューサー河井真也。脚本・監督:岩井俊二。音楽:小林武史。撮影:篠田昇。美術:種田陽平。照明:中村裕樹。ヒオ・フェイホン=三上博史、グリコ=Chara、アゲハ=伊藤歩、リョウ・リャンキ=江口洋介、マオフウ=アンディ・ホイ、ラン=渡部篤郎、シェンメイ=山口智子、レイコ=大塚寧々、鈴木野=桃井かおり

 岩井俊二監督は、言葉の微妙な響きを大切にし、甘美にゆったりと時が流れる『ラブレター』から一転、主人公がせわしなく動き回る、ガサついた色調の多国籍映画『スワロウテイル』を発表した。しかし確かな美意識と、映像の奥に透明な哀しみをたたえている点は、間違いなく岩井ワールドだ。

 基調としては、『ブレードランナー』『ブラックレイン』の影響下にある。その模倣を避けつつ、あの隈雑なパワーに満ちた世界への共感を隠さない。だいたい「グリコ」という名前が『ブラックレイン』へのオマージュでなくて何だろう。腹部からカセットテープを取り出すシーンは、容易に『ビデオドローム』を連想させる。先行する映画をパッチワークしながら、監督が本当に描きたかった世界がここにある。

 『ラブレター』をはじめ、『ifもしも「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」』『Undo』『PiCNiC』『フライド・ドラゴンフィッシュ』と、新人としては実に手慣れた作品を発表してきた岩井監督が、こんなに「やんちゃな映画」を完成させた冒険心に、まずは敬意を表しよう。かつて「新人としてはまとまりすぎている、過剰なものがなにもない」と批評したことを撤回する。ただし、実現に当たっては河井真也プロデューサーの存在も見逃せない。

 「イェンタウン」のアイデア、偽札を巡る細部の矛盾に対する意見は分かれるだろう。とりわけ、タクシー運転手に銃を突きつけながら、料金がないばかりにヒオ・フェイホンが偽札を使おうとして警察につかまるという展開は、コメディとしてもあまりにもオチャラケている。生死を分ける重要な場面でオチャラケるというのが「セーラームーン」以降漫画の世界では常道になっているが、ここではやはりリアリティがなさ過ぎる。かつて漫画家を目指した岩井監督の現代的なセンスだろうが、納得できない。


スワロウテイルのインターネット・ホームページ

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