2000年7月5日〜8日

近くて近い隣人
小学生の頃、金原君という級友がいた。小柄ながらすばしこくて喧嘩早い少年だった。どちらかといえば級友たちから敬遠されていたが、どこか寂しげで独特の存在感のある少年と私は妙に気が合っていた。小学校のそばのバラック同然の金原君のアパートに遊びに行った記憶もある。金原君は、当時の大人たちの呼称のままに私たちが影で「チョーセンジン」と呼んでいた在日韓国人2世だった。私の韓国との最初の出合いだった。
12年前のビジネスでの慌ただしい韓国訪問の後の、今回の2度目の訪問だった。
関空から60分余りの近さにある隣人である。NHKの衛星放送が楽しめるエリアの隣人である。結果的に私たちの専任ガイドとなった金さんとのパーソナルな懇談の機会は、韓国をより身近な国にしたことも間違いない。
とはいえ、今回の訪問先の史跡に過去の日本の侵略の爪痕をいやおうなく突きつけられたのも現実である。
私たちの世代は今尚、韓国に対する日本の過去を共通の認識で精算してはいない。その現実は、恐らく韓国の同世代の人たちの日本に対する不信感を募らせているに違いない。反面、金さんを通して窺える韓国の若い世代の日本への見方は、より現実的であるかのようにみえる。過去へのこだわりよりも、現在と未来にとって隣国が自分とどう関わるのかが関心事なのだろう。経済大国日本からの観光客が圧倒的多数であれば日本語通訳の資格が有益であるし、その衰退と比例する形で大国中国の観光客の急増に中国語通訳の資格に殺到する。日本の若者たちの韓国観も私たちの世代ほどには屈折感はなさそうだ。
そのことの是非は別にして、時間の経過と世代の交代が、歴史に込められた人間の情を徐々にそして確実に韜晦させていく。こんな感慨に浸りながら「金浦空港」(右画像)を後にした。
旅を食べ尽くすHP旅日記
1997年7月にホームページ「明日香亮の世界」をアップした。そして夫婦で初めての海外旅行「マレー半島の旅」に出かけたのは直後の10月だった。職場のデジタルカメラを拝借し画像付の旅日記がスタートした。その後の旅行は、ホームページの定番メニュー「旅日記」としてアップされることになった。
以来、旅行の過ごし方が一変した。誰でも読まれる可能性のあるホームページ日記に記すことが前提の旅行になったのだ。(もちろん単なる可能性であり、現実は極めてパーソナルな日記であることに変わりはない)
ガイドブックによる予習はもちろん、旅先の様々のシーンを貪欲に吸収し、HPアップを念頭にしたデジカメ画像を意識する。平面的でないエピソードに溢れた道中こそHPネタになる。よりアクティブでより密度の濃い旅行となった。写真整理はもちもん旅先で入手した地図、案内パンフ、入場券、領収書等々、帰国後の復習もまた旅の余韻を噛みしめる作業でもある。さながら「旅を食べ尽くす」といった観がある。「旅を10倍楽しむ法」ともいえる。
第4部に戻る

ホーム