11月21日 天壇公園の都市住民の豊かさ
■ツアー最後の朝を迎えた。家内は昨晩スーツケースの整理に奮闘していた。旅行中のこの仕事はいつのまにか専ら家内の担当となり、亭主はその間寛いでいる。真空パック式に圧縮された枕二個や天津甘栗詰合せ等のお土産が辛うじて大型スーツケースに納まった。これをホテルフロントに引っ張って行くことだけが私の役割である。
■8時にバスが出発し最後の観光に向った。車窓には月曜朝の北京市内の活気に満ちたラッシュ風景があった。市内中心部方向の道路は「動く駐車場」と評されるほどの大渋滞だ。大きな交差点では自転車や電動バイクなどの大集団が信号に応じて一斉に動き出す。
■北京中心部の南端に位置する世界遺産・天壇公園に着いた。広大な公園の広場や通路は市民の憩いの広場にもなっている。様々なグループが太極拳、剣舞、バトミントン、民族楽器の演奏、民族舞踊などを
あちこちで演じている。それがまたこの公園の観光スポットにもなっている。長い回廊の幅広い欄干では、大勢のお年寄りたちが鈴なりになって囲碁に似たゲームやトランプに興じている。ガイドの董さんの話ではほとんどがリタイヤした人たちだという。多すぎる労働人口を吸収するため北京市民の多くは40代後半にはリタイヤし年金生活に入り、こうしたのんびりした日常生活を謳歌しているようだ。貧富の格差の大きい中国の少数派の都市住民たちの豊かさの実態である。
■公園の中心部の最も高い位置に天壇のシンボルである祈念殿が聳えている。明・清代の皇帝たちが天に豊作を祈念したのが天壇である。三層の真っ白な大理石の基壇の上に三層の瑠璃瓦と極彩色の壁を備えた円形の建造物である。皇帝たちが毎年正月に祈りを奉げた場所である。折しも歌手らしき若い男女が正面の基壇前でプロモーションビデオを撮影していた。祈念殿内部の28本のきらびやかな柱の中心に皇帝の玉座が安置されていた。
西太后末裔の大先生の書画販売 
■出口付近の建物で書画の展示即売を見学した。係員の説明では館内に展示された書画は西太后の子孫と言われる大先生の著作だそうだ。「実はその大先生はボランティアで今ここに来てもらっている。今から先生に書画を即席に描いてもらいうので良ければ買ってもらいたい」との口上で、目前で大先生の筆が踊った。ツアー仲間のオバサン三人が朱の落款が押された作品を1点4~5万で購入した。三人の犠牲者たちに感謝しながら一同バスに向った。
■北京空港には搭乗時間の2時間半前に到着した。それなりに充実した現地観光をエスコートして貰った三人の現地ガイドさんたちと別れを告げ、出発ロビーで寛いだ。軽食を摂るため同行者6人でカフェに入った。50坪ばかり店内に10数人の中国人従業員が待機する。オーダーの会話は日本語はおろか片言の英語すら覚束ない。
■定刻30分前の14時5分に搭乗し機内食を挟んで6時過ぎに関西空港に到着した。二台に分乗して8時半頃に自宅近くのレストランで合流した。同行者6人の反省会を兼ねた夕食だった。ご近所の夫婦三組の初めての三泊四日のパックツアーが終わった。気の置けないグループの心地良い旅路の余韻を楽しんだ。

エピローグ