わからん長崎
初日 10月22日(土)
 佐賀出張から長崎へ
■一度は行ってみたいと思っていた長崎を旅する機会を得た。佐賀出張の後、翌日の休日も利用して長崎まで足を伸ばすことにした。
 早朝のANAのプロペラ機で、伊丹空港から佐賀空港に向う。佐賀で業務を済ませJR佐賀駅から長崎に向った。初めて乗車したJR特急「かもめ」の車内は、豪華な革張りのシートに包まれていた。肥前鹿島駅を過ぎるころから、かもめは車窓に有明海を映しながらひた走る。
■佐賀駅から約1時間15分で長崎駅に到着した。今回の長崎ツアーのガイドブックは「るるぶ長崎」だった。ガイドブック情報に従って、駅構内の観光案内所でまず500円の路面電車の一日乗車券を購入する。この乗車券はなかなかの優れものだった。手軽に確認できる電車路線図があり、路線にそった観光スポットが表示されている。
 長崎電気軌道褐o営のこの路面電車は、事業としても成功しているに違いない。滞在中10回余り乗車したが多くの場合、50%以上の乗車率だった。利用者本位の数々の施策が講じられている。大人1回の料金は定額100円で、4系統ある路線のいずれにも乗換え可能だ。幹線路線は5分に1本、その他の路線も7〜8分に1本の運行を維持している。赤信号での停車以外には渋滞に巻き込まれることはなく、定時運行は確保されているようだ。料金、運行頻度、定時運行での安心感が多くの乗客を確保している。
■「長崎駅前」電停から乗車し、「築町」電停で下車しホテルに着く。「楽天トラベル」で予約しておいたホテルは、ビジネスマンの出張にはお馴染のワシントンホテル・グループの長崎ワシントンホテルだ。フロントで手荷物を預け、早速、出発。 
トルコライスと浦上エリアの平和の祈り
■長崎グルメの豊富なメニューにも関わらず、食事回数は限られている。昼食は遅くなっても長崎でとることにした。お目当てはトルコライスである。路面電車で「思案橋」電停まで行く。電停から数分の所に「ツル茶ん」があった。大正14年創業の九州初の喫茶店とのこと。
 長崎グルメのひとつトルコライスはトンカツ、スパゲティー、ピラフがひと皿に盛られた料理だ。ツル茶んではカツの定番トルコライスだけでなくチキン、ハンバーグ、ステーキなど6種類のトルコライスが選択できる。迷った末、ステーキトルコライスをオーダー。珍しさ以外の特段の感想はない。唯、ここはやはり定番のカツのトルコライスを味わっておくべきだったとの悔いが残った。
■再び路面電車に乗車し、最初の訪問地「浦上エリア」に向う。
 「松山町」電停で下車し、進行方向右手の道を行くとすぐ目の前に平和公園があった。公園入口から階段を登り、正面に見える「平和記念像」に向う。緑に包まれた公園のあちこちに立つ各国から贈られた彫刻に平和の願いが込められている。広大な広場の奥正面に「平和記念像」の鮮やかなブルーの思いのほか大きな姿が屹立する。初めての訪問だった。胸にこみ上げるものがある。原爆の被災国の一員であることを否応なく知らされる瞬間だった。
■高台にある平和公園の右手の展望台から浦上天主堂の正面が遠望できる。10分ばかり歩いて浦上天主堂に着く。天主堂下の道路脇には原爆によって全壊した時の鐘楼の残骸が保存されている。再建された天主堂は、創建当時と同じロマネスク風の赤レンガの美しい建造物として蘇った。
■天主堂から「松山町」電停方面に数分歩き、周囲を木立に囲まれた公園の中の原爆落下中心碑に着く。黒御影の石碑が立ち、この上空500mのところで原爆が炸裂したことが記されている。その傍らには浦上天主堂の遺壁の一部が移築され、原爆の凄まじさと平和の祈りのモニュメントとなっている。
出島の史跡と眼鏡橋、寺町界隈の風情を楽しむ
■「松山町」電停乗車の路面電車を「出島」電停で下車し、すぐ傍の出島和蘭商館跡を見学する。商館跡は現在5棟が復元され、尚復元工事が進行中だった。来年春には更に5棟が復元されるという。
 長崎を彩る様々なファクターのひとつに「歴史」がある。その「史跡の街・長崎」を代表するキーワードが「出島」ではないか。竜馬の足跡もグラバー園居留地も唐人屋敷も辿っていけば「出島」に行き着く。江戸幕府の鎖国政策の中で唯一世界に開かれた窓口「出島」は日本史上に重要な役割を果たしたことは間違いない。
 長崎港に流れ込む中島川河口の埋立地に建つ商館跡を、出島橋を渡って対岸から遠望すると幕末の絵図にある扇形の人工島をしのばせる。商館跡には「カピタン部屋」「三番蔵」「水門」などが復元されている。出島橋の手前に設置されたミニチュア版の出島商館跡全体模型も見ごたえのあるものだった。
■出島橋のすぐ近くの「築町」電停から乗車し「賑橋」電停で下車。中島川に沿って北に進むと写真などで見覚えのある光景が目に入る。眼鏡橋だ。川の水面に映された二つのアーチが文字通り眼鏡を作り出している。
■眼鏡橋から徒歩数分のところに興福寺がある。1620年に中国僧・真円が建立した日本最古の唐寺だそうだ。広々とした境内を中国風の本堂などの伽藍が囲んでいる。興福寺の前の通りは寺町通りと呼ばれ、歴史を重ねた多くの寺が隣接して建ち並ぶ。
竜馬の足跡を辿る 
■興福寺から寺町通りを200mばかり北に進むと、右手に路地のような坂道があった。傍らに竜馬通りと刻まれた石碑がある。その上に「風頭公園」「亀山社中跡」の方向と距離を示す観光案内版が目に入る。竜馬の足跡を辿るという長崎訪問の楽しみのひとつがスタートした。
■左右を寺院に挟まれた坂道を200mほど歩き、突き当りを左に折れるとすぐに亀山社中跡があった。
 私の書棚には一時期夢中になって愛読した司馬遼太郎の作品が並んでいる。「竜馬がゆく」は、とりわけ胸を躍らせ一気に読みきった作品だ。多くの竜馬ファンが辿っただろう典型的なパターンを私も歩んでいた。竜馬が設立した亀山社中は日本で初めてのカンパニーといわれる。亀山社中を母体とする蒸気船運航会社である「海援隊」は余りにも有名である。亀山社中や海援隊を舞台に壮大な構想を引っさげて幕末の動乱期を駆け抜けた竜馬に限りない共感を覚えたものだ。
 ところがあれほど楽しみにしていた亀山社中跡にはナント「閉館中」の看板が出ていた。ボランティアで運営されているらしい亀山社中跡は、土日祝日の10時〜12時と13時〜15時のみの開館だった。
■すぐ近くのちょとした展望台にブロンズ製の竜馬のぶーつ像がある。若いカップルや若者達のグループが巨大な「ぶーつ」を履いて「舵輪像」を手をかけた姿のデジカメ撮影に興じていた。
■亀山社中から坂本竜馬像のある風頭公園までは、上り坂で約600mもの距離がある結構シンドイ道のりだった。なんとか辿りついた公園の一角にある展望台に坂本竜馬之像があった。ブーツを履き腕を組んで遠くを見つめている先に長崎港がある。日本国内にとどまらず世界に雄飛しようとしていた竜馬の気概を表しているのだろうか。竜馬像の傍に司馬遼太郎文学碑がある。碑文には「竜馬がゆく」の以下の一節が刻まれていた。『船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥隅之助にいった。「やがては日本回転の足場になる」ともいった。』
 竜馬像の展望台から降りて帰り道、すぐ横に更に高い展望台らしき構造物がある。階段を登ってみると、先ほどの竜馬像と文学碑の並ぶ展望台がすぐ下に見える。その先は、長崎港まで見晴らせる市街地展望の絶好のビューポイントだった。
竜宮門から丸山ぶらぶら節界隈を歩く 
■風頭公園からの長い道のりを歩き、「諏訪神社前」電停に辿り着く。「正覚寺下」電停で下車し、祟福寺に向う。竜宮門と呼ばれている中国様式の鮮やかな朱塗りの山門をくぐり左手の階段を登ると、それほど広くない境内に朱塗りの伽藍がひしめいていた。国宝・祟福寺である。境内奥には2mほどの深さの巨大な大釜が据えられていた。
■「正覚寺下」電停に戻り更に先に進み、映画「長崎ぶらぶら節」の舞台となった花街・丸山に出る。梅園通りの風情のある石畳を歩くと、江戸時代に日本三大花街として栄えた当時の面影を偲ばせる建物や風景が目に入る。中の茶屋近くの天満宮の境内に、なかにし礼作の「小説・長崎ぶらぶら節の文学碑」があった。梅園通りを折り返し丸山本通りに出たところには長崎検番がある。花街特有の芸者を管理し作法を指導する場所だ。
 丸山公園のそばには史跡料亭花月がある。江戸時代の初期に創業されたという歴史のある今尚営業中の料亭である。頼山陽や坂本竜馬、高杉晋作なども訪れたといわれている。花街から帰る客が遊女を思い振り返った場所にあるところから見返り柳と呼ばれる柳や、明治期を思わせる情緒ある建物を使用している丸山交番などもこの近くにある。
 思案橋通りを抜けた突き当たりの「思案橋」電停のある交差点角には、今はなき思案橋の欄干をかたどったモニュメントが立っている。ちょうどこの橋あたりで丸山遊郭に行こうか戻ろうかと思案したといわれている。
新地中華街散策と卓袱料理の味わい
■「思案橋」電停から乗車し「築町」電停で降り、新地中華街を散策する。横浜、神戸と並び日本三大中華街のひとつということだが、街の規模は横浜、神戸に見劣りするのはやむをえまい。メインストリートの南北の入口を「朱雀門」「玄武門」が、東西の通りの入口を「青龍門」「白虎門」がそれぞれ固めている。この二本の通りを挟んで中国の料理店、雑貨店、食品店などがひしめいている。
■新地中華街の一角にあるワシントンホテルにいったん戻り、小休憩の後、夕食に向う。お目当ては長崎に来たからにはこれしかないというご卓袱(しっぽく)料理である。本格的な夜の卓袱コースはどこも予約制で1万円前後のお値段のようだ。ガイドブックの「予約なしで味わえる気軽な卓袱料理」で選択したのが、「思案橋」電停から徒歩3分ほどのところにある「浜勝」だった。
 リーズナブルな卓袱コース「ぶらぶら卓袱」をオーダーする。鎖国時代の唯一の開港地としてオランダ、中国の文化と融合して生まれたのが和・華・蘭融合の郷土料理となった。確かに配膳された料理には、お刺身、揚げ物、南蛮漬け、豚の角煮など和・華・蘭を巧みに美しく、色鮮やかな桶と小鉢に盛りつけてある。
 ホテルまでの帰りは、酔い覚ましもありブラブラ歩きの道のりだった。23時、歩きつかれた体は一気に眠りに落ちた。

二日目に続く