6月15日(土)コペンハーゲン自由散策
■ツアー8日目の昼過ぎにコペンハーゲンの半日市内観光を終えて超高層近代的ホテルに到着した。時間外ながらチェックインでき、指定された7階の部屋に入った。北向きの大きな窓から市内の美しい街並みが一望できる絶好のロケーションの部屋だった。目の前の運河を挟んで三本のゴシック様式の尖塔が印象的だった。
■2時半頃から家内と一緒に市内の自由散策に出かけた。この時のために昨晩クルーズ船キャビンで「地球の歩き方」を読みながらじっくり散策ポイントを検討しておいた。旅行社配布のトラベルガイド掲載のコンパクトな市内観光マップに散策ルートを書込み持参した。
■ホテル前の大通りを北西に市内中心部に向かった。運河を跨いだランゲ橋の向こうに随所に尖塔を備えた中世風の建物が見える。こうした何気ない風情にこの町の刻んできた歴史と風格を感じさせられる。しばらく歩くと左手に緑に囲まれた一角があらわれた。フェンスの向こうに様々な遊戯マシーンがあり大勢の子どもたちの姿が見えた。チボリ公園だった。チボリ公園の向かい側にはレンガ造りの焦げ茶色の市庁舎の堂々たる建物があった。市庁舎の北西角にはチボリ公園を見上げるような視線でアンデルセンの銅像が建っていた。
■市庁舎西側の市庁舎前広場に着いた。バスターミナル、タクシー乗り場、観光バス発着場を兼ねた広大な広場は大勢の人の集まる活気に満ちたスペースでパフォーマーたちの晴れ舞台の場でもあるのようだ。訪れた時にはペルー人グループによるフォルクローレが演奏されていた。
■市庁舎前広場から北東のコンゲンス・ニュート−(王様の新広場)までの1km余りの通りがストロイエと呼ばれる歩行者天国のコペンハーゲン随一の目抜き通りである。大勢の観光客が行き交う通りを左右の店舗をウインドウショッピングしながら歩いた。金色の色彩に覆われた銅像パフォーマー、女の子二人組のフォークシンガー、ジャグジーなどのパフォーマンスを相次いで目にした。この通りの先に最初の訪問スポット・ローゼンボー離宮があるはずだが、入り組んだ通りを途中で迷ってしまった。ブロークンな英語と観光マップで何人かの地元住民とおぼしき人たちに道を訊ねた。北欧の人たちは基本的に英語が話せるようだ。何とか通じてようやく離宮に辿り着いた。
■大勢の市民のピクニック風景の見られる広々とした庭園の一番奥に宮殿が建っていた。左右二頭のライオン像の間を通り、宮殿正面に向かった。17世紀初頭のオランダ・ルネッサンス様式の建物という。高い尖塔に囲まれ青銅の屋根とレンガの壁がマッチした優雅な建造物である。 
■次にクリスチャンスボー城に向かったが、これまたなかなか一筋縄ではいかない。何人かの人に訊ねてようやく辿り着いたのは、昨日の市内観光で現地ガイドから国会議事堂と教えられた建物だった。確かに城の一角に国会議事堂があるようだ。この城の前身である小さな砦が12世紀にアブサロン大主教によって建設され、これがコペンハーゲン発祥の地となったという。そのアブサロン大主教の巨大な銅像を見ながら裏口らしき所から城内に入った。中央に高い尖塔を構えその脇に左右対称の大きな建物を配した堂々たる石造りの城である。建物正面には広大な広場があり噴水が水しぶきを上げていた。
■入城した裏口に戻り運河沿いに東に行くと大通りに合流した。コペンハーゲンは自転車の町である。通りの両端にはどの通りにも自転車走行用のレーンが設けられている。ここでも自転車に乗った一群がひっきりなしに通行していた。大きな橋に入りここから北方向に昨日見学したニューハウンの美しい街並みが見えた。南に向かってしばらく歩くと螺旋状の特徴的な塔が見えた。最後の訪問スポットの救世主教会だった。尖塔の先端まで登れるということだが、残念ながら既に閉館時間で入場は叶わなかった。
■大通りに戻った頃から宿泊先の高層ホテルがいやでも目に入るようになった。運河を縁どる公園の中を散策しながら、5時半頃にホテルに着き3時間もの自由散策を終えた。朝からの観光も含めてこの日の歩数計は2万歩を超え、さすがに疲れがたまっていた。6時過ぎに帰還したオプショナルツアー組の仲良しさんとと一緒に野菜サラダとサーモンの夕食を囲んだ。料理の配食が遅かったこともありそれぞれの体験を語り合いながらの長い食事だった。部屋に戻り、旅先での最後の夜を眠りに就いた。ことになる。自由行動の少ないパックツアーでの絶好の個人ツアー体験のレポートは次回に回そう。 

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