3月18日午前 世界遺産・イスタンブール歴史地区観光
■列車が定刻どおりにイスタンブールのアジア側終着駅に着いた。いよいよ今回ツアーのハイライト「世界遺産・イスタンブール歴史地区観光」のスタートである。
■イスタンブールは、ビザンチン帝国からオスマン帝国にかけて1500年間の都として栄華を極め、シルクロードの終着点だった都市である。私にとっては愛読した塩野七生さんの「コンスタンチノープルの陥落」の舞台として興味深くぜひ訪れたかった街である。文字どおり「ヨーロッパとアジアの架け橋」の街であり、ボスポラス海峡を挟んで両大陸に跨がる街である。ヨーロッパ側は金角湾という入り江によって旧市街と新市街に分れている。数多くの歴史的建造物が並ぶ旧市街全体が世界遺産登録をされている。 
■列車を降り、各自スーツケースを押して待機中のバスまで移動する。ここから旧市街観光に向かう。市街に向かう車がボスポラス大橋を目指して集中する。地方選挙の真っ最中の市街地は、候補者写真や政党の旗が通りを埋めている。ヨーロッパ側終着駅の国鉄イスタンブール駅の前を通り、渋滞の中最初のスポットであるブルーモスクに着いたのは9時15分だった。
■バスを降りてブルーモスク(正式名称:スルタンアフメット・ジャーミィ)の正面に来た。その圧倒的な規模と迫力に思わず息を呑む。巨大なドームとそれを取り囲む6本の尖塔(ミナーレ)が美しい姿で迫ってくる。堂内に入ると再び驚かされる。とてつもなく広いガランとしたフロアが広がっている。余りにも高い丸天井と大小の多くのステンドグラスから差し込む光が幻想的な世界をかもしている。内壁を青を主体とした無数のタイルが飾っている。ブルーモスクの愛称の所以である。堂内の一角で時おり信者が跪いて祈りを捧げている。まぎれもなくここは現役のイスラム寺院なのだ。
■そのまま歩いてトプカピ宮殿を訪ねる。15世紀半ば以降400年間、歴代オスマン朝の支配者スルタンの居城だった建物である。コンスタンチノープルと呼ばれていたビザンチン帝国の首都を陥落させ、滅亡させたオスマントルコのマホメッド2世によって着工された。正面の皇帝の門をくぐり広い庭園を行くとチケット売場になる。手荷物のX線検査があり数名の警備員が固める物々しい警備である。再び庭園が広がりその先に威厳のある送迎門が待っている。この門を抜けると正面の庭園の右にかっての厨房、左にハレムが奥に縦長に建っている。正面の幸福の門の先が宮殿の中枢部だったところで、謁見の間、宝物館、図書館等がある。4つの部屋に分れた宝物館には84カラットのダイヤを始め数多くの至宝が陳列されている。物々しい警備態勢の意味を理解した。宮殿の北端の左右は展望台のようになっている。右側からはボスポラス海峡が、左側からは金角湾が一望できる。三方を海に囲まれた丘の先端に建つこの宮殿の戦略的な立地に気づかされる。
■ツアー最後のスポット・グランドバザールは宮殿西500m程の所にある。四方400m位の一角に縦横に通りが走っている商店街である。東南の角の正面入口には風格のあるアーチ型の石造りの門があった。コーナーごとに貴金属、カーペット、土産物等に分れている。1時間の自由時間を持て余しながら観光客で賑わう通りを散策する。黒い衣装に包まれたイスラムの女性たちがエキゾチックな雰囲気を漂わせる。  
■トプカピ宮殿東側のレストランに着いたのは1時40分だった。早い朝食に遅い昼食が重なりツアー仲間からは空腹を訴える声が相次ぐ。ボスボラス海峡に面した絶好のロケーションで鱈のグリルがメインの昼食となる。昼食後、オプショナルツアー参加組25人とと自由行動組8人に分れる。ツアーグループがアヤソフィアで降ろされ、私たち自由行動組は更にバスで合流地にもなるエジプシャンバザール入口まで運ばれた。

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