11月19日(金) メスキータとフラメンコショー
■コルドバ郊外のリゾートホテルの朝だった。朝食前の周辺散策は閑静な高級住宅街の佇まいを目にしながらの町歩きとホテル敷地内の庭園散策だった。朝食を済ませバスで世界遺産コルドバ歴史地区に向う。
■旧市街南側のローマ橋たもとで下車し歴史地区観光が始まる。石造りの風情あるローマ橋を渡ると目の前に中世の街並みが広がっている。両側を巨大な建物が連なる緩やかな坂道をのぼった先にメスキータの入口があった。スペイン人女性の現地ガイドに先導され堂内に入る。
■メスキータとはスペイン語でモスクを意味する。キリスト教の大聖堂(カテドラル)とイスラム教モスクが同居する不思議な建造物である。ともに排他的な一神教でありながら最終的に勝利したキリスト教が、建物を破壊することなくイスラム様式の建物を活用しその中に聖堂を組み入れたことの寛容さの不思議を思った。破壊しがたい優美さと巨大さがメスキータを存続させ世界遺産たらしめたのだろう。
■堂内の広大さと850本もの円柱が織りなす空間の迫力は圧倒的である。天井にはくさび型の白い大理石と赤レンガが交互に組まれたアーチが限りなく広がっている様はまさしくイスラム特有の美しさだ。4度にわたる拡張工事の果てに実現された建物にはその都度の文化の違いをもたらしている。
■他方でこの建物はカトリックの大司教が今尚在住する大聖堂でもある。堂内の中央祭壇はそれにふさわしい格式ある荘厳さを漂わせていた。メスキータこそはスペインにおけるイスラム教徒とキリスト教徒との長い攻防の果ての到達点を象徴するものではないかと痛感した。
■メスキータ北側のユダヤ人街の迷路のような「花の小道」を歩いた。かってイスラム帝国の経済を支えたユダヤ人たちはレコンキスタ後は追放令によりこの町から姿を消した。小道ごとの家並みの白壁には色とりどりの花の子鉢が飾られ、路地のあちこちにはパティオ(中庭)が設けられている。路地の先の空間にはメスキータの尖塔が見えかくれする。
■旧市街の一角の洞窟のような構えの店で昼食をとった。ソパ・デ・アホ(ニンニクスープ)と鶏肉料理だった。1時頃、ローマ橋たもとで待つバスに乗車し最後の訪問地マドリッドに向った。
■コルドバから首都マドリッドまでは400kmに及ぶ長距離移動だ。二回のトイレ休憩を挟み約6時間の道のりだった。二度目のラ・マンチャ地方での休憩はローカル色豊かな小さな村のレストランと土産物を扱う店だった。背後の丘には風車が建ち並び、村の小さな教会そばの入口にはドン・キホーテのモニュメントが建っている。
■マドリッドのホテルは今回のツアーの売りのひとつである5つ星のデラックスクラスの「ミラシェラスイートホテル」だ。チェックインした部屋も寝室、リビング、浴室、洗面所がそれぞれ独立した広いスイートルームだった。
■8時過ぎにオプショナルツアーのフラメンコディナーショーに出かけた。案内されたのは中央壁側にフローリング舞台のあるショーパブ風のレストランだった。壁の全面がアラブ風のモザイク模様で覆われている。タパス料理(小分けされたおつまみ料理)のディナーが始まった。生ハム・サラミ・チーズ盛り、イカリング、じゃがいものスペインオムレツ、鰯の揚げ物などが次々出てくる。さすがにこの頃になるとオリーブオイルベースのスペイン料理の同じような味付けが鼻についてくる。
■1時間ほどのディナー終盤からフラメンコショーが始まった。フラメンコは歌とギターと踊りが三位一体となった民俗芸術だ。最初のグループは二人ずつの男性の歌い手とギタリストに5人の女性ダンサーだった。ダンサーがソロやグループで舞台狭しと全身を使って情熱的なリズムを刻む。なかでもメインダンサーの均整のとれたボディーを駆使した激しいタップは圧倒的な迫力で観客に迫った。オーレッの掛け声を観客の誰もが惜しみなく贈っていた。続いて男性ダンサーのソロ、最後に真打ちとおぼしきベテラン女性ダンサーで締めくくられ11時頃にショーが終わった。
■日付が変わる頃、マドリッドの最初の夜を豪華なスイートで眠りに落ちた。

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