2005年2月例会 |
2月23日(水)時計の歴史とからくり |
※2月の例会にHP管理人は参加できませんでした。 そこで井上さんの例会案内と報告を中心に竹内さんの感想を交えてHP版「例会報告」をアップしました。 ■例会案内 2月例会のご案内です。今回の講師は、多才で多方面の活躍をされています。「何をお聞かせ頂けますか」と相談しましたところ、ご本人からは、「時計のことを話しましょう」と提案を頂きました。 先日お会いしたときも、京都の骨董屋で買った時計を、50個ばかり持参されていました。おまけにコレクションの尺八も大きな鞄に10本ほども入っています。 「この人はいったい何者だろう」という当方の疑問を察してか、ご本人いわく「塾の業界で一番頭の柔らかい人間や」とのことです。お楽しみに!(井上紳司・記) ■講師「岡山和浩氏」の紹介 ![]() ■例会報告(井上紳司・記) 2月23日は14名の方が集まり、講師に岡山和浩氏を招いて時計の歴史を伺いました。 現在の針が回転(右回り=理由は社会の教科書にでてるそうです)する時計の歴史はヨーロッパで 1500年代にはじまります。 その後技術革新は続くのですが、流れとしては以下の通りです。 @フランスの技術者がスイスに亡命しスイスに時計作りの基盤を整えた Aしかし技術的には、アメリカが「規格品」という概念で急速に近代化を計る(添付写真はこの当時、世界のトップに躍進した代表作ウォルサムバンガード) ![]() B南北戦争でこの「規格品」の考え方が大当たりし、時計職人は銃の生産へ移行するも、戦争終了とともに失業。 Cここでスイスがアメリカの規格を真似て安く作るようになった。 D日本は明治に入って西洋時計が入ってきた。福沢諭吉が「時刻の読み方」という本を出版。懐中時計は超高級品で柱時計が普及。 E国産は明治28年にセイコータイムキーパーが第一号とされているが実は、大阪西成区のオタイウォッチ、石原時計店のNW(浪速ウォッチ)が早い。 F現在アメリカには純粋な時計会社はない。それは太平洋戦争で時計の技術者が爆弾の時限真管つくりに入ってしまったが。スイスではこの間も時計を作りつづけており、技術の差が開きすぎた為。 <結論>コレクションは、知識と熱意と金の3条件そろわないと続けられない。 時計の技術というのは戦争と密接に結びついてきたのだなぁというのが実感です。添付の写真は、鉄道の駅長さんだけが持つのを許された、非常に精度の高い、かつ、手巻きネジの巻き忘れ防止機能までついたすぐれもので、当日ご持参いただきました。 今回から、講義時間を40分と長くしましたが、長くしてよかったなぁと思います。 尚、岡山氏については、次回からもご参加いただけるとの事で聞きもらした方は、3月例会でお話してください。 又、今回例会には下記の2名の方の初参加がありました。 ![]() ビービデザインサービス 大橋陽さん(川村さん紹介) シンコールコーポレーション 木下康徳さん(井上紹介) ■感想 ※当日参加の広報担当の竹内さんからも下記の感想を頂きました。 印象に残った点は、アメリカの時計メーカーは第二次大戦中に「信管メーカー」に変身してしまい、戦後になっても時計メーカーとして復帰できなかったことが、現在アメリカに時計メーカーが存在しない理由ということでした。
その他、ゼロ戦のパイロットがしていた時計は現在40万円ということや、数十万円の時計のコレクションが数千個もあるという講師の財政状況に驚きました。「金」「熱意」「知識」がコレクターの3要素だそうです。3つ揃っている人は少ないとか・・・・。
■参加者今回の参加者は、川島、井上、岸、竹内、森、川村、福井、木下(雅)、浦濱、中野、小林、大橋、木下(康)、岡山の14名の皆さんでした。 |